第七話
「さあ、どうするんだ?返答次第では・・・・・・どうなるか、分かるよな」
焦るウィラとは対照的に、アイゼアは楽しそうに口の端を吊り上げて声を踊らせている。
なんて人だ。
昨日まで優しい兄だったはずの人と同一人物であるとは思えないくらい凶悪に見える。
ウィラは彼の手を振り払うと、意をけして口を開いた。
「まっ、待って!私も本当のこと話すから、だから、約束して。絶対誰にも言わないって」
底なしのような、昏い赤の光がウィラを射抜く。
心臓の鼓動が激しくて、彼にも聞こえやしないかと恐ろしかった。
少しの間、アイゼアはウィラのことを見つめてからようやく動いた。
「ああ、約束しよう」
それは瞬きほどの時間だったかもしれないが、ウィラにとっては終わりの見えないようなとても長い時間に感じられた。
「それで、その、私のかくしごとなんだけど・・・・・・」
「待て」
ようやく心を決めて話そうとしたのに、なぜ制されるのかと思ってみれば。
「契約書だ。俺と約束をしたいのなら、必ず印を残せ」
くるりと手を回すと、赤い光が弾けるように瞬き、それが消えた後には彼の手中に一枚の紙が現れた。
何の変哲もない紙に見えるが、もはや言わなくとも分かる。
これも魔術だ。
「魔術師にとって『契約』は『絶対』だ。一度交わした約束は決して違えることはない。この契約書が有効である限り、もし俺が契約違反となる行為をすればそれ相応の代償を払うことになる。もちろん、お前もだ」
いつになく真摯な眼差しに、ウィラは息を飲む。
「いいな?」
こくり。
ウィラは小さく頷いた。
もしも契約を破った際に求められる代償・・・・・・それが何であるのか、聞く勇気はなかった。
ウィラが頷いたのを合図に、契約書にはさらさらと文字が埋め尽くされていく。
日付。
契約内容。
そして、お互いの名前。
アイゼア・エルディック。
ウィラ・エルディック。
今はどちらも本当の名前ではないが、ここにいる2人が契りを交わすのならその名前が一番相応しい。
「すごい、魔術ってこんなこともできるんだ」
「まあな。そんなに驚くことじゃない」
契約書の内容が全て埋められると、瞬く間に光の粒になって霧散してしまう。
これで、アイゼアの調査に協力する代わりに、ウィラにも協力してもらうという契約は成立したことにはる。
アイゼアはその掌にきらきらと輝く星のような粒を集めて、いくつも浮かべてくるくると回して弄んだ。
アイゼアは些細な動作のようにやってのけたが、それは小さな夜空のようで美しく、ウィラはあっという間に心を奪われた。
「とっても綺麗ね」
「そりゃどーも」
褒め讃えるつもりで言ったのだが、アイゼアの反応はイマイチだった。
「これぐらい、お前も勉強すればできるようになる」
「ほんと?いつかやってみたいなぁ」
自分がアイゼアのように楽々と魔術を使いこなしている姿など想像もつかない。
グランシアにある魔術学校なんて貴族しか行けないような場所で、庶民のウィラにはあまりにも縁遠いものだったおかげで魔術のことなんて今まで考えたこともなかったのだ。
「そういや、まだ魔術の使い方についてあんまり教えてやれてなかったからな。明日の午後にでも面倒見てやるよ」
「やった!ありがとうアイゼア!楽しみにしてるね!」
自然とウィラの顔がほころぶが、年相応の幼さのある屈託のない笑顔だった。
「それより、疲れてんだろ、もう夜も遅い。いい加減子供は寝た方がいいんじゃないのか」
アイゼアに言われたことはもっともなのだが、ウィラはえぇと不服そうな声を上げた。
「まだ眠くないよ。それに私、もうそんな歳じゃ、な・・・・・・い・・・・・・あれ?」
どういうわけだか、呂律が回らなくなっていた。
頭の中が霞がかったように急に動かなくなってくる。
足元がおぼつかなくなって、彼のベッドに倒れ込んでしまう。
ふかふかの生地はウィラの小さな身体を受け止めて、沈み込んでいくようだった。
「・・・・・・これも、魔術・・・・・・?」
「さあな」
ゆっくり、ゆっくりと瞼が落ちていく。
だんだんと狭まっていく視界でウィラが最後に見たのは、妙に優しげな表情のアイゼアだった。
さらり、と髪を撫でられたのは気の所為だろうか。
それを考える間もなく、ウィラは深い眠りについていった。
───────今宵、互いがこの家で生き抜く為、偽物の兄妹は約束を交わした。