第二十八話
外では未だに激しい雨が降り続き、時折、城の奥底まで震わせるような雷鳴が轟いている。
浜松城の一室、行灯の微かな光の中で、宗桂のおっさんは豪快ないびきをかいて泥のように眠り込んでいた。
例によって、俺と宗古の寝具の真ん中を陣取り、文字通りの「川の字」の障壁となっている。
「勝吉さんに聞いたわ。安宅船の修理には、どうあがいても一週間はかかるそうよ。淀君と同じく、私たちもしばらくはこの城に缶詰めね」
宗古が、眠るおっさんをひょいと跨ぎ、俺の布団のすぐ横に座り込んだ。手元では、未来の遺物であるスマホが怪しく、それでいて頼もしい光を放っている。
「このレベル5の武器……『集音機能』って、どうやって使うのかしら……」
宗古は一心不乱に画面を操作している。
俺は先ほどまでの凄惨な事件――貞(雪花)の死、安兵衛の狂乱、そして魔犬の襲撃――が脳裏に焼き付き、一向に眠気が訪れない。時刻は、もうすぐ寅の刻(午前四時頃)になろうとしていた。
「宗古……今回の貞さんの事件、俺が令和の京都で追っていた『伏見能楽堂事件』に酷似しているんだ」
俺は独り言のように語り始めた。
「車椅子に乗った被害者が、能面を被って血を滴らせながら現れる……。なぜあんな奇妙な格好で現れたのかが謎だったが、被害者の加納月さんは『月の小面』を狂信的に欲しがっていた。
もし犯人が『能面を被り、車椅子で血を流しながら近づけば、月の小面が手に入る』という偽の指示を送っていたとしたら……。
彼女は、望んでその『儀式』を演じていたのかもしれない」
宗古の指がスマホの上で止まる。俺はさらに推論を重ねた。
「舞台奥の『鏡の間』で刺されたと思っていたが、廊下に落ちていた血は囮のカラスのものだった可能性が高い。
彼女は生きたまま廊下を進み、どこか別の場所で……例えば、あの『処刑椅子』の仕掛けが発動した瞬間に、本物の死へと変わったんじゃないか」
宗古は俺の推理を聞きながら、スマホの画面に浮かび上がったアイコンを指差した。
「刑事さん、見て。この城の中でスマホが捉えた人物が、アイコンで選べるようになっているわ。使い方がわかった気がする」
彼女が宗桂のおっさんのアイコンをタップした瞬間、スマホから「グォォ、プーッ」という、目の前で鳴り響く音と寸分違わぬ生々しいいびきが漏れ聞こえてきた。
「すごい……このアイコンを切り替えれば、城中の『音』を盗み聞きできるんだわ」
宗古は次々とアイコンをスライドさせていくが、聞こえてくるのは静かな寝息や衣擦れの音ばかりだ。
「ところで、結局『月の小面』はどこにあるんだ? 囲碁盤の中は空だったし、忍びの月は『そこには無かった』と言っていた。まさか、貞さんが死に際にそれを持っていたということも……」
「それは考えにくいわね」
宗古が否定した。
「貞さんは来電と月に利用され、身代わりとして椅子に座らされただけよ。家康様を窮地に追い込むために……。家康様を邪魔だと思っているのは、淀君か、大野修理か。あるいは、それを利用しようとする来電と月……」
俺たちはしばらく、暗闇の中で互いの思考をぶつけ合った。
「そろそろ、私たちも寝ないとね。明日は本物の小面の手がかりを掴まなきゃ」
そう言うと、宗古は徐に立ち上がり、俺の方に背を向けた。 彼女は迷うことなく、男装の小袖を肩から滑らせ、胸をきつく締め付けていた『さらし』を解き放った。
行灯の淡いオレンジ色の光に照らされて、一糸まとわぬ彼女の背中が露わになる。
雨に濡れて冷えた肌が、再び熱を帯びるように赤みを帯び、肩甲骨からなだらかな腰の曲線にかけて、瑞々しいまでの光沢を放っている。
さらしの跡が残るその白い背中は、戦乱の世を駆け抜ける少女の、隠された艶やかさを物語っていた。
「子作りは、宗桂のおっさんがいない時までお預けね」
茶目っ気たっぷりに囁き、彼女はそのまま横になろうとした――が、急に思い出したように俺の方を向き、一歩、また一歩と距離を詰めてきた。
「あ……」
俺の目の前に、彼女の胸元が迫る。
さらしを外したばかりの、まだ小袖がはだけたままの胸元。豊満な双丘の柔らかな谷間が、俺の視界を埋め尽くす。少女らしいハリと、女としての成熟を感じさせるその肉感的な近さに、俺の心臓は魔犬に出会った時以上に激しく跳ねた。
「ちょ、宗古……おっさんが起きてるかも……」
狼狽える俺の耳元に、彼女はスマホを突きつけた。その表情は、先ほどまでの官能的な雰囲気とは一転し、氷のように鋭い。
「聞いて。刑事さん」
俺は促されるまま、スマホに耳を寄せた。 宗古が選んでいるアイコンは、死んだはずの来電でも、寝ている家康でもない。
『忍びの月』
そのスピーカーからは、規則正しい寝息ではなく、「ヒッ、ヒッ……」という、極限まで抑え込まれた、
しかし激しく波打つような殺気を孕んだ呼吸音が聞こえてきた。
「この城の、すぐ近く……いいえ、この建物の中に、月が潜んでいるわ」
宗古の囁きに、俺の背筋に冷たい戦慄が走った。
闇の中に潜む忍びの鼓動が、令和の技術によって今、暴き出されようとしていた。




