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「A太!」

 僕は反射的に大きな声を出していた。

 とにかくこの状況から逃げ出したい。縋りつく様な気持ちでA太に呼びかけた。けれどA太はそれに気づかないのか、人込みの中にすっと消えていった。

 慌ててその場から走り出してA太のあとを追う。人にぶつかってもお構いなしに走り続けた。あいかわらず街中にいる人たちはにやにやと僕を見て、何かを呟くように口を動かしている。

「おーい、こっちだ」

「早くこっちを見ろよ」

「こっちを見てくれ」

 その不気味な声が、もはや周りの人間がしゃべっているのか、自分の頭の中で響いているのか分からなかった。

 誘うような声が何を見せようとしているのかは分からない。ただ、絶対にそれを見てはいけないという事だけは分かった。僕は目をつぶって必死に人込みの中を走り続けた。


 どれくらい走っただろうか。途中からA太の事も忘れてめちゃくちゃに走っていた。

 ふと気づくと、既に日は暮れて辺りは暗くなっていた。駅に近い街中からかなり離れた場所まで来ていたようだ。大学にほど近い閑静な住宅街。周りに人影はない。

(あれは、いったい何だったんだろう……)

 真夏の炎天下でこれだけ走り回ったのだ。身体は異常に熱く、頭の中は煮えたぎったようで、まるで思考がまとまらなかった。

 切らした息を整えながら、ぼーっとした頭で考える。笑う人たち、不気味な囁き。

 そのどれもが現実離れしていて、けれど確かに体験したという感覚だけは脳裏に焼き付いていた。でも到底受け入れられる事実じゃない。

(きっと、暑さで悪い幻覚を見たんだ。頭がやられて変な声が聞こえたんだ。きっと、そうに違いない……)

 とぼとぼと歩きながら、繰り返しそうやって自分に言い聞かせて悪いイメージを頭から追い払った。

 ふと辺りを見回すと、どうやら歩いているうちにA太が住んでいるアパートの近くまで来ていたようだ。途端に、街中で見かけたA太の事を思い出した。

(そういえば、A太はもう帰ってるんだろうか……)

 もしかしたら、あのA太も幻覚だったのかもしれない。不安を覚えつつ、ポケットに入った携帯を取り出してLINEを確認するが、A太からの返信はない。

 アパートに行ってみれば、思いのほか元気なA太がいるかもしれない。「ごめんごめん、携帯が壊れて返信できなかったんだよね」なんて、何でもないような雰囲気で笑って誤魔化すのだ。Y子はA太がもう戻らないだの訳の分からない事を言っていたが、あんなのは出鱈目だ。精神的に病んでいたY子がただ妄想を言っただけだ。

 そう考えながら、疲れ切った身体を引きずるようにA太のアパートの前まで来た。

 木造二階建てのアパート。築三十年ぐらいとA太は言っていたが、外壁が薄汚れていたり外階段の手すりがさびていたりで、実際よりもかなり古い建物に見える。

 昨日もA太のアパートに来たというのに、なんだか今日は誰も住んでいないような、そんな薄気味の悪さを感じた。

 外階段をのぼって、A太の住む二階の角部屋の前に来た。扉の向こうから音はない。

 呼び鈴を一度鳴らす。しばらく待ったが、何も返事は無い。

 再度、呼び鈴を鳴らしたが、いくら待っても物音ひとつ聞こえなかった。

 ドアノブに手をかけるが、鍵はかかったままだ。

(まだ、帰ってないんだな……)

 扉の前にある手すりに寄りかかりながら、アパートの前を見下ろす。当然A太が帰ってくる気配はない。そのままポケットから携帯を取り出してLINEを確認するが、案の定返信もなかった。

「はあ……」

 なんだかどっと疲労感が襲ってきてため息が出た。

(昨日から訳の分からないことだらけだ……。幻覚や幻聴もそうだけど、A太は音信不通だし、Y子はテレビ男が何とか言ってたし……)

 はたと、昨夜の飲み会の最後にY子が言ったことを思い出した。

 “A太くんはテレビ男にされた。もう戻って来れない”

 テレビ男。酔いが回った時に言われた言葉だから今の今までその単語を思い出せなかった。だが、Y子ははっきりとそう言っていた。テレビ男、と。

(テレビ男って、あの都市伝説の話の中に出てきてたやつだ)

 Y子がなんで都市伝説の話をしたのかよく分からないが、Y子はこうも言っていた。

 ”次はあなたの番”

 まるでその話の結末を知っているかのような話しぶりだった。次に誰がどうなるのか、全てわかっているかのような。そんな不気味な話し方。

 テレビ男の話をもう一度読み返そうと、ネットで調べて都市伝説のサイトを開き、読み直す。奇妙にも、にやにやと笑う男や幻聴の話が、今日の自分の状況と一致しているように思えた。だがその話の最後は、やはり歯切れの悪いもので、何度読み直しても意味が分からなかった。

(結末が分からないんじゃ意味無い、か……)

 またため息をついて、携帯をポケットにしまおうとした。その時だった。

 携帯に突然「A太」と表示された。A太からの着信だった。

「え、A太か?」

 慌てて電話を取ると、すぐに電話の向こうからA太の声が聞こえてきた。

「おー、やっとつながった!」

「A太? どこにいるんだよ? 飲み会終わってからずっと連絡ないし、何かあったのか?」

「おい、今家にいるか!?」

 A太はどうやら興奮気味で、何が楽しいのか声がうわずっていた。

 その様子に、安堵と少しのイラつきを感じながら、僕は語気を荒げて答えた。

「は? 家? どういうことだよ? てかめっちゃ心配したんだぞ。Y子さんの事とかさ、色々あって、全然お前に連絡つかないし」

「ごめんごめん、ちょっと調子悪くてさ」

「調子悪いってなんだよ、……入院したのか? ったく、それなら返信しろよな」

 しきりとごめんごめん、と謝るA太。とりあえず無事だったことが確認できて、ふうと息をついた。

「……で、お前、いま家にいる?」

「いや、今A太ん家の前にいるわ」

「あーそれならちょうど良い、部屋に入ってきてくれよ」

「……部屋?」

 ガチャリ――キィィ

 と、突然背後から重たい何かが動く音がして、続けざまに甲高い嫌な音が響いた。

「……え」

 恐るおそる振り返ると、A太の部屋のドアが少し開いていた。

 隙間から除くA太の部屋は真っ暗で、何も見えない。

 そのまま僕は固まったように、その暗闇を見つめた。

「そのまま、部屋に入ってきてくれよ」

 電話の向こうから楽し気にA太の声が響く。

「えっと、ちょっと待て。A太、いま家にいるのか?」

「いいから、いいから。で、入ったらさ、テレビ点けてくれよ。チャンネルは4な。面白いもの見せてやるから!」

 何か様子がおかしい。電話の向こうからはA太の声が聞こえるが、目の前の部屋の中からは声は聞こえてこない。家にいるなら、少しは声が聞こえてもいいはずだ。ふつう、電気だって点けるはず。

 それに、この展開はどう考えてもあの都市伝説そのものだ。さっき見返したテレビ男の話、そのままの流れが今現実に起きている。そんなことありえるだろうか。

 黙ったまま、なおも暗闇の中を見つめ続けると、電話口からは嬉しそうなA太の声が聞こえた。

「おーい、早く入ってこいよ」

 ふと、これは全てA太が仕組んだ悪戯ではないか、という考えが頭をよぎった。

 暑さの中で幻覚を見たり、幻聴を聞いた。僕のその様子を、街中にいたA太が見ていた。それを面白がって、先日読んだ都市伝説の流れを再現して、僕を怖がらせて楽しんでいるのではないだろうか。

 そう思うと、全てがそうとしか思えなくなってきた。

(さすがに、これは、やりすぎだろ……)

 悪戯にしてもひどすぎる。人を心配させておいて、からかうだなんて。

「おーい、早く部屋に来いよ」

 相変わらず嬉しそうにA太がそう言ったのを契機に、僕は無言で電話を切って携帯を握りしめ、そのままドアを勢いよく開けた。中に入って靴を脱ぎ捨てると、そのまま部屋に入り込む。

「おい! ふざけるなよ! さすがにやって良い事と悪い事があるだろ!」

 真っ暗闇の部屋に入って、すぐに壁際にあるスイッチを点けるが、何度やっても電気が点かない。

「A太どこにいるんだよ! 風呂か? トイレから電話してたのか!」

 勝手知った部屋の間取りで、暗闇の中でも部屋の位置は分かる。片っ端から人が居そうな場所に携帯のライトを向けてA太を探したが、どういうわけか一向に見つからなかった。

「隠れてないで出て来いよ! 人の気も知らないでさ!」

 布団をめくってみたり、クローゼットも開けるが、誰もいない。

 それどころか、全くと言っていいほど、自分以外に人がいる気配なんてしなかった。

「……どこにも、いない?」

 だが、鍵がかかっていたドアが開いた、ということは、A太はこの部屋のどこかにいるはずなのだ。誰もいないのに勝手に鍵があく事などあり得ない。

 血が上っていた頭が、静かに冷えていくのを感じた。

 と、ふいに携帯が鳴動した。ドキリと心臓が跳ねて、ぱっと携帯に目をやると、そこには「A太」の文字。ゆっくりと携帯を耳に持っていく。

「……もしもし」

 返事はない。

「い、いたずらだろ? もう良いからさ、出て来いよ。帰ってるんだろ?」

 遠く、かすかに呼びかけるような声が聞こえるが、何を言っているのか分からない。

「……A太?」

「……ぉ……、……だ」

 それは徐々に大きくなって、やがてはっきりと聞こえた。

「……ぉーぃ、こっちだ」

 A太の声ではない、誰か別の男の声。

 何かが目の端で動いているのに気づいて振り返る。

「おーい、こっちだ」

 部屋の隅にあるテレビ。その中に、不気味に笑う男の顔が映っていた。暗闇のなか、テレビは点けていないにもかかわらず、はっきりとその男が喋っているのが見えた。

 その男はにやにやと笑いながら僕にこう言った。

「やっと見たな」

 それきり僕の意識は途絶えた。

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