第三話
「こちらが奥様の書斎でございます」
フィオナに案内されて向かった部屋では、執事服の男性が扉の前で待っていた。
この先にミルドレッド夫人がいると思うと緊張する。
ミルドレッド夫人について話にはきいたことがあっても、その姿を見たことはないのだ。
シスターアルマは夫人は優しい人だと言っていたが、彼女が何の目的を持って自分を引き取ったのかさえ分からないこの状況では、気休め程度にしかならない言葉だった。
「ははっ、そんなに固くならなくても大丈夫だぞ」
「そ、そうね・・・・・・」
ウィラがすっかり緊張してしまっているのを察したアイゼアが、明るい笑顔を向けてくれる。
彼が隣にいてくれて少し安心できてありがたかった。
「奥様がお待ちです」
その一言と共に扉が開かれ、ウィラはアイゼアの後ろをついて歩いていく。
いよいよだ。
様々な国の言語の本が並ぶ書架に、伯爵夫人の部屋にしては不似合いな望遠鏡や天球儀。
その部屋の中で、ミルドレッド夫人は書斎机で腕組みをしてこちらを待ち構えていた。
「あら、来たわね」
黒髪にアメジストのような紫色の目、シックな色合いの上品なドレス。
思っていたよりも若々しく、美しい女性だ。
けれど、美しいだけではなくその表情からは気品と知性が感じられる。
「我がエルディック家へようこそ。知っていると思うけれど、私はミルドレッド・エルディック。この家の主よ」
優しい声色だが威厳がある名乗りだ。
少々圧倒されつつウィラもきちんと挨拶をする。
「はじめまして。ウィラと申します」
声が震えなかったか心配だったが、ミルドレッド夫人からは特に変わった反応は見られなかったので大丈夫だろう。
「突然のことになってしまってごめんなさいね。本当はもっとゆっくり時間をかけたかったのだけれど、こちらの方で少し面倒事があって。どうか許してちょうだい」
そんなことを言われてしまったら、頷くことしか出来ない。
何か事情があったということなら多少の納得はいくが、何故自分がここに来ることになったのか、その理由がまだ分からない。
しかし、それを問う前にミルドレッド夫人から先に口を開かれてしまった。
「素敵な髪色ね。夜空みたい」
その声色はけして嘲るようなものではなく、ただ、純粋な気持ちが感じられた。
昔、孤児院にいたあるシスターからも星空のようだと褒められて以来、ウィラにとってこの髪は唯一の自慢だったからだ。
「素材は良いのだからもっと磨くといいわ。明日、アイゼアと一緒に街で服を見繕ってらっしゃい」
「え?で、でもお金が・・・・・・」
服を何着も買うような金はないとウィラは断りたかったのだが、夫人はウィラの言葉を遮り愉快そうに笑った。
「ふふっ、何を言っているの。代金は全て私が払うわ。当然でしょう、あなたはこの家の娘なのだから」
この家の娘。
その言葉にウィラは、はっとした。
「一般的に言えばあなたの存在は隠し子ということになるけれど、そんなことを気にする必要はないわ。エルディック家の血を引いているのなら、この家の正当な後継者の内の一人であるのよ。当然のことじゃない」
その一番大事な部分がすっかり抜け落ちているのですが。
ウィラはそう言いたくなる気持ちを抑えて頷く。
恐らく夫人は、ウィラがその事を気にしていると思ったのだろう。
実際、ウィラはずっと気にしていた。夫人が思っているのとは少し違う理由で、だが。
しかし、血を引いていることが最も大切ならば、偽物である自分は一体どうなるのだろうか。
それに、シスターアルマの話によればミルドレッド夫人は『紺色の髪に赤い瞳の娘なら誰でも』と言ったはず。
それが、蓋を開けてみれば誰でもいいわけではないと。
(伝達ミス・・・・・・?いや、でもまさかこんなに重要なことをそうも間違えるわけがないでしょ)
となると、考えられることは少ししかないが、今のウィラにはあまり思いつきそうもなかった。
見目が似ていれば、血を引いていると認められてしまうのか。
それとも、血を引いているという『事実』が必要なだけであって『真実』は必要ではないということか。
どちらにせよ、ウィラはこの家とは何の関わりもなかったはず、ということは変わりはしない。
なんだか、このままでは真実を話す機会を失ってしまいそうな気がしてしまい焦ってしまう。
だが下手に口を滑らせてミルドレッド夫人を怒らせるわけにはいかない。
あの孤児院を支援してくれているのは、他でもない彼女だからだ。
「あっ、あの!」
せめて、なにか少しでも知れないかと思いきって聞いてみる。
夫人はウィラが質問をすることを予想していたようでその優雅な笑みは一切動かない。
「なにかしら」
「どうして、私はこの家に来たのでしょうか。庶民の私ではこの家になんの貢献もできません。私は・・・・・・」
どんどん自信がなくなって、だんだん声が萎んでいく。
頭も俯いていくが、ミルドレッド夫人の言葉でウィラはすぐに顔を上げることになった。
「馬鹿ね。私はあなたにも、そこにいる息子にも期待なんて押し付けがましいことはしていないわよ。あなたがここにいる理由はいずれ分かるわ。私からは、ただ、夫の忘れ形見を引き取りたいと思っただけよ」
なんてことないように言ってのけたが、彼女は、隣国の魔術学院にいる息子にさえ期待をしていない、と言ったのだ。
ウィラは呆気に取られてしまった。
期待をすることが押し付けがましい、とまできっぱり言い切るとは。
普通だったら彼の肩書きは褒めそやされるべきものだと思うのだが、やはり貴族となると庶民と価値観が違うのだろうか。
ウィラのことも、忌み嫌われるような隠し子ではなく、ただ忘れ形見とだけ形容するところもだ。
ともかく理由はいずれ分かるという曖昧なことだけ分かったので、知りたくば自力で調べることが必要なのだろう。
と、ウィラが呆気に取られている横で
「相変わらずだね、母さんは。じゃ、俺はもう行くから。それと、次からは大事なことはちゃんと伝えてくれるとありがたいよ。サプライズはあんまり得意じゃないからね」
「あら、もう行ってしまうの」
最後の一言には無視をして、夫人は去っていこうとするアイゼアにそう言った。
「そうだけど、何か?」
アイゼアは困ったように苦笑いをして目を逸らしている。
「せっかくだから、あなた、彼女に屋敷を案内してあげなさいな。今日も暇してるんでしょう」
「母さん、俺は暇人じゃないよ。休暇とはいえ研究のことから手を離すわけにはいかないんだ」
すると夫人は、アイゼアをからかうかのような表情で笑った。
「ふふっ、それはこの家の庭で花見をするよりも価値のあるものだったかしら?」
そう言われると、いかにも降参だとでも言うかのように頭を抱えつつ、アイゼアは諦めて反論を止めた。
夫人には勝てないのだろう。
しかし、自分のために時間を割いてもらうのは申し訳がないので断ろうと申し出をしようとしたのだが、その前にアイゼアから手を引かれて書斎から連れ出されてしまった。
「こっちだよ、まずは君の部屋からね」
「お待ちくださいアイゼア様!」
あわあわとフィオナが書斎から追いかけてくるが、アイゼアはフィオナが持ったままだったウィラのトランクを手早く攫った。
「俺が案内するからいいよ。気にしないで」
有無を言わせず颯爽とウィラの手を握ったまま歩いていく。