虎になれなかった男。
山月記を読んだ。仕事に馴染みきれず、趣味にも打ち込みきれず、すべてを捨てて山へと向かった男が、いつの間にか虎になった話だ。そこで虎はかつての友人と出会い、昔話に花を咲かせる。そして虎になった者はいずれ自分はヒトで無くなる。その前に己の姿を見て欲しいと語るのだ。友人が見たその虎の姿はどこか寂しげで、それでいて私から見ればとても魅力的だった。
私も世俗から離れ、獣と化した彼のようになりたいと思ってしまった。私自身もすべてに疲れ切っていた。だから己の束縛をすべて振り切り、山の中を無我夢中で駆け巡り、他の獣の肉を喰らう、本能に従う虎になりたかった。そうすればきっとすべてを忘れられる。楽になれる。そう思ったのだ。
世俗から離れる方法ならいくらでもある。いっそのこの命を断つこともひとつの手段だろう。だが私はそこまでの覚悟が無かった。死にたくはない。でもこの世界の重圧には耐えられない。毎日毎日擦り減らされる精神に、いつかあの虎になれたら、と夢想してしまうのである。
幸い自分には家族と呼べる存在も、親族と言えるほどの血筋も、友人と呼べるほど親しい相手もいなかった。私は常に孤独であった。もしかしたら外側から見ればそんなことは無かったのかもしれない。でも私はひとりきりだった。何にもなかったのだ。
張り詰めた糸は突然、ぷつりと切れるものである。私の中の糸も、唐突に切れてしまった。仕事を終えた私は、赤く燃える夕暮れの中、あの山月記の主人公のように、その足で近くの山へと向かった。私も虎になろう。虎になって世俗から離れ、人の理性を捨て、獣の本能のままに生きるのだ。そう考えると、どこか不思議と、気が楽になっていった。
山に辿り着いた頃には、赤かった空も薄暗くなっていた。私は決意するように所持品や、身元が分かるようなものを、持ってきたライターですべて燃やした。白や黒い灰になっていくそれをぼんやりと眺めてから、私はふらふらと山奥へと歩いていった。目的なんかない。このまま飢えて死ぬか、それとも野生動物に喰われて死ぬか。その前に獣になれたなら、この山の一員となれたなら、どれだけ幸せだろう。
ふと私は、獣のように大きく吠えてみた。遠くまで木霊する己の声に満足感を抱いた。そして両手両足で、まるで獣のように走ってみた。どこまでもどこまでも、疲れるまで走ってみた。虎になれなくてもいい。私は獣になりたい。その欲望のままに、私は山を走り回った。
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ハイキング客の通報で、ひとりの男が捕まった。全裸で野を駆け回り、そして肉を喰らうその姿は、ヒトではなく獣のそれだった。ヒトの姿をしているものの、錯乱しているのか、その男は人語をまったく解さなかった。捕らえる際にも暴れ回り、警察の手を煩わせた。
その男の身元が分かるようなものは何もなく、大々的にニュースで扱ったものの、親類にあたる存在も見つからなかった。会話をしようにも、暴れるためコミュニケーションすら不可能な状態だった。名前も何もわからない。まさに獣のようだと、とある刑事がぽつりと漏らした。
結局その男は警察から精神異常者として扱われ、その筋の病院に入院し、牢のような部屋の中で、ずっと言葉にならない声を上げながら暴れまわっているのだという。