01 カフェ・アネモネ
王都のメインストリートの一つ隣、落ち着いた雰囲気で知られる通りに、一軒のカフェがありました。
店の名はアネモネ。
隠れ家的な雰囲気があり、気心の知れた友人、あるいは恋人と語り合うにはぴったりのカフェでした。
お昼を過ぎ、しかしティー・タイムには少し早い時間。
一人の女性が店を訪れ、通りからは見えない奥の席に腰を下ろしました。
持っていたカバンを足元に置き、慣れた様子で店主にカフェ・オレを頼むと、帽子を取って、ふう、と大きく息をつきました。
その仕草が、とても色っぽい方でした。
歳の頃は、二十代後半。細面の整った顔立ちで、体つきは女性らしい曲線を描いております。とびきりの、というほどではありませんが、美しい方です。欠点といえば、どこか幸薄そうな、儚げな雰囲気ぐらいでしょうか。
彼女はここ数ヶ月の間に、この店に通うようになった女性です。
いつもは三十そこそこの男性とともに訪れているのですが、今日は一人でした。
女性は、カフェ・オレをゆっくりと味わいながらも、落ち着かない様子です。店に誰かが入ってくるたびに視線を向け、少し落胆した顔となって視線を戻す、ということを繰り返しております。
どうやら待ち合わせのようです。
待っているのは、きっと、いつも一緒に来ている男性でしょう。
女性はカフェ・オレをほとんど飲み終え、さてどうしようか、という顔で店の入口を見ました。
彼女の待ち人は、まだ来ておりません。
そこへ、一人の少年が入って来ました。
十代前半の、少し癖のある黒髪の少年です。カフェとはいえ、子供が一人で入るには少々気後れする店ですが、少年は堂々としたものです。
客で半分ほどの席が埋まっている店内をぐるりと見まわした少年は、一人待っていた女性を見て、まっすぐに彼女へ歩み寄りました。
「失礼いたします、レディ。コレー様でいらっしゃいますか?」
「……どちら様でしょう?」
この少年は誰でしょうか。女性には心当たりがありません。着てる服から、上流階級の、貴族の少年と見て取れます。
「これは失礼しました。兄、ベンヌの使者としてまいりました、カウルスと申します」
「ベンヌ様の……?」
その女性、コレーは驚きました。
ベンヌに弟がいる、という話は聞いていましたが、その弟が一人で会いにくるとは予想もしていなかったのです。
「相席しても、よろしいですか?」
「え、ええ……どうぞ」
「ありがとうございます。ああ、店主どの」
少年は空になったコレーのカップを見て、店主にカフェ・オレを二つ注文しました。
「申し訳ありません、ずいぶんお待たせしたようですね」
「あの、ベンヌ様は?」
「実は、急な呼び出しを受けて、出かけてしまいました」
そのことを知らせに行ってほしいと頼まれて、少年は急いでやって来たと言いました。
「少し遅くなるが、待っていてほしい、とのことです」
「お仕事、でしょうか?」
「ええ、そのようです」
「あの、そういうことであれば、日を改めますが……」
「いえいえ、どうかそのままで」
腰を浮かしかけたコレーを制し、少年はにこやかな笑みを浮かべました。
「なんでも、重要な案件の予算が下りそうで、資料の最終確認に来いと言われたと。一時間とかからず終わるとのことです」
「重要な案件……ですか」
「はい」
少し考える様子でしたが、コレーはうなずき、椅子に座りなおしました。
少年は、ほっとした様子です。
「よかった。これでベンヌ殿のご依頼を守ることができました」
「いえ……私も、ベンヌ様にはお会いしたいので」
「ありがとうございます。ベンヌ殿が来られる頃は、ティータイムにはちょうどいい時間でしょう。それまでは、私が会話のお相手を務めさせていただきましょう」
カフェ・オレが運ばれて来ました。
少年はカップを手に取り、優雅な仕草で口に運びます。
「これはおいしい。こんな素敵なお店があったとは。教えてくださればよいものを」
「あなたのような子供には、まだ少し早いのでは?」
コレーの言葉に、少年はムッとした顔になりました。
「私はもう十二歳ですよ? 子供扱いはして欲しくありません」
「ふふ。私から見たら、まだまだ子供ですよ」
ここはカフェとはいえ、メニューにはお酒もあります。子供が一人で来るお店としてはふさわしくないでしょう。
笑いながら告げるコレーに、少年はさらにふてくされた顔になります。
「むう。ひどいですよ、コレー様」
「ごめんなさい。でも、大人になることを急ぐ必要はなくてよ?」
「なぜですか?」
「だって、子供って自由だもの。私は、できることなら子供に戻りたいわ」
二杯目のカフェ・オレには口をつけず、スプーンを入れ、ゆっくりと回すコレー。どこか悲しげな顔に、少年は首をかしげます。
「ですが、子供に戻っては、恋ができないではありませんか」
「恋、ですか?」
「ええ」
驚くコレーを見て、少年はふてくされた顔を笑顔に戻しました。
「いかに真剣でも、子供の身ではそうと受け取ってもらえません。大人であればこそ、あなたのような素敵な女性と、真剣な恋ができるというものです」
「まあ……お世辞でもうれしいわ」
「お世辞ではありません。あなたはとてもお綺麗で、その、失礼かもしれませんが……色っぽいお方です」
「ふふ……おませさんですね、カウルス君は」
少年らしからぬ物言いに、コレーは小さく笑います。
「あなたのような美しい少年にそんなことを言われては、うぬぼれてしまいそうです」
「うぬぼれではありませんよ。ベンヌ殿は、それはもうあなたのことを自慢しておりまして。あのように美しい女性に出会えたことは奇跡だと、いつも言っております」
「そう、なのですか?」
「はい。あの堅物のベンヌ殿がそこまで溺れるとはと、家族一同驚いております」
家族、という言葉に、コレーは少し身をこわばらせました。
「ベンヌ様はご家族の方に……私のことを、話しておいでなのですか?」
「はい。それはもう、情熱的に。何があっても妻にするつもりだとおっしゃられていますよ」
「妻に……」
コレーが息を飲みました。それほどまでに大きな騒ぎになっていると、知らなかったのかもしれません。
「ですから、この度のベンヌ殿の頼みは、私にとって心躍るものでした」
「え?」
「ベンヌ殿がそこまで想う方は、いったいどんな素敵な女性なのかと。実はお会いできるのを楽しみにしていたのです」