第五話
この家に来て一週間と数日、ずいぶんとここには馴染めてきた。
もちろん、礼儀作法やダンスなど『エルディック家のお嬢様』として覚えなければならないことは山ほどある。
言葉遣いひとつとってもあれこれ指導をされてしまうぐらいで、毎日の厳しい教育のおかげでウィラはもうくたくただった。
「ふぅ・・・・・・」
夜になって、ようやく落ち着けるとばかりにベッドに倒れ込み息を吐く。
アイゼアやフィオナが気遣ってくれるもののお淑やかな話し方も煌びやかなドレスも何もかも慣れない。
自分がなんでこんなことをしているのか、さっぱり分からない。
ただの庶民の自分が、伯爵家の娘として招かれたのは本当に幸運なことで感謝するべきことだ。
しかし、ウィラは本当の娘ではない。
たとえこのことにミルドレッド夫人が納得していたとしても、ウィラは納得できないのだ。
せめて、この家の本当の娘について何か少しでも知りたい。
そう、強く思ったはずだ。
「このままじゃいけない・・・・・・!」
ベッドからがばっと勢いよく体を起こす。
今にも閉じてしまいそうな瞼を持ち上げて、目覚ましの為に頬をぱちんと叩く。
幸いなことに今は夜だ。
もう少しすれば屋敷にいる皆も眠り、静かになる。
調査をするには絶好の機会だろう。
(まずはやっぱりあの場所からね)
邸内で調査をするにあたり、ウィラにはいくつかの見当があったが、その中で最有力候補が一つある。
昼間、図書室に本を探しに行ったときのことだ。
奥の方に書庫へ繋がる扉があったのだが、フィオナからそちらへ入ってはいけないと止められたのだ。
曰く、伯爵家に関する貴重な資料などが保管してあるらしく、ミルドレッド夫人から許可が降りない限り例え誰であろうと入ってはならないとされているらしい。
伯爵家に関する資料であるのならば、ウィラのことも何かしらあるはずだろう。
調べてみる価値は十分にある。
もちろん、書庫以外にもミルドレッド夫人の書斎など重要そうな箇所はたくさんあるが、そういうところは大抵簡単には立ち入れない。
その点、あの書庫は鍵さえ手に入れてしまえば機会を伺い侵入することは容易い。
(鍵の保管場所は1階左廊下突き当たりの部屋にある・・・・・・この時間なら誰もいないからいけるはず!)
防犯の為、夜間に見廻りに来る使用人はいるが、今の時間帯はいないことは把握済みだ。
音を立てないように気をつけながらドアを開き、こっそりと足音を消して進む。
明かりは持っていないので窓から差し込む月明かりだけが頼りだ。
万が一誰かがいた場合、下手に着替えたりしていると寝惚けて迷い込んでしまった、という言い訳が使えなくなるのでネグリジェのままでいる。
寝付けないので厨房でなにか夜食を作りに来た体を装うこともできるだろう。
もっとも、この屋敷の使用人たちはただの平民だった大人しい少女が夜な夜な書庫に忍び込もうとしているとは少しも考えていないだろうが。
目的の部屋の前まで来ると、念の為あちこちを確認する。
誰かの気配はないか、変わったところはないか。
少しの間きょろきょろと不安げに見渡したが、特に危険はないようなので意を決して扉を開く。
薄暗く静かな室内の中を進み、目的の棚の中を素早く漁る。
その際に室内に保管されていたランタンを拝借した。
これで暗くても探せるようになる。
(よし、あった・・・・・・!)
倉庫や客室など様々な場所の鍵が保管されている中から、書庫の鍵を見つけ出す。
鍵にはそれぞれ番号が割り振られているのだが、書庫の鍵は他と作りが違う上に番号ではなく『』と書かれているのだ。
どうしてこんなことをウィラが知っているのかというと、フィオナが教えてくれたからだ。
偶然にもメイドの誰かが落とした鍵をウィラが拾ったことがあり、ここへ届けに来た時に色々と聞いてみたら教えてくれた。
その際、大事なものをこんなところに置いていて大丈夫なのかと聞いたら、「大事なものこそ、区別しないで自然な形で保管しておくのが一番なんです。特別扱いしていては、これは大事なものです!って示してるのと同じですからね。それに、夫人からの許可が降りない限り入れないような部屋の鍵がこんなところにあるなんて誰も思わないでしょう」と話してくれた。
ウィラには親しくしてくれているのか、それともただの不用心なのか。
仲良しの侍女がお喋りで本当に助かったと強く思ったものだ。
(しっかし、私まるで泥棒みたいなことしてるわね・・・・・・)
もっと手こずるかと思っていたのだが、意外とあっさり見つけてしまったので肩透かしを食らったような気にもなってしまいそうだ。
もちろん、簡単に済んでくれるのならそれに越したことはないのだが。
少しの後ろめたさを感じつつ、目標は無事に発見できたのでいよいよ書庫へと向かう。
せっかくなのでランタンもそのまま借りて向かうが、廊下を足音を立てないように通っていた時、ふとウィラは視界の端に何かが移ったような気がして足を止めた。
(あれは・・・・・・人?)
窓の外に、人影が見える。
外にあるのは庭園なので、木を人と見間違えたのかと思ったが、その影は動いていて明らかにこちらへ向かってきているのだ。
月の光のおかげで逆光になってしまいその顔はよく見えないが、背の高い男だということは分かる。
こんな時間に、一体誰が、こんなところから。
(まさか、泥棒・・・・・・!?)
そう気づいた瞬間、さっと血の気が引いた。
伯爵邸に侵入しようとする輩なんて、そんなの泥棒に決まっているだろう。
泥棒ではなくとも、こんな時間に庭園にいる時点で怪しすぎる。
侵入者の存在に気づいているのは自分だけだ。
思わず立ち竦みそうになったが、くるりと方向を変えてすぐさま庭園へ向かう。
気づかれてはまずいので、ランタンの明かりは消しておいた。
できるなら今すぐ使用人の誰かに助けを求めればいいのだろうが、曖昧な証言では信じてもらえないかもしれない。
孤児院にいた頃も、街の大人から『子供の言うことだから』とまともに相手をしてもらえなかったことがしばしばあったという嫌な思い出がある。
なにか武器を持っているようには見えなかった。
幸いにも向こうはこちらの存在に気づいている様子はない。
人影はゆっくりとした速度で庭園を横切っていく。
せめて、もう少し特徴をこっそりうかがえれば・・・・・・。
そう思い、必死に目を凝らす。
「あれは・・・・・・!?」
想定外のものが見えてきて、思わず声が出そうになって慌てて口を抑える。
(アイゼア、なの・・・・・・!?)
よくよく目を凝らせば、そこにいたのはアイゼアだった。
背丈がアイゼアと同じくらいだから見間違いかと思ったが、髪型や衣服が彼のものなのだ。
一体なんでこんな時間に彼がいるのか、理由に見当がつかず困惑してしまうが、相手がアイゼアであるのなら恐れる必要は無いと思えた。
いつも優しく接してくれる明るいアイゼアに、自分でも思ってもみないほどに懐くようになったのだろう。
アイゼアのところへ駆け寄ろうとしたその瞬間、ウィラの存在に気がついたようにアイゼアがくるりとこちらへ振り向いた。
「・・・・・・っ!?」
頬とシャツに、赤い液体が飛び散っている。
白地の綺麗な布地にはっきりと色濃くしみたそれは赤いというよりも赤黒くて、怪我をした人が流す血の色と同じものに見えた。
つまり、あの液体は。
「おい」
「ひぃ・・・・・・!?」
ぐるぐると様々なことが渦巻く脳内が、彼の冷たい一言によってすべて遮断された。
おい、だなんて彼から冷めた声で呼ばれたのは初めてだった。
聞いたことの無いくらい低いその声は、普段の明るさは微塵も感じさせないような威圧感がある。
おかしい。
何かが確実におかしい。
ウィラは無意識的にアイゼアから距離を取ろうと、一歩ずつ後ずさる。
が、下がろうとすればするほどアイゼアはこちらへ近づいてくる。
「逃げるな、別に危害は加えねぇよ」
「やっ、やだっ!」
「騒ぐなよ、何もしねぇって。ほら落ち着け、屋敷の連中が起きちまうだろ」
様子の違うアイゼアにウィラは困惑することしかできない。
逃げるなと言われても大人しくできるわけが無い。
どうにか逃げようとするが、悲しいことに足がすくんで動けない。
震えることしか出来ず、ついには追い詰められてしまった。
「まったく、こんな時間まで起きてるとは思わなかったぞ。いい子に寝てれば良かったのに」
その冷ややかな笑みが怖くて、思わずガタンっと音を立てて手に持っていただけの明かりの灯っていないランタンを落としてしまった。
しかし、その音すら今のウィラには届いていない。
「・・・・・・あ、あなた誰ですか!?」
服装からして平生の彼とはまるで違い、さらに口調まで違う。
彼はもっと優しくて親しみやすい人だったはずだ。
こんなに荒っぽい口調では無いし、人に威圧感を与えるようなことは言わない。
それに何より、彼はこんな顔で笑わない。
必死に叫んだウィラを前にして彼はいつものような優しい笑顔を浮かべて、いつもとは違う低い声でこう言った。
「俺はアイゼアだよ、お前のお兄ちゃんだ。・・・・・・ただし、偽物だけどな」