10 エンブレム
テラスからは見えにくい庭の隅に腰を下ろし、ノトスは深くため息をつきました。
「せっかくだから、挨拶してくるわ」
そう言って、単身屋敷に乗り込んでいったシルヴィア。
一緒に行くべきだったか、と思うノトスですが、本日は出入り禁止を言い渡されております。
いやそれ以上に、「デートの途中で婚約者の家に挨拶ですか、そうですか、何様ですか」なんてアウラに微笑まれて、平静を保つ自信はありません。
まあ要するに、逃げたのです。
「あーもー、あいつは何がしたいんだ」
婚約者に会わせろ、と言い。
ダメならデートしろ、と言い。
「どうにも裏がありそうなんだがなぁ」
一体何が目的なのか、さっぱりわかりません。相手を誘導し、自然と本音を吐かせるのが得意なノトスですが、シルヴィアにその「技」が効いている様子がないのです。
「……少し油断しすぎたか」
どうにでもなる、と高を括っていましたが、シルヴィアは思った以上に強かなようです。
「とはいえ、王女相手に本気出すのもなあ。色々問題あるよなぁ」
「あ、浮気者だー」
悶々と考えていたら、そんな子供の声が聞こえてきました。
「……あのな」
ノトスはため息をつきつつ声の方を振り向きました。港へ遊びに行ったはずの子供たちが、ボールを手にニコニコ笑っていました。
「あれー、お姫様は?」
「ちょっと用がある、てさ」
「フラれたんだー」
「ち・が・う!」
別に付き合いたいわけではありませんが、フラれた、と言われるとシャクに障ります。
「ふーん、フラれたんだ」
「違うと言ってるだろうが」
「ムキになるところがアヤシイ」
「フラれたね」
「まちがいないね」
「ふられたー、ふられたー」
キャッキャと笑う子供たち。このやろお、とさすがのノトスも腹が立ちました。
「おまえら……ふごっ!」
子供と思って油断していたからか、腹が立って気配を察知するのが遅れたか。
あるいはその両方か。
ガインッ、と、子供たちが投げたボールが、まともにノトスの顔面に当たりました。
「フラれオニー!」
「ボールを当てられたら、フラれオニねー」
「逃げろー!」
いつの間にやら始まったゲームで、ノトスは鬼になったようです。
子供たちがきゃーきゃー騒ぎながら、蜘蛛の子を散らすように逃げていきます。
それを呆然と見ていたノトスですが。
「……ふっ……ふふふ……ふふふふ、いいだろう、ガキども!」
こみ上げてきた怒りに笑い声を上げると、ノトスはボールを手に立ち上がりました。
「このノトス様が、全身全霊の全開全力で、相手してやろうじゃないかっ!」
「きゃー、逃げろー!」
◇ ◇ ◇
「ふふ、何をやってるのか」
庭のどこかに隠れていたノトスが、ボールを手に子供たちを追い回し始めたのが見え、シルヴィアはくすりと笑いました。
「ま、十二歳の男の子って、ああいうものよね」
テラスから庭を見下ろしながら、シルヴィアは一口お茶を飲みました。
芝生が敷かれただけの、だだっ広い庭。
そこで楽しそうに、自由に遊ぶ子供たち。
目を閉じて子供たちの歓声を聞いていると、なんだか楽しくなってきます。なるほどね、これこそ最高の贅沢なのかもね、とシルヴィアはうなずきました。
「お待たせしました」
お茶を半分ほど飲んだところで、今の屋敷の主であるアウラがやってきました。
その傍らには、赤毛のかわいらしいご令嬢の姿もあります。
シルヴィアはカップを置き立ち上がると、作法に従って優雅に一礼しました。
「突然の訪問、失礼いたしました。シルヴィアでございます」
「いいえ、よくおいでくださいました。アウラでございます。こちらはニンリルです」
「ニ、ニンリルです。王女殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」
「ご丁寧に、ありがとうございます」
なるほど、これがニンリルかと、シルヴィアはラベンダー色のドレスを着た少女を見つめました。
「それで殿下。本日お越しのご用件は何でございましょう」
「近くに寄りましたので、お噂の風家当主、婚約者のご尊顔を拝しに」
そこまで言って、シルヴィアはクククッと笑います。
「……とういうのは建前で、アウラ様に宣戦布告に」
「宣戦布告、といいますと?」
「ものにしようとした男の子に婚約者がいれば、奪うしかありませんよね?」
シルヴィアがさらりと髪をかき上げると。
銀色の髪から、光がこぼれました。
きらきらと、それはもう美しくて、女の子のニンリルも思わず見とれてしまったぐらいです。
「ニンリル様」
そのあまりの美しさに意識が遠のきかけたところで、コノハが、ぽん、と背中を叩いてくれました。
「大丈夫でございますか?」
「あ、ごめんなさい、ちょっと、立ちくらみ……うん、もう平気」
着なれない服で締め付けられているからかなと、ニンリルは大きく深呼吸し、姿勢を改めました。
「殿下」
すうっ、とアウラの顔から笑顔が消えました。
控えていた侍女たちも、主の敵とみなしたのか、冷え冷えとした雰囲気を放ち始めます。
うわ、これどうなるんだろうと、ニンリルが戦々恐々としていると。
「……とまあ、ノトスくんには言っておりますが」
ふふ、とシルヴィアは笑い、下ろしていたリュックを手に取りました。
「本当の用件は、これですわ」
開けていただけます? とシルヴィアは近くにいた侍女にリュックを渡しました。
害意はない、というのを示しているのでしょう。侍女がコノハに目をやり、コノハがうなずきます。
「失礼いたします」
リュックの中に入っていたのは、小さな宝石箱でした。侍女がそれを取り出すと、「そのまま開けてください」とシルヴィアはお願いしました。
宝石箱を開くと、中には手の平大の、金属製のエンブレムが入っていました。
「これは……」
アウラの表情が変わりました。
敵意が霧散し、驚きが満ちていきます。背後に控えていたコノハも、そして隣に立っていたニンリルも同様でした。
シルヴィアはにこりと笑い、改めて一礼しました。
「この屋敷の前の主、リョウゲツの孫、シルヴィアです。本日は祖父を偲ぶため、ずうずうしくもまかり越しました。平にご容赦願います」
そう、そのエンブレムは。
つい先日まで屋敷の門に掲げられていた、老子爵の紋章でした。




