04 運命の女性
コレーの父は機械好きで、それなりに学もあり、晩年は道楽で機械の歴史を調べていたそうです。
「私はそちらに興味がなく……邪魔ですし処分しようと思ったのですが、貴重な資料もあると父に言われていまして。捨てていいものかどうかわからず、困っていました」
「なるほど。それでベンヌ殿に確認をお願いしたのですね!」
「はい……必要ならお持ち帰りいただければと」
「なるほど。確かにベンヌ殿であれば適任ですね」
山と積まれた本や資料は一日二日では片付かず、ベンヌはしばらくコレーの家に通いました。
そんなベンヌのために、コレーは質素ながらも温かい食事でもてなし、資料の整理に協力しました。
狭い家の中、お互いに憎からず思う男女が共にいれば、自然と想いが盛り上がるというものです。
「それで、その……ある日、今日は泊っていってよいかと言われ……それで、その……」
「はい、と答えたわけですね?」
少年の問いに、コレーは真っ赤な顔でうなずきました。
「よくわかりました、ありがとうございます」
「その……一人暮らしの家に、男性を招いたのが悪いと言われれば、その通りで……」
「いえいえ、コレー様はただ困っていたことを相談しただけ。ベンヌ殿がそれに付け込んだ、という解釈も十分に成り立ちます」
「そ、そうでしょうか……」
「ええ。それほどの量の資料なら、いったん運び出し、研究者仲間に協力を依頼することもできました。それをしなかったのは、やはりベンヌ殿に下心がおありだったのでしょう」
「下心、ですか」
「あの堅物のベンヌ殿も、男であった、ということですね」
少年は楽しそうに笑い、コレーを見つめました。
「ところでコレー様。さきほどお父様の研究には興味がないとおっしゃられていましたが、これっぽっちもないのですか?」
「これっぽっちも、ということはありませんが……」
「少しは興味がある?」
「幼いころから父に色々教えられましたので……多少は、という程度です」
「なるほど」
少年は独り言ち、カップに手を伸ばしました。
カフェ・オレはすっかり冷めていました。ですが少年は涼やかな顔でそれを飲み干しました。
「ベンヌ殿が、あなたを運命の女性とおっしゃるわけです!」
「え?」
「だってそうでしょう? たまたま出会った魅力的な女性が、自分が好むものに興味と関心を持ってくれているのです。ベンヌ殿は自分の好きなものを語りたがるきらいがありますが、どうでしたか?」
「え、ええ、まあ……けっこう、語られていました」
「でしょう? でもコレー様は、そのお話、理解できたのでは? なにせ幼いころから、お父上に色々と教えられておいででしたから」
「ま、まあ……ですが、あまりに高度なことはわかりませんし……」
「ええそこです。コレー様はきっと、わかるように説明してほしい、と聞かれたはずです。そうでしょう?」
「……なぜ、そう思うのですか?」
「それが人間というものだからです!」
少年は輝かんばかりの笑顔で断言しました。
「人間は、まるで分らないことには冷淡です。ですが、ある程度理解できることには好奇心が沸き、もっと知りたいと願うものです。そしてそのような態度は、知っている者からすれば、とても好ましいことなのです!」
コレーが口を閉ざし、やや険しい顔となりました。
「語りたがりのベンヌ殿にとって、コレー様は理想的な女性です。趣味が合い、専門的な話も嫌がらず聞いてくれ、時には意を得た質問をしてくれるのです」
少年は構わず言葉を続けます。
「愛を語り合うように、機械と工学を語り合うお二人。もしかしたらベンヌ殿は、コレー様に話すことで煮詰まった研究の整理ができていたのかもしれません。ええ、きっとそうです。ベンヌ殿は、時代を切り開く研究開発を、あなたという素敵な女性と出会えたことで加速できたのです!」
さらに、と少年は目を輝かせます。
「お二人の恋の物語が、また素敵ではありませんか」
亡き父の時計が導いてくれた偶然の出会い。
そこから始まる身分差のある恋。
人目をはばかりながらも、密会を重ねて深まる愛。
「なんとなんと、素敵でしょうか。しかもコレー様は、いつもベンヌ様のお好きなものを提供しているのです。意図せずに、ですよ! これは偶然でしょうか? いいえ違います、運命です。あなたとの出会いを運命の出会いと考え、ベンヌ殿がコレー様との恋に溺れても仕方ありませんね!」
一気にまくし立てた少年が輝かんばかりの笑顔になるのに対し、コレーは無言でした。
少年が肩をすくめ、自嘲気味に笑います。
「失礼。思わず熱くなりました。面食らっておいでですね」
「……いえ、大丈夫です」
「実を言いますと。私も、恋焦がれている女性がいるのです」
「そう、なんですか」
「ええ」
照れ臭そうに、少年が続けます。
「それこそ、この身を引き換えにしてもかまわないと思う程にね。ですがコレー様の言う通り、私はまだ子供。私は、コレー様との恋に溺れたベンヌ殿が、心からうらやましいのです」
身分も地位もかなぐり捨て、愛する女性との恋に溺れ、破滅すら恐れない。
命を賭けたその恋の在り方が、とてもうらやましい、と少年は言いました。
「……それは、どうかしら。破滅しては意味がないと思いますけど」
「おっと、そうですね。おっしゃるとおり」
コレーの反論に、少年は素直にうなずきました。
「こういうところが、私がまだまだ子供ということなんでしょうね」