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第一話

始まりは突然のことだった。


いつもどおり皆よりも早く起きて、朝食の用意をするシスターたちを手伝っていた時のことだ。

もうすぐ子供たちを起こしに行かなくてはいけない時間だと言うのに、シスター長のアルマから話があると別室へ連れていかれた。

自分はなにかまずいことをしてしまっただろうか。

考えても思い当たる節はない。

一体なにが、とアルマの顔色を伺ったところ、全く予想外だった言葉が降ってきた。


「今日からおまえは伯爵家の娘だよ」


てっきりお叱りを受けるのだと思っていたウィラは、一瞬何を言われたのか分からずぽかんとしてしまった。


「・・・・・・え?」


「おまえを引き取りたいと、エルディック家のミルドレッド夫人が仰られたんだよ」


重たい声でそう言ったアルマの眉間には、深い皺が刻まれている。


エルディック家といえばこの辺りの領主で、伯爵亡き後は妻であるミルドレッド夫人が家を取りまとめている。

由緒正しき家柄の貴族で、ウィラには一生縁のない家だ。

そのはずなのに、自分を引き取りたいと?

ウィラにはアルマが何を言っているのか、さっぱり飲み込めなかった。


「・・・・・・どういうこと、ですか?」


「いいかい、よくお聞き。おまえは、エルディック伯爵の隠し子なんだ」


「かくしご?」


子供がするように繰り返してから、思わず叫んだ。


「えっ、私が!?いやいや、違いますけど!?」


アルマはウィラが伯爵の隠し子であると言ったが、ウィラの父は伯爵ではない。


「たしかに私のお父さんは私がうんと小さい頃に死んじゃいましたけど、でも伯爵なんかじゃないですって。それに、お父さんはライナスって名前で平民で、お母さんとは食堂で知り合ったって」


顔や姿は覚えていないものの、母が生きていた時にはよく父の話を聞かされていた。

ライナスという名の彼は、母が働いていた食堂で出会い恋仲になったという。

お互い平民で素朴な暮らしだったが、毎日が楽しかったと、まるで乙女のような顔で母は嬉しそうに語っていた。


それに、伯爵が亡くなったのは数年前のことだ。

ライナスが死んだのはそれよりも前だから、辻褄が合わない。

もっとも、ライナスの存在が架空のものだったとしたら合うだろうが、思い出の品々や母が所持していた彼の直筆の手紙が証拠になる。


「シスター、これはきっと何かの手違いですよ」


「そうだろう、あたしたちも疑ったさ。でもね、夫人がおっしゃるのならそうなるんだよ」


どういう意味だ、と思っていれば。


「紺色の髪にワインレッドの瞳。これが隠し子の特徴らしいが、このあたりの孤児院でその外見をしているのはウィラだけだ。それに、このワインレッドの瞳はエルディック家の象徴だろう」


アルマがウィラの赤い瞳を覗き込む。

紺色の髪は母譲り、赤い瞳は父譲り。

たしかにウィラは変わった風貌かもしれないが、だからといってそれだけで伯爵家の血を引いているなどと思われても、とても信じられない。


「でもなんで今更そんなことを?それに、隠し子なんていない方がいいんじゃ・・・・・・」


ウィラには貴族のことは分からないが、隠し子がいいイメージを与えないことぐらい分かっている。

エルディック家にとって、ウィラを迎えることはスキャンダルになりかねない話ではないのだろうか。


「夫人は『紺色の髪に赤い瞳の娘なら誰でもいい』とおっしゃるんだよ。とにかく、その特徴に一致する子を連れてこいって」


アルマにそう言われても、ますます分からない。

しかし、これ以上の問答は続けてくれないようでシスターが話を切り上げてしまった。


「とにかく、今日の午前中には迎えがきてしまうんだ。急で悪いが、今すぐ荷物をまとめて出発する準備をしてくれ」


今日の午前中なんてあまりにも急すぎるじゃないか。

子供たちやシスターたちとちゃんとお別れもできないまま連れていかれるなんて、たまったものではない。


「待ってください、シスターアルマ!こんなの納得できません!」


去っていこうとするアルマに思わず声を上げてしまったが、振り返った彼女の顔を見て、ウィラは言葉を失った。


アルマは泣いていた。

普段は厳しくてめったに泣いたりなんかしないアルマが、目元を赤くしているのだ。


「あたしたちだってそうさ。でもこの孤児院の運営を支援してくれている、他でもないミルドレッド夫人の頼みなんだ。そう簡単に断れやしない」


噛みしめるようにそう言うと、アルマはウィラをぎゅうっと抱きしめる。

ウィラもたまらず抱きしめ返した。


「大丈夫だよ、ウィラ。おまえは賢い子だからね。きっとどこでだってやっていける。でもね、帰りたくなったらいつでも帰っておいで」


「シスター・・・・・・」


「なあに、心配はいらない。ミルドレッド夫人は子供たちに優しい方だ。おまえが望むことなら、なんだって叶えてくれるだろう」


いつになく優しいシスターの声に涙ぐんでしまう。

母が亡くなってからずっと面倒を見てくれていたこの孤児院を、いつかは離れることになるのは分かっているつもりだった。

子供たちの面倒を見たり、シスターたちの手伝いをしたりするだけじゃ駄目で、街へ出て自分の力で生きていくことになるんだと。


(でもまさか、こんなに突然だなんてね・・・・・・)


アルマと共に食堂へ戻ると、既に子供たちは揃い始めていた。


「ウィラ、おはよう。ねぇどうして今日は起こしてくれなかったの?」


寝ぼけまなこのちびっ子が、ウィラのワンピースの裾を引っ張ってぐずっている。

ウィラが起こしに来なかったことが不服だったようだ。


「おはようライアン。ごめんね、私はシスターと大切な用事があるの。ほら席に座って。みんな待ってるわよ」


「はぁい」


ウィラが宥めるとライアンは大人しくテーブルに向かっていく。

いつもどおり食堂は子供たちの声で騒がしいが、この騒々しさも明日から無くなると思うと切なくなってしまった。


「あれ?シスターアルマ、どうしたの?」


「泣いてるの?大丈夫?」


「ほらほら、早く座りなさい。もう朝食の時間ですよ」


アルマの様子がいつもと違うことに目敏く気づいた子たちもいたが、アルマに急かされて誤魔化される。

子供たちは後引かれるようになりつつ、朝食の席へつく。

その喧騒を後にして、ウィラは荷物をまとめるために部屋へ戻っていった。


これから先どうなるのか、まるで実感が沸かない。

ミルドレッド夫人は良き人だと聞いてはいるが、なんの前触れもなく迎えにこられたって困るだけだ。


(エルディック家って、なんなんだろう・・・・・・)


トランク一つに一生懸命荷物を詰め込む。

悪い夢でも見ているようで、きっとすぐに目が覚めたらいつもと同じ日常が戻ってくるだなんて気さえしてくる。

などと考えていると、ふいに、コンコンというノックの音が聞こえてきて顔を上げる。


「ねぇ、ウィラ。どこかへ行っちゃうの?」


「フェイ!」


入ってきたのは、同室のフェイだった。

同じ年頃の少女で、ウィラがここへ来てからもうずっと一緒にいる親友と呼べる存在だ。


「シスターから聞いたよ。伯爵さんのお家へ行っちゃうんだってね」


拗ねたような声で言うが、その目は今にも泣き出しそうだ。

相当動揺していたのか、彼女自慢のふわふわの栗毛が少し乱れている。

おそらくアルマが伝えたのだろう。

フェイはウィラにとって大切な人だ。

どのタイミングでどんな顔で話せばいいのか分からなかったので、先に知られてしまった方がまだ楽に感じられた。


「ごめんね、フェイ。私もついさっき知らされたばっかりで、どうしていいのか分かんなくて」


言いたいことがたくさんありすぎて、上手くまとまらず、どうしても言葉につまってしまう。

そんなウィラに向かって、フェイがはっきりとした物言いで遮った。


「わたしのこと、忘れたら許さないから」


「フェイ・・・・・・」


「手紙もたくさん書いてくれなきゃ、嫌いになっちゃうんだから!」


叫ぶようにそう言いながら、フェイはウィラに抱きつき肩に顔を埋める。

華奢なフェイの腕には、いつになく力が込められていた。


「ううん。うそ、ごめん。嫌いになんてならないよ、ずっと大好きだよ・・・・・・」


消え入りそうな震えた声で、精一杯フェイは思いを伝えてくれた。

中々素直になれないフェイが、こんなにも必死になって本音をぶつけてくれるなんて。


「フェイ・・・・・・私も大好きだよ。大丈夫、またすぐに会いに来るわよ」


ウィラもつられて、泣きそうな声で返す。

忘れるわけがない。

ここで暮らしてきた日々のことは大切な思い出だ。

手紙もたくさん書いて、週末には孤児院に遊びに戻ってくる。

みんなのために美味しいお菓子をおみやげにして、フェイにはお揃いのリボンをプレゼントする。


どこへ行ったって、誰の子供になったって、ここでの暮らしは宝物なんだ。


突然の別れに、まだ気持ちの整理はつかない。

けれど、自分の心を強く持っていればきっと大丈夫だ。


ウィラは顔を上げて、真っ直ぐ前を見据えた。

それからもう一度だけ、フェイのことを抱きしめた。


エルディック家の使者が迎えに来たのは、それからすぐの数時間後のことで、ウィラは馬車に揺られながら伯爵家へ向かった。

道程はさほど長くはなかったが、ウィラにとっては長い長い時間のように感じられて、馬車の窓辺から見える景色を目に焼き付けるように見つめていた。

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