第十話
翌朝、おっさん含めて三人が起きると丁度、昨日の女中が朝ごはんを持ってきた。
吉川は、「一応確認だけど、あの夜、部屋の外に戻ったのはいつ頃だった」
女中は恥ずかしそうに
「寅の刻を少し過ぎたくらいだと思います。今思えば媚薬のようなものを飲まされて、寅の刻が過ぎるまで部屋で完全に意識を失っていたような気がします」
宗古が吉川に言った。
「女中さんの証言は貴重だったけれど、あの日部屋を出たかどうかはあまり関係ないわ。さっき厠の上に登ってみたのよ。厠の上の換気口みたいなところは他の部屋にも繋がっていたのよ」
吉川が返した。
「そうすると誰もがあの夜、金蔵に行けた可能性があるということか」
「そうよ。ただ蔵の鍵は家康様が持っていたので、金蔵の前には忍び込めても扉は開けなかったということよ」
「ところで歩き巫女とは何だ。」
「戦国時代に生まれたもので、特定の神社に属せず全国を遍歴し祈祷を行う巫女のことよ。
外法箱という呪術のような祈祷をする巫女や旅芸人や遊女を兼ねていた巫女もいたわ。
また忍者の、忍びの者として訓練されて間諜活動した巫女もいたのよ」
「それで小那姫が、歩き巫女の月が能面を盗んだと言っていたのか」
宗古はおっさんに聞いた。
「石山安兵衛という木箱を作る職人を知っている?」
「さあ、知らんなあ。ただ有名な職人なら知り合いに聞けばわかると思うぞ。わかったら教える」
おっさんが宗古に尋ねた。
「そういえば、結婚してしばらくするが赤子はどうじゃ」
「今年は無理ね。旅ばかりだから。でも来年以降に最低でも男の子と女の子が多分生まれると思うわ」
宗古は後ろに居た吉川の方を振りむくと大きな瞳で声を発せず唇だけ動かし、おっさんの邪魔と初心で意気地なしの刑事のせいで当分は無理ね、と伝えた。
宗桂のおっさんから、吉川は短い筒のようなものを渡された。
「これは非常に珍しく高価なものじゃ。
堺の知り合いが海外から取り寄せたが事情があって借金が増えて、わしが借金を肩代わりしてやったのじゃ。その代わりにこれをくれた。
短筒といって銃身の短い火縄銃じゃ。懐に入る大きさじゃ。これで宗古を守ってくれ」
吉川は短筒を受け取って手触りや操作を確認した。
令和では刑事なので、シグザウエル社のP230JPの拳銃の訓練を受けていて扱いも手慣れている。吉川は、女性以外の乗り物や小物の扱いは非常に上手い。令和では射撃訓練で京都府警の中でもかなり上位の実力なのだ。
「ありがとうございます。万難を排しお嬢様をお守りします」
宗古が目を輝かせて飛び切りの笑顔を見せた。
「私はお嬢様だよね、今日は男装するけれど。
さらしが本当にきついわ。
胸が大きくなってきたから」
想子は吉川のほうを向いて、胸を鳩のように膨らませてウインクしてきた。
三人は朝御飯を終えて、堀尾吉晴とラミアという洗礼名の小那姫に挨拶をした。
堀尾吉晴が宗古に尋ねた。
「何かわかったか」
「月の小面がどのように消えたか、何故消えたかについては少し考えがあります。
もう少し調べないと気軽には話せませんがすべてがわかりましたらすぐにお伝えしたいと思います。
此度の調査に便宜を図って頂き誠にありがとうございます」
「そうか。こちらこそ礼を言う。
月の小面が今は家康様のところにあるから問題はなかろう」
小那姫が不思議そうにしている。
「月の小面が見つかったのですか」
「まあ色々ある。小那は心配せずとも良い」
小那姫はまた俺の顔を見つめている。
宗桂のおっさんが言った。
「此度は手前どもの堺から仕入れた商品をお買い上げいただき誠にありがとうございます。
今後ともごひいきによろしくお願い申し上げます。
囲碁打ちの算砂殿もそろそろ浜松城に到着する頃であり、将棋や囲碁で一局いかがですか」
「そうだな、ぜひ手合せ願おうか。」
そう言うと堀尾吉晴は家来に指示した。
「盤を用意してくれ。勝吉殿がおられるはず、呼んでくれ」
「承知しました。算砂殿が来られました」
囲碁打ちの算砂がやってきて、堀尾吉晴と小那姫に挨拶をしたあと、算砂と堀尾吉晴の囲碁対局が始まった。
「算砂様の娘さんはいっしょではなかったのですか」
小那姫は血走った眼で算砂に尋ねていた。
「さっきまで一緒に居ましたよ。城の下で待っているのかな。こちらで待っていればいいのになあ。
この囲碁盤は石を打つときに良い音がしますね。自画自賛ながら娘の月は良いものを選んでくれたものだ」
堀尾吉晴が勝吉を紹介した。
「こちらの者は、家康殿の家臣で剣の腕前が非常に優れている。
その上、能楽の舞が見事で名人級である。
更に将棋も強い。宗桂殿一局勝吉を教えてやってくれ」
将棋の形勢は一進一退で長手数の将棋になり、危うく宗桂が負けるところだった。
勝吉は投了を宣言したあとに宗古の眼を見た。
「宗桂殿、参りました。
次は後継ぎの宗古殿とお手合わせお願いしたい」
宗古は背筋を伸ばし凛々しい男前の顔を作って勝吉と対局を始めた。先手の宗古が、平成に生まれた新戦法のゴキゲン中飛車で対局を進め、結果は短手数で想子の圧勝だった。
「これは見たことが無い戦法だ。とんでもなく強い。
宗桂様、立派な跡継ぎに恵まれましたな」
妙齢で艶っぽい雰囲気がありながら足が引き締まった女性が入ってきた。
女は、堀尾吉晴と算砂の対局をじっと見ている。算砂の横に座った。
小那姫が「月」と言いながら何とも言えない複雑な顔をしていた。
この女性が算砂の娘と称している歩き巫女の月なのか。
月は算砂の横で今度は囲碁の対局盤を見つめた後、吉川と宗古を見てびっくりしたような顔をした。
そのあとに小那姫を一瞬見た後にすぐに目を逸らし、吉川の顔を見つめている。小那姫は月と吉川を交互に見ている。
宗古は月という娘と小那姫を睨みつけている。
囲碁の対局も終わるころ家来がやってきた。
家来が堀尾吉晴のもとに文を持ってきた。堀尾吉晴が読み上げた。
「家康殿が江戸をすでに出発されて、肥前名護屋城に行かれるらしい。浜松城に京で世話になった将棋の強い商人たちが居たらいっしょに連れていきたいと書いてある」
おっさんの宗桂がすぐに返事した。「もちろん同行させていただきます」
算砂も返事をした。「私も娘と行かせていただきます」
小那姫も言った。「私も行きます」
宗古が最後に全員にわからせるように言った。
「当然私も行きます。私の横にいる許嫁を連れて」
一斉にみんなの視線は俺に向いた。思わず俯いた。
肥前名護屋城では、どうやら風雲急を告げる感じである。




