第二十一話
難しい顔の大野修理をよく見ると顔が上気している。気だるい雰囲気も醸し出されている。
経験は無いが、あの顔つきはまるで秘め事が終わった後のようだ。
大野修理が重い口を開いた。
「家康殿と最近仲がいいらしいが、どういう関係なのか」
宗古は男装をして背筋を伸ばし大野の眼を鋭く見つめて回答した。
「父が将棋の手ほどきを家康様にしていて、私もそれに付き合っています。それだけの関係です」
「家康殿は豊臣家ではないので豊臣家への忠誠が変わらないことを絶えず注視をしておかねばならない。君たちは豊臣家への忠誠を誓えるのか」
「太閤殿下には、私が駒を落としても父に勝てる太閤将棋をお勧めしました。太閤殿下はそれを非常に気に入ってくださっております。揺るぎのない忠誠心そのものだと思います」
腹の探り合いをしているのか、何が聞きたいのかと吉川は感じた。
「月の小面について妙な噂が入ってくる。
宗古殿が不思議なガラス細工の道具を出して、そこには月の小面に見える本物のような精巧な絵が描かれてあったという噂だ。
月の小面は太閤殿下が家康殿にお与えになり、今は家康殿が持っておられるはず。
単刀直入に聞くが太閤殿下が家康殿に与えた月の小面を盗んだか、または偽物を作ったのか」
「滅相もありません。決してそのようなことはありません」
「本当か。月の小面のもう一つの奇妙な噂で、江戸城大火のときに月の小面がなくなり、神の使いと称するものがそれをまた出してきたというものだ。おぬしたちは神の使いと称して太閤殿下を誑かそうとしているのではないのか。
江戸城は火事にはなっておらぬ。大火とは火事の意味もあるが夏至の意味もある。おぬしたちが月の小面を夏至に盗み、偽物を作って家康殿にすり替えて渡したのではないのか」
大火は明暦の大火ではなく夏至という意味もあるのか。
宗古は無言のままだ。
大野修理が畳みかける。
「今は家康殿が持っているとはいえ、月の小面は元々太閤殿下の持ち物。
それを盗み、偽物を捏造したということは豊臣家への忠誠心がないことになる」
「そのようなことはありません。」
「豊臣家を脅かすものはたとえどんなに小さなものでも排除しておかねばならぬ。
月の小面を精巧に映したガラス細工を何故持っていた。
肥前名護屋城で勝吉殿が演じた月の小面は偽物ではないのか」
宗古が汗をかいている。俺が何とかしなければ。
「御免。失礼します。」
誰?
部屋の入口から顔を出したのは、金剛太夫だった。
さきほど花の小面で能を演じていた稀代の人気能楽師が現れた。
何故?
金剛太夫が大野修理の部屋に入ってきた。
「呼んではいないがどうかしたか」
「はい。宗桂殿の跡継ぎの宗古殿について能楽に関しての師匠はわたくしでございます。将棋は父上の宗桂殿、能楽はわたくし金剛太夫が師匠になっております。宗古殿は能楽を未だ演じるところまではいかず道具の能面について教えております」
どうした、急に。そんなことは聞いていないがと吉川は混乱した。
大野修理が金剛太夫に聞いた。
「さきほど。宗古殿に月の小面の精巧な絵がある怪しげなガラス細工を何故持っていると聞いたのだが。返答次第では宗古殿が月の小面を盗んだのではないか、偽物の月の小面を作ったのではないかと思ったのだが」
「さきほど太閤殿下の御前で、勝吉が江口で演じた月の小面は本物でございます。
私が保証いたします。
従って宗古殿が偽物を作ったなどということはございません。
この金剛太夫が太閤殿下に誓って申し上げます。
太閤殿下に奉じました能につき、これを怪しむことこそ太閤殿下に失礼ではないかと存じます」
金剛太夫が凄みのある声で大野修理に返した。
「貴殿はそういうならそうだろう。私の情報網が変なのか」
「それから宗古殿には私が外国の技術を使った雪月花の小面を精巧に模写したガラス細工を渡しております。お守りのようなものでございます」
「わかった。金剛太夫殿は太閤殿下が花の小面を与えた方。豊臣家への忠誠心は疑いなかろう」
「宗古殿、一旦分かった。金剛太夫の言葉を疑うことは無い。ただもし月の小面が今後二つ出てきたときは金剛太夫に黙って偽の月の小面をつくったことになる。
そのときは覚悟しておくことだ。戻って良い。
私の情報網が間違っていたらそのものの処分を考えねばならぬ」
部屋を出て、宗古が金剛太夫に聞いた。
「助けていただきありがとうございます。何故私たちを救ってくれたのですか」
「先ほど勝吉に頼まれたのだ。勝吉より、能の小面で大野修理が若い者に難癖をつけてくる。能の第一人者のあなたから若い者に助太刀してほしいと。
勝吉には能の伝統を守る新しい流派の長になってほしいと思っているし目をかけている。勝吉の頼みは断れないからな。
先程の話も咄嗟に出ただけの話よ」
金剛太夫が豪快に笑った。
「ありがとうございました」
「それに本当のことを言えば勝吉に頼まれたときに、宗古殿の母上を思い出した。
男女の関係ではないぞ。
母上から高級な扇子を貰ったことがある。能の演技に使うのだが、この時代にはない素材で出来ているオーパーツの扇子と言っていたぞ。
不思議なものでそれを持っていると心が落ち着く。
そのときに母上から奇妙なことを頼まれたことがある。
能楽についてこの先、私の子供に会って私の子供が能について困っていたら助けてほしいと。
今日はその借りを返したような気がした。むしろそのほうが大きな理由だ。
それから母上からも、勝吉を大事に育ててほしい。いずれは立派な能の流派の長になるはずからと言っていたよ。
まるで未来のことがわかっているような話し方だった。
母上は美人だぞ。宗桂殿と夫婦でなければ口説いたかもしれんが」
宗古は驚きを隠せない顔をしていた。
「それからさっき月の小面が本物と言ったが、勝吉が演じていたのは本物の写しの月の小面だな。写しも本物だから言っていることに嘘は無い。
ただ写しでは無い月の小面がどこか別にあって、大野修理が手に入れると厄介だから、もし他にあるなら早めに見つけたほうがいい」
金剛太夫は去っていった。
初めて聞く話だ。
宗古は衝撃を受けている。
そうだ母上について宗桂のおっさんに確認しないと。
今まで宗桂のおっさんの奥さんについて見たことも聞いたことも無いぞ。
それから戦国時代の人がオーパーツという単語を知っているとはどういうことだ。
吉川は宗古の手を取り、宗桂のおっさんの部屋に戻ろうとしたら、
宗古が言った。
「ありがとう。手をつないでくれて。
それから大野修理の部屋に能楽師の来電が入っていったわ」
「そうか。まず宗桂のおっさんに母上のことを聞かないと」
「部屋に戻る前に抱いて」
宗桂のおっさんのいる部屋に入る前に、吉川は宗古の手を引き寄せ、そっと抱き寄せた。
唇に近づいたが、またしても声がした。
「宗古か。戻ったのか」
おっさんの声だ。
宗古を離した。
不機嫌な顔で宗古は部屋の戸を開けた。




