第七話
浜松城に行って、月の小面消失の現地調査をすることになった。
京から浜松城まで歩くのは大変だと思っていたら、家康は月の小面の写しを手に入れて上機嫌だったのだが、令和では女子高生の宗古と令和では刑事の吉川に馬とお付きの兵と水筒を用意してくれた。
俺は京都府警の刑事だがバイク以外に乗馬も実はできる。女性以外は何でも乗りこなす運動神経がある。宗古と同じ馬にまたがり俺が前、女子高生が後ろだ。
俺の背中に急に二つの膨らみを感じた。
「くっついたら汗をかくぞ」
「きついから、さらしは外しちゃった」
俺は固まった。
柔らかい膨らみと二つの蕾の感触が、背中を撫ぜまわす。
「ねぇ。どう」
拙い。俺の下半身の脈動が大きく変化してきた。
別のことを考えなくてはいけない。そうだ能楽堂の事件のことを。
「成長して大きくなってきたのね」
俺の横腹にしがみついている宗古の両腕も心なしか下がってきている。
俺の屹立している部分が一層硬くなる。
心の平穏を取り戻すには別のことを考えなくては。能楽堂の事件を思い出せ。
「成長したかも。胸が大きくなってきたかも」
そういうことか、成長したのは俺のではない、そうだろうな。
少し安心して、事件に心を集中しようとした。
「能楽堂の事件について語ろうか」
「そうね。あの令和の刺殺事件であの日の捜査状況聞いてないわ。仮眠室から戦国時代に転生する前の捜査状況を話してよ。」
宗古の柔らかい半球体が俺の背中から離れた。
「遺体の氏名は加納月さん33歳で無職、婚姻歴や犯罪歴無し。
電動車椅子が廊下に出る前の部屋は鏡の間と呼ばれており当日の鏡の間の出入りは誰でも外から自由にできる状況だった。
鏡の間には血の付いた小刀が残されていて加納と血液型は一致している。また近くに爆竹の燃え残りと導火線の煤が残されていた。
死体は顔と頭の後ろに能面がかぶさり、手には『月』と書かかれた文字があった。
対局場の廊下にも微かな血痕が滴り落ちていて加納の血液型と一致している。
江戸城大火で失われた月の能面は神の使いが導く。伏見と王子を結ぶ真ん中に月が現れる。』という古文書のような画像が残されていた。
それ以外は手掛かりになるようなものが残されていない」
宗古が聞いた。
「月が現れるというのは月の能面よね。対局場には動画撮影のクルーはいなかったの?」
吉川が続けた。
「いなかった。対局の指し手は盤面だけを映すAIカメラで自動記録をする予定だった。
指すごとに30秒加算されるというフィッシャー形式で対局者自ら時計を操作する方式だったので立会人も記録係も盤面を映すクルーも要らない。
ただ立会人と記録係は見学者へのファンサービスのために居たらしい。
対局場に近い廊下の前には大型のテレビモニタが設置されておりAIカメラの盤面を投影している。
見学者はそのモニタで対局を楽しみ、対局者の指している風景を直接観戦するというものだった」
宗古は再び背中に柔らかな肉丘を押し付けてきた。
「事情聴取の状況はどうだったの」
再び俺の下半身が元気になってくる。
「加納が鏡の間で、導火線に火を点け、電動車椅子のスイッチをオンにしてから自殺をした可能性も否定はできない。
胸に躊躇い傷や遺書は無かったが、事情聴取は通り一遍だった」
「市会議員は大野春長で、京都能楽堂の地域が地盤の四十九歳。
対局前ギリギリに会場に来た、加納のことは知らないと言っていた」
「怪しい。
そういえば先日太閤殿下のところで太閤将棋を提案したときにいた太閤の事務方はあとで宗桂おっさんに聞いたら、大野という名前だったわ。
歴史上では大野修理、別名治長なのよ。
秀吉と淀君の子供である秀頼は、本当の父親が秀吉ではなく大野治長だったと当時のいくつかの古文書に書かれているの。
淀君の懐刀だった人で、歴史上では徳川家に追い詰められて自害した人ね」
「続いて、地元の囲碁棋士は日海与三郎で五〇歳。
将棋の棋士ではないが地元の囲碁将棋普及に努めているらしい。ひげを生やしたおっさんで白髪。彼も対局前ギリギリに会場に来た、加納とはどこかの将棋のパーティ会場で会ったことがある。事件になるまで加納が来ていたとは知らなかったと言っていた」
「おっさんは全部怪しいよね。本因坊算砂の法名って確か日海だわ。それに算砂の本当の苗字は加納なの」
「続いて、新進気鋭の能楽師は安宅来電で三十八歳、有名な五大流派に属さず、最近能と海外の踊りをフュージョンさせた新しい能楽で話題になっている。渋い醤油顔で男性フェロモン全開。俺とは合わなさそう。早くから席に座っていたと言っている。確かに俺が着席したときにはすでに座っていた。加納とはどこかのパーティで会ったような気がすると言っていた」
「イケメンは正義よね」
「あと対局者の堀尾羅美亜は三十五歳で、将棋の女流真名人。弓形の眉毛に切れ長の眼に長いまつげの一見悪役令嬢。名人だが君より早く対局場にきて俺と同じくらいの時間にすでに着席をしていた。加納は将棋の催しで見たことがある、加納とは直接話をしたことがない、当日鏡の間には行っていないと言っていた。事件当日車椅子に能面をつけた人が近づいてきて怪しかったので近づいたら胸にナイフが刺さっていたと言っていた」
「はい怪しい」
こいつは美形の女性とおっさんはすべて犯罪者の判断なのか。
「最後に大橋想子は当時十五歳、現在十六歳で女流棋士。加納は知らない、鏡の間には行っていないと言っていた。
対局場に座ると後ろの鏡の間で色々な音がするから気になって後ろを振り返ってみていた。
堀尾羅美亜真女流名人の後ろから加納を覗き込んだら、胸から血が出ていて生きていたか死んでいたかわからないと言っていた」
「十六歳で京都府警の刑事と戦国時代に結婚した美少女ね。
いつになったらキスして抱いてくれるの。
主人公は犯人じゃないから除外。
加納が何をして生活していたかわからないの」
「加納は小さなモデル事務所にいたが売れずに事務所から契約規律違反で首になっている。事務所を通さず何人かの顧客の男性と付き合って金で揉めていたらしい。
その後に催し物の臨時派遣で働いていたらしい。知り合いによると昨年から羽振りが急によくなったので理由を聞いたら、いい人に巡り合った。それに儲け話があると言っていたらしい。
ただ最近偶然パーティ会場で会ったら顔が暗く悩んでいたようだったらしい」
前の兵士が叫んだ。「ここから先は林道で道が狭く夜盗がでることがあるので馬を速く走らせます。頭と体には簡単な防具も纏ってください」
急に緊張が高まった。
防具をつけて、水筒は腰にぶら下げた。
念のため、吉川は懐に石を仕舞った。
馬に合図する。
「絶対腕を離さないように。前傾姿勢でしっかりつかまれ」
馬が林道を駆け抜ける。
後ろの兵の馬が嘶いている。後ろで風を切る音がする。
急げ、絶対にこの美少女を守らなければ、吉川の心に不思議な気持ちが湧いてきてアドレナリンが分泌されるのを感じた。
背中の両脇の下が一層きつく腕を握りしめてきた。
「怖い」
林道の奥から人が見える。
再び風を切る音がする。防具を矢がかすった。
俺は全速力で林道を駆け抜けた。
また、頭の近くに矢が通過した。
「うっ」
宗古のうめき声がする。
「大丈夫か」
「大丈夫、だとは思うけれど。足が痺れているよ」
吉川と宗古の乗った馬は全速力で前に進んでいる。
後ろの兵たちから夜盗と応戦している声が聞こえる。
急に吉川と宗古が乗る馬の前から弓矢を持った野盗が飛び出してきた。
吉川は懐の石を野盗に投げつけた。野盗はひっくり返り倒れた。こんなときに拳銃さえあればと思ったが仕方がない。馬の速度を上げて先を急いだ。
急に道が開けてきた。
後ろの兵が言った。「もう安心です」
馬の速度を緩めて俺は振り返った。
泣きそうな大きな瞳の顔の宗古が居た。
「無事か?」
すぐに吉川は馬から降りて、宗古の状態を確認した。
「多分、大丈夫よ」
宗古の右足のひざ下付近から血が流れている。
「矢が足をかすったみたい。ズキぬズキするわ」
すぐに吉川は水筒で血を洗い流して手持ちの布で宗古のひざの近くを縛った。
吉川は令和から持ってきた風邪薬の中を見た。一応抗生物質もあるみたいだ。
「化膿しそうだったら薬があるよ」
「うん、ありがとう。でも大丈夫」
この子を守らなくては、心配で大事な存在なのだ。
これはひょっとして、俺はこの未成年の女の子に好意の感情を持っているのか?
「防具にはいくつかの矢が当たったような感じだったわ。
でもキスもしないでここでは死なない、死ねないと思っていたわ」
後ろの馬の兵が遅れてやってきた。俺たちを守るために応戦していたらしい。
後ろの兵が言った。
「いつもは金品を盗もうとする程度の少人数の夜盗なので徳川の兵の馬を見ると夜盗は逃げていくのですが、今日は大勢で弓矢も持っていて最初から待ち伏せてお二人を狙っていたような気がします。あとで浜松城から兵を出して殲滅させましょう」
誰に狙われていたのか、俺たちは。
それでもなんとか全員が、生きて浜松城に着くことができた。
俺の背中に抱っこされている宗古の傷は大丈夫のようだ。
二つの双丘を感じる背中の感触は、恥ずかしさよりもむしろ心地よいと吉川は感じるようになってきた。