20.深夜の王宮
シルヴィアの部屋を辞したシヴァンシカとミズハは、王宮を去るべく、静かに廊下を進みました。
すでに真夜中を過ぎ、王宮内は眠りについています。昼間であれば侍女や警備の者が常に行き交っている廊下にも、人の姿はありません。二人がいるのは王家の私的なエリア、時間を考えれば当然でしょう。
「おや」
その私的なエリアの出口で、二人を待ち構えている人がいました。
「これは王妃様」
ミズハは笑顔を浮かべ、完璧な所作で一礼の後、一歩下がりました。
王妃に相対したシヴァンシカ。無言で無表情のまま、静かに一礼します。
「あの子は……シルヴィーの容体は?」
王妃の問いに、シヴァンシカはミズハに目配せしました。「おや、私からですか?」と独り言ちたミズハですが、シヴァンシカは口を開こうとしません。
ミズハは軽く肩をすくめ、王妃の問いに答えました。
「ご心配はいりません。ただの魔力酔いです。対処いたしましたので、ひと眠りすればお元気になられるでしょう」
「……そう」
シヴァンシカではなくミズハが答えたことに、眉をひそめた王妃ですが。
シルヴィアは大事ないとわかり、ほっとした様子でミズハにうなずきました。
「手間を取らせましたね。礼を言います」
「とんでもない。お役に立てて光栄です」
王妃が頭を下げると、ミズハは優雅に礼を返しました。
そこで、会話が止まります。従者であるミズハが、主であるシヴァンシカを差し置いて王妃と会話を続けるわけにはいきません。
王妃の視線がシヴァンシカをとらえます。シヴァンシカはわずかに身じろぎし、静かに口を開きました。
「では……私たちはこれで失礼いたします」
「その顔」
ようやく口を開いたシヴァンシカに、王妃の視線が鋭くなります。
「どうにかならないのですか。人と会話している気がしません。まるでお人形ですよ」
王妃のやや強い口調にたじろいだのでしょうか。シヴァンシカは何も言わず、目を伏せました。
「そんな顔で、あの子に会わないでほしいわね」
王妃はさらに強い口調となり、シヴァンシカの返事を待ちました。
わずかな光の中、無言でたたずむシヴァンシカ。
それは本当にお人形のようで、完璧に近い美しさです。ただその顔は無表情で、何の感情も読み取れません。
長い時間が過ぎましたが、シヴァンシカが口を開くことはありませんでした。
王妃は小さくため息をつき、二人に道を開けました。
「お下がりなさい。あとはこちらで対処します」
シヴァンシカは無言のまま一礼し、歩き出しました。
「顔を出したということは、覚悟あってのことでしょう……しっかりなさい」
立ち去るシヴァンシカの背中に、王妃の言葉が届きました。
その言葉に、シヴァンシカの表情がほんの少しだけ変わりましたが――立ち止まることも振り返ることもないまま、無言で王妃の前から立ち去りました。
◇ ◇ ◇
王妃の前から立ち去った二人は、裏門から外に出ました。
「ご当主。叱られてしまいましたね」
一歩遅れてついてくるミズハの、笑いを含んだ声。「そうね」とつぶやくように答えて、シヴァンシカはかすかに息をつきました。
「王妃様にしてみれば……私は、顔も見たくない女でしょうし。何をノコノコと、というお気持ちなのでしょう」
「そうでしょうか? 私には、愛ある叱咤に思えましたが」
振り向いたシヴァンシカが、すぅっ、と冷ややかな視線を向けてきます。ミズハは一歩下がり、「怖い怖い」とおどけたように肩をすくめました。
「お気に触ったのでしたらご容赦を。しかし、主が誤った道を行くのであれば、諫めるのが従者の役目でございます」
「あの子を……」
言いかけて、一度言葉を切るシヴァンシカ。ちらりと周囲を見て、誰もいないことを確認して言葉を続けます。
「……殿下を当家へ誘ったのも、私の過ちを正すためとでも?」
「あれはひとえに、殿下の御為です。きちんと学ばないと殿下が傷ついてしまいますので。いえほんと、他意はございません」
じっとミズハの顔を見ていたシヴァンシカですが、何も言わずそっぽを向いてしまいました。
ほんの少しだけ肩を怒らせた背中は――怒っているというより、すねているようです。
(お可愛いことで)
とても三十半ばとは思えぬ態度に、ミズハは小さく笑いました。
「馬車を回してまいります。少々お待ちを」
ミズハはシヴァンシカをその場に残し、停車場へと向かいました。
「おや?」
その道すがら、ミズハは夜陰に紛れて動く人影を認めました。
男が二人。
王宮の外から忍び込んできた――のではなく、王宮から出て行こうとしているようです。建国祭の日、王都では夜通し店が開かれ、朝まで大騒ぎとなります。仕事をさぼって遊びに行こうとしているのでしょうか。
いえ。
男たちが着ているのは、簡素な作りのシャツとズボン。警察か軍に捕らえられた者が与えられる服です。遊びに行くときに着るような服ではありません。
「ふむ」
あごに手を当て、しばし考えたのち。
ミズハは、とん、と地面を蹴りました。ふわりと体が浮き、まるで宙を飛ぶように動いたのち、男たちの前に立ちふさがります。
「なっ……!?」
突然現れたミズハに、男たちは驚いて立ち止まりました。
「こんな時間に、お散歩ですか?」
ミズハの問いに、男たちは無言のまま目配せしあい、同時に別々の方向へと走り出しました。判断の速さとその動き、かなり訓練された者のようです。
「おっと」
ミズハは笑みを浮かべ、パチリ、と指を鳴らしました。
風もないのに、庭の草木がざわめきます。伸びた草や木の枝が逃げようとする男たちの足にからまり、二人は同時に転倒しました。
「こ、これは……魔術!?」
「おや、お詳しい」
ミズハは冷ややかな笑みを浮かべました。
「まあそう慌てずに。ここで会えたのも何かのご縁。少しお話を聞かせていただけませんか」
ミズハが再び指を鳴らしました。
草木が再びざわめき、伸びた草が何か言おうとした男の口をふさぎます。
「ぐっ……むっ……」
「お返事は結構です。あなた方に選択肢はありません」
ゾッとするほど冷たい口調でした。
闇の中、妖しく光るミズハの瞳に見据えられ、二人の男は震えるほどの恐怖を覚えました。
「その怪我、きちんと手当てしないと破傷風になりますね」
男の一人は右腕に、もう一人は右手に包帯を巻いています。出血が続いているのか、包帯は血で染まっていました。
「仕方ありません。当家にご招待し、治療させていただきましょう。お話はそれからということで」
ミズハが再び指を鳴らすと。
男たちはビクンと体を震わせ、そのまま深い眠りについてしまいました。




