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09.思い出

 夢を見た。

 遠い西都の、見慣れた庭。大婆様の侍女が穴を掘り、そこに銀木犀の苗木を植えていた。


 ――あなたの一歳の誕生日の記念に、だそうよ。


 育ての母、スイレンが優しい声で教えてくれた。

 一歳になる前に「病死」するはずだったシルヴィアが迎えた、初めての誕生日。そんな日に送られた銀木犀の苗木。


 ――この木とともに成長しますように。


 苗木には、そんな思いが込められていると聞かされた。

 スイレンの膝に抱かれていたシルヴィアを、誰かが抱き上げた。たぶん男の人。でもおじいさま――シュウゲツじゃない。高い高いをされて、最初はびっくりしたけれど、楽しくてきゃあきゃあ笑った。


 ――おてんばな子になりそうだな。


 元気に育てよ。

 そう言ってシルヴィアの頭を撫でてくれた、大きくて温かい手。


 ああそうだ、とシルヴィアは思う。

 この前、私の頭を撫でていた手は、この手と同じなんだ、と。


   ※   ※   ※


 カチャ、という小さな食器の音に、シルヴィアは目を覚ましました。


(……あれ?)


 体にブランケットがかけられていました。顔をあげると、机を挟んだ向こう側のベンチに、王太子のアルフレッドが書類を手に座っているのが見えました。


 げっ、と姫君にあるまじき声が漏れそうになりました。


 誰かに見つかるかもとは思っていましたが、まさかアルフレッド当人とは。怒られるかな、と思いつつそっと姿勢を正すと、気づいたアルフレッドが書類から目を上げました。


「起きたか」

「あ、はい」

「どうやって入り込んだのだ?」

「え、ええと……柵を乗り越えて……」

「けっこう高い柵だったと思うが」

「です……ね」

「それを乗り越えた、と」

「……はい」


 小さくため息をつかれました。


「おてんばだとは聞いていたが、想像以上のようだな」

「ええと、その……申し訳ありません……」

「まあ、ケガをしていないのならそれでいい」


 淡々とした口調のアルフレッド。

 怒っているのかいないのか、よくわかりません。


(どうしよう?)


 静かな眼差しで見つめられ、落ち着きません。「説教上等!」と思ってはいましたが、王太子であるアルフレッドを目の前にすると緊張してしまいます。


 けほっ、と咳が出ました。


 部屋を抜け出して、もう二時間は過ぎているでしょうか。喉がカラカラでした。


「私が使ったカップだが……飲むか?」


 何度か咳き込んだら、アルフレッドにお茶を勧められました。


「え、ええと……はい、いただきます」

「手も真っ黒ではないか」


 苦笑しつつ、濡れたタオルを渡すアルフレッド。用意いいなぁ、と感心してしまいます。

 タオルを受け取り手を拭いている間に、アルフレッドが水筒からカップにお茶を注いでくれました。


「あ」


 湯気が立っているのを見て驚きました。


「まだ熱いんですね」

「この水筒のおかげだな」


 それは鳥家から送られたもので、保温機能があるとのことです。


「試作品らしいが、重宝している。お茶は熱い方がうまいからな」


 科学・技術の担い手にして、経済全般を管轄する鳥家。

 月家や風家のような派手さはありませんが、技術革新、普及を推進し、地道な成果を上げ続けています。王国民が便利な生活を送れるのは鳥家のおかげといえるでしょう。


「熱いのは平気か?」

「はい。いただきます」


 こくん、と一口。

 お腹の中に温もりが落ちていき、ほっとしました。今日はよい天気ですが、秋も終わりです。寝ている間に体が冷えていたのでしょう。


「ゆっくり飲むといい」


 アルフレッドは書類に目を戻し、難しい顔をして読んでいました。時々ペンを走らせて、決裁のサインをしています。


「あの、ここでお仕事をしているんですか?」

「煮詰まったときにな。判断に迷うような案件が多くて困る」

「え……と、お邪魔……でしょうか」


 邪魔だと言われたら、即退散しようと思ったのですが。


「別に構わん。少々の会話は刺激になる」


 そんな返事をされては、退散しにくくなってしまいました。

 とはいえ、仕事の邪魔をするわけには行きません。シルヴィアは黙ったままお茶をゆっくりと飲み、アルフレッドもまた黙ったまま書類を決裁していきました。


「体は、もういいのか?」


 シルヴィアがお茶を飲み終えたのを見計らったかのように、アルフレッドが声をかけてきました。

 書類の決裁を終えたようです。ペンを置いたアルフレッドが、静かな眼差しをシルヴィアに向けました。


「はい、あの……ご心配をおかけしました」

「無理はしていないか?」

「え、と……いえ、大丈夫です」

「ならよいが」


 ゆるやかに風が流れ、銀木犀のかすかな香りを運んできました。アルフレッドが銀木犀の木に目を向け、ふっ、と優しい笑みを浮かべます。

 どきっ、としました。

 厳格でどこか冷たいと感じるアルフレッド。そんな顔を見たのは初めてかも知れません。


「あの……銀木犀、お好きなんですか?」

「ん? ああ……そうだな、色々思い出があってな」


 どんな思い出なのでしょうか。

 忙しくて手が回らなくても、銀木犀だけはちゃんと手入れしているのです、とても大切な思い出なのでしょう。そんなに優しい笑顔を浮かべるのですから、もしかしたら好きな女性のことかもしれません。


(き、聞いてみたい!)


 王室マニアの血が騒ぎます。堅物で浮いた話のないアルフレッドの秘めた恋なんて、好奇心がうずいてたまりません。


(ひょっとして、その人が忘れられなくて結婚しないのかな?)


 三十六歳で独身の王太子。やがて王になる人です、妃を迎え世継ぎを残すことも大切な仕事のはず。家族仲は良好なので世継ぎを巡って争いになることはないと思いますが、アルフレッドに子供ができることが一番もめなくて済むのです。


「どうした?」

「あ、いえ、その……」


 思い出、て好きな女性のことですかと聞くのは――うん無理、とシルヴィアは慌てて言葉を探します。


「わ、私も、銀木犀が好きなので、一緒だなあと思って」

「……聞いている。シュウゲツ殿の家の庭にも、銀木犀が植えられているのだな」

「あ、はい。私の一歳の誕生日に贈られたもので……その、妹みたいな感じです」

「そうか……妹か」


 シルヴィアの返事の何がよかったのか。

 アルフレッドはそうつぶやくと、嬉しそうな笑顔を浮かべました。

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