第十七話
明くる日、ウィラとアイゼアは再び王城を訪れていた。
もちろん、夜会に参加するためである。
ユリシーズ殿下が以前に仰られていた、個人的な夜会に招待していただいた。
彼と親しい人物や家柄の者が集まっていて、前回の舞踏会ほどの賑やかさはないものの、その分濃い面々が集まっていると言えよう。
ウィラたちと同年代の年頃で、恐らくユリシーズ王太子の友人であろう方々が多い。
あとは、娘が招待されたことで殿下へ王太子妃にとアピールできる良い機会だと思ったらしい親たちもいるぐらいか。
二度目の社交界となれば以前のような緊張感も少なく落ち着いていられる。
(でもこれ何に使うんだろう?なんか鍵付いてるし・・・・・・)
出掛ける前、ミルドレッド夫人から渡されたものだ。
小さな箱で、指輪を収納するケースと同じくらいの小ささ。
『きっとあなたの役に立つわ』、なんてミステリアスに微笑んで渡されたが、一体何に使うのか見当もつかない。
またしても鍵付きの箱だなんて、つくづく厄介な縁でもあるのだろうか。
そもそも箱が必要になる夜会とは一体なんなのか、考え出したらキリがない。
「どうした?」
「ううん、なんでもないよ」
ため息を振り払い、アイゼアの隣を歩いていく。
どうやら貴族界にはまだまだウィラの知らないことがたくさんあるらしい。
煌びやかなシャンデリアの光はまだ少し眩しかった。
「ウィラさん!ここでお会い出来るなんてなんという奇跡でしょうか!私は貴女にずっと会いたいと思っていたのですよ」
会場に入った途端、偶然近くにいたキーランに見つけられた。
大喜びで寄ってくる彼に、アイゼアはうんざりした顔になった。
「俺は会いたくなかったな」
「お前のことは聞いてない!・・・・・・いえ、失礼。ウィラさん、よければ二人でどこか落ち着いた場所に・・・・・・」
キーランのことは嫌いではないが、二人きりで長々と会話ができる自信が無い。
やんわりとお断りしようかと悩んでいたら。
「あら、お兄様。わたくしをおいてどこへ行くつもりなのかしら?」
鈴の音のような美しい声が聞こえる。
一体どこからと思ったら、キーランの背後で、まるで物語のお姫様のように麗しい令嬢が微笑んでいた。
キーランと同じ赤い髪の色に、特徴的な薔薇の髪飾り。
「わたくしはロザリー・バーンズ、キーランの妹です。兄からはよくあなたのお話を聞かせていただいているのよ」
優しい笑みで挨拶をしてくれる。
ということは、この素敵な彼女がライリーに紹介してもらったあの雑貨店を経営しているキーランの妹さんだ。
「そうなんですか!?あっ、私はウィラ・エルディックと申します・・・・・・ってもうご存知でしたね」
「ええ。美しい紺色の髪を持つとっても素敵な女性がいるのですってね。でも本当、兄の話の通り絹のような美しい髪だわ」
「そ、それほどでも・・・・・・」
一体キーランはウィラのことをどれほど美化して語っているのだろうか。
実物とのあまりの落差にがっかりされないか不安になりそうだ。
「そんなに気を使っていただかなくても結構よ。お互い同じ年頃なのですし、もっと仲良くしましょう?」
「はい・・・・・・!」
ロザリー嬢はなんて素敵な人なのだろうか。
ウィラはもう感動でたまらなかった。
「なぜ俺ではなくロザリーの方が好かれるんだ!?」
悔しそうな顔をするキーランをアイゼアが意地の悪い顔で笑う。
兄の友人以外で仲の良い知人がいない、というのは大きな悩みであったがこんなに素敵な人と友達になれるとは。
「そうだ、殿下へのご挨拶はまだじゃなかったかしら?引き止めてしまってごめんなさいね」
「いえ、お気になさらず」
アイゼアがすばやく仕事モードで対応すれば、キーランが張り合うようになる。
「ではまた後ほどお会いしましょう、ウィラさん!」
にこやかに頷いて微笑み返せば、キーランの顔がぱあっと綻ぶ。
(彼ってとっても綺麗な顔をしているのに面白い性格まで備えているのね・・・・・・)
感情が表に出やすいのだろう。
有名な商家の子息がそれでいいのかとは思うが、彼のそのユーモアのある性格は好きだ。
さて、ユリシーズ王太子殿下はどこで人に囲まれているのやらと思ったら。
「やあ、アイゼアにウィラちゃん!ついこの間ぶりだね」
「ライリーじゃないか」
これから殿下に挨拶へ向かうらしいライリーがいた。
そのちょっと離れたところに、年上の男性と彼の娘らしき令嬢がいる。
ロザリーとは違って大人びた表情でどこか近寄り難いが、それよりもウィラは男性の方が気になった。
(翡翠の指輪・・・・・・あの人、ファーディナンド侯爵だ)
そして、ライリーとは関係が悪いと。
「この間のプレゼントはどうだった?」
「とっても喜んでくれたの!フェイもすっごく気に入ってくれて、本当にライリーさんに聞いてよかったわ!」
「それなら良かった。ほんと、君たちは仲良しだね」
「えへへ」
そうなのだ。
ウィラとフェイは仲良しで永遠の親友なのだ。
ライリーに褒めて貰えたことが嬉しくてますます笑顔になってしまう。
「なにデレデレしてんだよ」
「え!?そんなことしてないけど!?」
なんだか今日は素の状態に近い気がする。
もっとも、ウィラに対してだけだが。
「それよりライリー、また侯爵と一緒なのか?」
「まあね。招待はしていただいたとはいえ、当主を差し置いて僕だけ殿下に会うわけにはいかないし」
アイゼアが声をひそめて聞くと、ライリーも苦笑いで返した。
「仲が悪いのに、一緒に来るんですか?」
言葉が率直すぎたかもしれないと思ったが、言ってしまったものは仕方がない。
「うん、まあ・・・・・・殿下は、僕の家庭のことを心配してくださっているからね。何かきっかけを作れたらって、いつも気を使っていただいているんだ。僕としては、もういいんだけどね。それでも殿下からのご配慮なら、ありがたく受け止めないと」
あははっ、と気丈に笑ってはいるが、内心にはかなりの疲れが見える。
その顔を見れば王太子殿下が気にかけるのも分かるだろう。
彼らの関係の改善に手を尽くしているようだが、難航しているようだった。
「ライリー。ご友人かな?そちらのお嬢さんは、あまり見たことの無いお方のようだけれど・・・・・・」
こちらの様子を伺っていたファーディナンド侯爵の方から先に声をかけられた。
もっとお互い嫌いあっているのかと思っていたが、侯爵は柔らかい声音でとてもライリーと険悪そうには見えない。
「ウィラ・エルディックと申します。」
「ああ!あのエルディック家の!ではうちの娘とは同い年だね」
侯爵の言葉を受けて、侯爵の傍らで微笑んでいた令嬢がすっと前に出てくる。
「イザベラですわ。よろしくお願いいたします」
いえいえこちらこそ、なんて先程もロザリーとしたばかりのやり取りをする。
しかし、ロザリーとは違ってイザベラは大人びていてすっと背筋を正したまま姿勢も表情も変わらない。
礼儀正しく美しく、同い年なんて言われても信じられないくらいの相手だ。
「おお、皆揃っているようではないか」
よく通る声にぱっと顔を上げれば、ユリシーズ殿下がこちらへ向かってきていた。
今日も輝くような笑顔で、くらくらしそうだった。
「ウィラ嬢も、そろそろ社交界には慣れた頃だろうか?」
「はっ、はい・・・・・・!」
なんて眩しいのか。
こういう時、自分がいかに面食いなのかを実感させられるが仕方ないだろう。
昔、殿下の姿絵を売っていた絵師が街にいたがどうしてあの時買っておかなかったのかと悔やまれる。
「殿下、此度の案件についてはどうなりましたか」
侯爵が少し声量を下げてそう聞いた。
「ああ。先日の一件では世話になったな。まだ少し不安要素はあるが、どうやら無事に解決できそうだ。協力感謝する」
「いえいえ、殿下のお力になれたのであれば幸いです」
内容は分からないが、恐らく政治に関することだろう。
エルディック家もそうなのかはまだ分からないが、侯爵家ともなれば色々と国の政治に関わる面もある。
なんだか、自分がこの場にいるのが場違いな気がしてきた。
「まあ、今日は堅苦しい話をしたいわけではないからな。少しぐらいは仕事のことは忘れて肩の力を抜いてくれ」
「お気遣い感謝いたします、殿下」
殿下とファーディナンド侯爵は、かなり近しい間柄のようだ。
ライリーは彼らのことをどう思っているのだろうか。
ちらりと隣にいる彼を見るが、特に表情の変化は見られなかった。
「王太子殿下!こちらに・・・・・・」
「ああ、今行く。全く、いつも慌ただしいやつだな。すまないが、それでは失礼する」
遠くから従者らしき人物に呼ばれて、王太子殿下は忙しそうに去っていく。
「ははは、そう言う殿下こそ慌ただしいお方だなぁ・・・・・・それで、そこの君」
びくっと一瞬肩が跳ねる。
先程まで温厚に見えたファーディナンド侯爵の声音が、明らかに変わった。
「わ、私ですか・・・・・・?」
「そうだよ。君、今噂になっているエルディック伯爵家の娘だと言うがね・・・・・・本当のところはどうなんだい?」
その棘のある言葉に、やはり来たかと項垂れる。
伯爵の遺言を知らない人々には、ウィラの存在は異物といっても過言ではないだろう。
エルディック伯爵家の子息は隣国へ留学し優秀な成績をおさめていて将来は安泰だ。
ミルドレッド夫人が養子を取る必要性は全く無いそんなさ中に突然現れた謎の娘、それも幼子でもない十六歳など疑われるに決まっている。
(ああ、なんとなくライリーがこの人たちのことを苦手だってこと分かるかも)
もちろん、ファーディナンド侯爵の反応は正しいものだ。
ウィラも、自分がもし生まれも育ちも名高い貴族家だったら、ウィラのような怪しさ満点の存在は疑うだろう。
ライリーやキーランはアイゼアという見知った相手がいたからこそ、初めから友好的でいてくれているだけ。
だからといって俯いているままではいられない。
(今の私は自信をもってエルディック家の娘を名乗れる)
顔を上げれば、どこか冷めた顔のイザベラがこちらを見ていた。
認めて貰えるかは分からないが、せめて胸をはって名乗りたい。
「私は、れっきとしたエルディック家の娘です」
だが、ファーディナンド侯爵の反応はずいぶん嫌味なものだった。
「ははっ、そうかい。それは失礼した。いやなに、君の素性があまりにも知れないものだからねぇ」
何か言い返したいが、それはできない。
今の自分に反撃できるほどの力がないことに、歯がゆさを感じる。
だが、また俯きかけたウィラの顔を上げさせたのは、ライリーの声だった。
「───────いい加減にしたらどうかな、叔父さんたち。素性を知られたら困るのはあなたの方でしょう」
普段の優しい声ではない、低く冷たい声。
そして、汚らわしいものでも見るかのような暗い瞳。
いつものライリーからは絶対に想像出来ないような姿に、ウィラは困惑する。
「ライリー・・・・・・?どうしたんだい、急におかしなことを言い出して」
「おかしなことは言ってませんよ。未だに僕が何も知らないとでもおもっているんです?」
「おいおい、ふざけるのはよしてくれ。私にはなんの事やらさっぱりだよ」
ファーディナンド侯爵は、ライリーが何を言っているのかさっぱり分からないといった様子だ。
後ろで控えているイザベラは、呆れたような顔までしている。
「ラ、ライリーさん?一体、何を・・・・・・」
だが、そこでふと気づいた。
兄がいない。
隣にいたはずのアイゼアの姿が、どこにも見えない。
そもそも、アイゼアなら最初にファーディナンド侯爵に嫌味を言われた時点で反論してくれたはずだ。
ということは、もうその時点で姿を消していたということになる。
(まさか、いつの間にいなくなったの!?)
全く気づけなかった。
そしてわざわざ黙ってこっそり消えていくということは、なにかしらの裏事情があったと考えられる。
「ちょうどいい機会ですし、ここにいる皆さんに見てもらいましょう。叔父さんたちは知らないでしょうけど、僕みたいな役立たずでも随分魔術が上手くなったんですよ」
「ライリー、ふざけるのはやめなさい!」
苛立ったような侯爵が、ライリーに怒号を飛ばすが彼は一切動じない。
周囲も何事かとざわつき始める中、ライリーは群衆の中へ堂々たる様子で進んでいく。
周りにいた人々は揉め事でもおきたのかと遠のいていき、取り囲むような形になった。
なんだかとても嫌な予感がする。
突然様子のおかしくなったライリーに、消えてしまったアイゼア。
良くないことが起きる・・・・・・そんな不安が、唐突にウィラの胸を過ぎった。
ライリーは皆が見つめる中、すっと手を伸ばして口を開いた。
「来い───────《ウェール・リベル》!」