12.号泣
額に冷たいタオルが乗せられました。
そのひんやりとした感触に、シルヴィアはすうっと目を覚ましました。
「あら、起こしちゃったかしら」
「え……?」
驚きました。
トノハかと思ったら、王妃のアンジェリカです。
「王妃様……どうして……」
「家族が熱を出したのよ。様子を見に来るのは当然でしょ?」
王妃が笑顔を浮かべ、シルヴィアの頬に触れました。
「まだ少し高いわね。喉は乾いてない?」
「ええと、少し……」
控えていたトノハが、水差しが載った盆を差し出しました。王妃は水差しを手に取り、コップに注いでシルヴィアに渡します。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、ございます」
シルヴィアは体を起こし、コップを受け取りました。
冷たい水が乾いた喉に心地よく、ほとんど一息で飲み干してしまいました。
「おいしい」
「そう。よかったわ」
「あの、王妃様。お仕事は……」
「あの人に押し付けてきちゃった」
あの人、というのは国王のことでしょう。
うふふ、と茶目っ気たっぷりに笑う王妃。まもなく六十歳だというのに、可愛らしくて素敵な人です。
「あなたが熱を出すなんて、初めてね」
カゼひとつひかない丈夫な子。
それがシルヴィアの取り柄です。西都でも、熱を出して寝込んだのは小さい頃だけで、学校へ通うようになってからは一度もありませんでした。
「え、ええと……すいません。ご迷惑を……」
「謝らなくていいのよ」
王妃がシルヴィアを優しく抱きしめました。
突然のことで、シルヴィアはびっくりしてしまいました。
「あんな事があったんですもの。熱ぐらい出して当然よ」
あんな事。
東の庭園に忍び込んだことではなさそうです。どうやら王妃は、建国祭の事が原因で熱を出したと思っているようです。
「ええと……王妃様、建国祭からはもう一週間もたってるし……その、私の熱は……」
「建国祭の次の日、マリー嬢はずっと泣いていたそうよ」
「え?」
驚きました。
お見舞いに行ったとき、マリーはいつも通り元気でした。泣いていたなんて言われても信じられません。
「マリーが……泣いていたの?」
「あなたを守ろうとして、殺されかけたんですもの。その時は夢中でも……思い出したら怖くなったのでしょうね」
王妃はシルヴィアの頭を、ゆっくりと優しく撫でました。
「なのにあなたはケロッとして、涙ひとつ見せなくて……かえって心配よ」
「心配?」
泣かないのは強い証拠。だから何も心配する必要はないのに、と思ったシルヴィアですが。
「ええ。あなたは我慢強い子だから。本当は泣きたいのに、我慢しているんじゃないかと……とても心配よ」
王妃の言葉に、どきん、としました。
建国祭の夜、ひどい魔力酔いに苦しみ、もう嫌だ、西都に帰りたいと泣いてしまったこと。
バレないようにしていたつもりですが、ひょっとして気づかれていたのではないかと思ったのです。
「だ、大丈夫ですよ、王妃様。私は……ほら、野山を駆け回って鍛えているから、とっても丈夫なんです。だから……」
「シルヴィー」
ぎゅうっ、と。
王妃はシルヴィアを抱きしめました。一瞬、息ができなくなるほどの強さでした。
「……アルフレッドと同じね」
「え?」
「あの子はね、大丈夫、大丈夫と言い続けて、体調を崩したの。限界を超えてしまったのね。一時期、全く部屋から出られなくなったのよ」
「アルフレッド様、が?」
「ええ。気づいてあげられなかったこと、とても後悔したわ」
王妃の腕の力が緩みました。
「あの子の生真面目な性格は……私に似たのでしょうね。王太子として、次の王たる者として、強くあらねばならないと言われ続けて。そうあろうとして、ずっと我慢していたの」
王妃が、心配そうにシルヴィアの顔をのぞき込みました。
「あなたは……アルフレッドによく似ているわ。無理をさせているんじゃないかと、とても心配よ」
シルヴィアは戸惑いました。
――強い子ね。
夢の中で、何度も言われた言葉がよみがえります。
そう、シルヴィアは強い子なのです。この程度のことで人前で涙を見せるなんて、したりしません。
しては、いけないのです。
それなのに、王妃は言うのです。
「我慢してはだめ。泣きたいのなら泣きなさい。あなたは、まだ十歳の子供なんですからね」
シルヴィアの心がぐらりと揺れました。
そう、私は強い子だから。
怖くたって、泣いたりしない。
夢の中で誓った通り、どんなに怖くても我慢してみせる。
心の奥底で、そう思い続けていたけれど。
(……あれ?)
ぽろり、と涙がこぼれていました。
なんで、どうして、とびっくりして、慌てて涙を拭いましたが、次から次へとあふれてきて止まりません。
どうしよう、泣き止まなきゃと、おろおろしているシルヴィアを。
王妃はもう一度、今度は包み込むように抱きしめました。
「怖かったのでしょう?」
「……はい」
王妃の言葉に、シルヴィアは素直にうなずいていました。
「嫌なこともいっぱいあったのでしょう?」
「……はい」
「西都に帰りたいと、何度も思ったのではなくて?」
「…………は、い」
シルヴィアが隠していた気持ちを、王妃はひとつひとつ聞き出していきます。うなずくたびに、涙がポロポロとこぼれました。
「怖い思いをさせてごめんなさい。つらい思いをさせて本当にごめんなさい」
「わ、わたし……は……」
何か言おうとしたシルヴィアですが、途中からは言葉になりませんでした。
そんなシルヴィアを、王妃は愛おしそうに抱きしめました。
「よくがんばったわね、シルヴィー。でもね、もうがんばらなくていいの。泣きたいときは、思い切り泣きなさい」
その言葉がとどめとなり――張り詰めていた何かが切れました。
怖かった、嫌だった、つらかった、と。
隠していた気持ちが涙となってあふれ出てきます。もう止まりません。我慢なんてできそうにありません。
「ひっ……ひぐっ……」
我慢しなくていい、がんばらなくていい。
そう言ってくれた王妃にすがりつくと。
「う……うわぁぁん……」
王都に来て初めて、シルヴィアは声を上げて泣いたのでした。




