18.優しい手
「殿下ぁ、ご無事ですかぁ! ああっ、ご無事じゃなさそうですぅ!」
王宮の自室に戻ったシルヴィアを出迎えてくれたのは、行方不明になっていた侍女頭のトノハでした。
いつもひっつめにしてきれいにまとめている髪が、束ねもせず乱れた状態でした。王宮勤めの侍女が着る服ではなく、私服のワンピースを着ています。救出され一度家に帰っていたところを、シルヴィアの急を聞いて慌てて戻ってきたのでしょう。
「トノ、ハ……」
トノハの声に、シルヴィアはゆっくりと目を開けました。意識は戻りましたが、吐き気がひどく起き上がれません。
それでも、トノハの顔を見て、ほんの少し笑顔になりました。
「大丈夫……だったの?」
「ご自身がお辛いというのに、お気遣いくださるなんて、感激ですぅ! 私は平気ですよぉ! 頑丈なだけが取り柄なんですからぁ!」
「そう、よかっ……うっ……」
気心の知れたトノハに会い気が緩んだのか、吐き気がまたこみ上げてきました。
(あ、これだめ……)
こらえ切れず、吐いてしまいました。吐いても吐いてもすっきりしません。もう全部吐き出して、何も吐くことができないという状態になっても、吐き気は収まってくれませんでした。
「大丈夫ですかぁっ? 大丈夫じゃないですよねぇっ! ああもう、お医者様はどこですかぁっ!」
シルヴィアを寝間着に着替えさせてベッドに押し込むと、トノハは医者を呼びにすっ飛んでいきました。
まもなく、王宮勤めの若い女医が連れてこられました。シルヴィアを診察しましたが、吐き気の原因はよくわからないようです。
「とりあえず、吐き気止めをお飲みください。医師長に相談し、改めて診察いたします」
白湯で薬を飲むと、少し落ち着きました。疲れがどっと出て、眠気が襲ってきます。
「さあさあ、お眠りくださいませ。このトノハ、お詫びもかねて全身全霊で看病させていただきますから」
「うん……」
シルヴィアは目を閉じ、まもなく眠ってしまいました。
――眠ったような、眠っていないような、そんな数時間が過ぎ。
目が覚めた時、日はすっかり沈んでいました。
どれぐらい時間がたったのでしょうか。ひと眠りしたからか、体はだいぶ楽になっていました。ですが、あの気持ちの悪さは消えていません。
(トノハ……トイレにでも行ってるのかな?)
がらん、と広い部屋に一人きり。
他の侍女もいないようです。たぶん、隣の部屋で控えているのでしょう。呼べばすぐ来てくれるはずですが、独りぼっちだなと思うと、ひどく寂しくなりました。
(おばあさま……)
ふと、思い出してしまいました。
シュウゲツの妻、スイレン。シルヴィアの育ての母親。厳しいところもあるけれど、いつもそばにいてくれて、寂しいなんて思うことはありませんでした。
(おばあさま、元気かなぁ)
もう一年半も会っていませんでした。「お土産買ってくるね」と約束してきたのに、「お姫様」になってしまい、西都に帰れなくなってしまったのです。
もう約束を守ることはできないのかな――そう思うと、シルヴィアの目が潤みました。
(帰りたいな)
スイレンが待つ西都へ。
お姫様には憧れていたけれど、いざお姫様になったら、楽しいことなんてあまりありません。ましてや今日のように、殺されかけたり気持ちの悪い思いをするなんて、もううんざりです。
(帰りたい……なぁ……)
お姫様をやめて。
田舎育ちの女の子として、平和にのんびり暮らしていく。
そうすれば、「王女を騙る罪人」なんて言われることも、殺されそうになることもないのです。怖い思いも、気持ち悪い思いも、しなくて済むのです。
「おばあさまぁ……会いたいよぉ……」
声に出すと、もう我慢できなくなりました。
両目から涙があふれ出し、嗚咽が漏れます。トノハに気づかれたらすっ飛んできそうな気がして、シルヴィアは毛布を頭からかぶりました。
この一年半、我慢してがんばってきたんだから。
今日くらい、泣いてもいいよね。
思う存分、泣いてしまおう――そう決めたシルヴィアは、毛布にくるまったまま、声を殺して泣きました。
※ ※ ※
――泣いているうちに、眠ってしまったシルヴィア。
夢と現のはざま、ぼんやりとした光の中を、一人ふわふわと漂っていました。
「シルヴィー」
誰かがシルヴィアの名を呼びました。
優しくて力強い、男の人の声。聞き覚えがある気がするのですが、誰の声か思い出せません。
「すまない……怖い思いをさせてしまったね」
大きくて温かい手が、シルヴィアの頭を優しく撫でてくれました。
「本当よ、すごく怖かったんだから」と文句を言おうと思ったのですが、あまりにも優しく撫でてくれるので、「まあいいか」と思ってしまいました。
それきり、男の人は何も言いませんでした。
ただ優しくゆっくりと、シルヴィアの頭を撫で続けてくれました。
誰なのでしょうか。
どうしてこんなに優しく撫でてくれるのでしょうか。
(撫で方は、おじいさまに似てるけど……)
ですがシュウゲツの手は、もっと大きくてゴツイ、グローブのような手です。この手はそれとは違い、もっと柔らかで繊細そうです。
でも、伝わってくるぬくもりは同じでした。それはたぶん、シルヴィアへの愛情がこもっているからでしょう。
「ん……だれ……?」
誰なのか気になり、思わず問いかけると――撫で続けていた手が止まりました。そのままそっと離れてしまい、再び撫でてくれることはありませんでした。
それが、ちょっぴり残念で。
もう、とシルヴィアは頬を膨らませて、ゆっくりと目を開けました。




