05 風家の当主
店の入口が開き、数名の男たちが入ってきました。
そろそろティータイムです。店内にお客が増えてきました。とうにカップが空になっているのに追加の注文もしない二人に、店主が険しい視線を向けています。
「それにしても遅いですね、ベンヌ殿」
少年のつぶやきとともにまた入口が開き、若い男が入ってきました。
残念ながらベンヌではありません。
ツナギ姿がひどく似合わない、若い男です。きょろきょろと店内を見回し、少年とコレーの隣の席が空いているのを見て、そちらに腰を下ろしました。
腰を下ろした時、ちらり、とコレーたちを見ました。この店には似つかわしくない、少年の姿に違和感を覚えたのかもしれません。
「もうそろそろ来てもいい頃なんですが。やはり、相手が悪かったのでしょうか」
「相手?」
少年のつぶやきに、コレーが眉を顰めます。
「今日呼ばれたのは、上司ではないのですか?」
「ええ、実は……」
少年は声を落とし、コレーだけ聞こえる声で言いました。
「ベンヌ殿、風家の当主直々に呼び出されてるんです」
「風……家?」
コレーの顔色がサッと変わりました。
花鳥風月の一つ、侯爵・風家。情報と謀略を司る一族らしく、その真実の姿は国民に知られていない、謎の一族でした。
「ベンヌ殿が新たに開発していた技術の一つが、風家の目に留まったそうで。その詳細を聞きたいと呼び出されたらしいのですが」
「そ、そうなの……?」
「おや、どうかされましたか? 顔色が優れませんよ?」
「い、いえ……ちょっと、驚いただけです」
「ああ、何せ風家ですものね」
「え、ええ……いろいろと、噂がある一族ですから」
「そう怯えることはないと思いますが」
青ざめているコレーとは対照的に、少年はワクワクした顔をしています。
「ベンヌ殿、早く来てくれませんかねぇ。私、風家当主がどんな方だったか、聞いてみたいんですよ」
花鳥風月のうち、風家だけは当主の顔も年齢も性別も非公表となっています。
当主と直接会えるのは、王族か同じ花鳥風月の直系のみ。国民の目にさらされる王室行事には、常に名代が出るという徹底ぶりです。
そんな風家には、不気味な噂があります。
資格なき者が風家当主に会うと、例外なくこの世を去っている、というのです。
「コレー様も、興味ありません? どんな方なんでしょうね?」
「あ、いえ、そんな……私は、平民ですから……」
「まあそうですよね。できれば関わらずにいたいですよね」
再び店の入口が開きました。
ですがやはりベンヌではありません。似ても似つかぬ、髭面の大男でした。
「混んできましたねぇ。さきほどから店主がイライラした顔でこちらを見ていますよ」
「あ、そ、そうですね」
「どうしましょう、追加注文して、もう少し待ちますか?」
少年の問いに、青ざめた顔のコレーが首を振りました。
「お会いできず残念ですが……今日は、帰ります」
「そうですか? うーん、そうですよね。仕方ありません」
少年は立ち上がると、コレーの分も含めて代金を支払いました。
「ベンヌ殿がお待たせしたお詫びです。ご心配なく、あとでちゃんとベンヌ殿に請求しますから」
「は、はい……ありがとうございます」
「お時間を取らせて申し訳ありませんでした。ベンヌ殿とはすぐ会えるよう、手配いたしますので」
「よ、よろしく、お伝えください」
コレーは足元に置いていた鞄を手に取ると、逃げる様にカフェを後にしました。
◇ ◇ ◇
さて、カフェを出たコレーですが、少年への言葉とは違い、自宅とは反対の方向へと急ぎました。
「なんで、なんで私……」
カフェでの出来事を思い出し、コレーは蒼白になりました。
初対面の相手に、なぜあれほどベラベラと話したのでしょうか。見知らぬ方とはお話しできませんと、いつものコレーなら席を立っていたはずです。
本当にわかりませんでした。
気が付けば、少年の会話に引きずり込まれていました。真の意図は何一つ話していませんが、それでもベンヌとの出会いからここに至るまでの経緯を、すべて話してしまいました。
疑いを持ってコレーの話を聞けば、誰もが気づくはずです。
いくらなんでも、できすぎている、と。
「あの子、一体……」
兄、ベンヌと言っていましたが、本当にあの少年はベンヌの弟なのでしょうか。
ベンヌの身辺は徹底的に調べました。ですが鳥家の現当主に、あのような庶子がいるとは初めて知りました。
いやそれよりも、少年が言っていたことが不気味です。
ベンヌは、風家当主直々に呼び出された、というのです。
「……まさか」
コレーは、ある噂を思い出しました。
数年前まで、壮絶な世継ぎ争いをしていた風家。その争いに決着がつき当主の座を手に入れたのは、まだ十一歳の少年。そんな噂が、まことしやかに流れているのです。
もしもその噂が、真実であったとしたら?
そう考えた瞬間、コレーの全身から血の気が引きました。
「嘘だろ……当主って嘘だろ……何でそんな大物が出てくるんだよ!」
あまりの衝撃に、幸薄い女性の演技は吹き飛び、生来の蓮っ葉な口調に戻ってしまいました。
「とにかく、王都を出なきゃ。ああちくしょう、あと少しだったのに!」
コレーは緊急時のプランに沿って行動を開始しました。
大急ぎで駅馬車の待合所へと向かいます。
ちょうど四頭立ての馬車が停まっていました。時刻表を見ると、南の町へと向かう馬車がまもなく発車のようです。
ぼんやり立っていた駅員に金を払い、コレーは馬車に飛び乗りました。
六人乗りの馬車で、すでに一人の男が乗り込んでいました。この暑いのにコートを着込み、帽子を深くかぶっています。どうやら眠っているようです。
出発までの十分は、コレーの人生でもっとも長い十分でした。ここで追手にこられたら、防ぎようがなかったでしょう。
不安と緊張の十分が過ぎ、馬車が走り始めました。
馬車はスピードを上げ、王都のメインストリートを駆け抜けていきます。メインストリートを抜けると人通りも減り、馬車はますますスピードを上げました。
「よし」
やがて王都を出たところで、コレーは安堵の息を漏らしました。
おそらくもう大丈夫。このまま南の町へ行き、仲間に連絡を取って国外へ出れば安全なはず。
コレーはそう考え、ハンカチを取り出そうと鞄を開きました。
「ああもう……冷や汗かいたよ」
「それはご苦労様です」
コレーが漏らした言葉に、冷ややかな声が答えました。
ヒッ、と上げかけた悲鳴が、グローブの手で塞がれた、口の中にとどまります。
ドンッ、と馬車が大きく跳ねました。
コートを着込んで眠っていた男が、ぐらりと倒れました。顔を隠していた帽子が落ち、その顔を見てコレーは身も心も凍りました。
倒れた男は、ベンヌでした。
すでに事切れているのが見て取れました。ベンヌは、騙したのか、という恨めしげな眼をコレーに向けています。
「罪状は、我が国の軍事機密に関するスパイ活動。刑は、死刑となります」
冷たい言葉が終わると同時に、ザクリ、と背中から短剣が突き刺されました。短剣は正確に心臓を貫き、コレーは悲鳴を上げることもできないままベンヌの死体の上に倒れました。
ヒクヒクと、苦しげに痙攣するコレーに、男は何の感情も見せないまま、とどめを刺しました。
「任務完了」
コレーが完全に動かなくなったのを見て、男は小さく口笛を吹きました。
馬車が停まり、入口が開かれました。数名の男が馬車に乗り込み、手早く二人の死体を細工します。
「ここから半日ほどの場所に湖がある。そこで心中を装え」
「はっ」
男は指示を終えると馬車から降りました。
再び馬車が動き出します。男は馬車を見送ってから、いずこへかと立ち去りました。
これが、コレーがカフェを出てから、わずか一時間のうちに行われたすべてでした。