04 老子爵の遺産
その屋敷が無人となったのは、一年半ほど前でございます。
住んでいたのは月家に縁のある、篤志家として知られた老子爵です。広い屋敷の庭と一階を開放し下町の人々に自由に使わせていたという、なかなかの変わり者でした。
自身の子供がいなかったためか、下町の子供たちを大変可愛がっておられました。
庭で遊ぶ子供たちの元気な声に喜び、望む者には勉強も教えていたといいます。
そして、そんな子供たちの中に、後に史上最年少で王立アカデミーに合格し、王国一の天才少女と呼ばれることになる、ニンリルという少女がいたのです。
そう、ニンリルの才を見出したのは、ここに住んでいた老子爵でございます。
彼がいなければ、ニンリルはその才を花開かせることなく、下町の一少女として埋もれていたことでしょう。ニンリルの才を見出したことこそが、かの老子爵の人生で最大の功績であった、と言えるかもしれません。
(ふーん)
少々朽ちた屋敷を見上げながら、ノトス様はかつてに思いを馳せました。
追っ手から逃げて下町に潜んでいた時、ここを頼っていたらノトス様の人生は変わっていたかもしれません。
ですが当時は、貴族という貴族──アウラ様も含めて──が敵に思え、ここに近づくことすらしませんでした。
(生前にお会いしたかったものだな)
ノトス様は黙礼し、少々騒がしくなることを、亡き老子爵に詫びました。
「さて……と」
気を取り直し、ノトス様が振り向くと、五人の子供達が立っていました。
背の高い男の子を中心に、五人ともが険しい顔をしてノトス様を見つめています。一人は女の子です。いずれもノトス様と同じ年頃か、少し下の年齢です。他に、庭木に隠れるように二人、屋敷の影から三人ほどでしょうか。そちらもおそらく子供でしょう。
「僕に用かな?」
「お前、ここへ何しに来た?」
真ん中に立っていた、背の高い男の子が剣呑な声をあげました。
「ここには特に用はなかったんだけど。君たちがずっと尾行していたから、ちょっと広い場所に行こうかな、と思っただけだよ」
とっくに気づいていたよ、というノトス様の言葉に、子供たちが少しひるみました。
ですが、リーダーと思しき男の子が、勇気を出して一歩前に出てきます。
「また、ニン姉ちゃんに嫌がらせに来たんだろ」
「ニン姉ちゃん?」
「とぼけるな! いつもいつも嫌がらせしやがって、貴族って暇なのかよ!」
数秒間考えた後、ノトス様は少年が誰のことを言っているのかわかりました。
おそらくニンリルでしょう。
下町に住んでいて、わざわざ貴族が嫌がらせにくる、そんな平民はニンリルぐらいなものです。
(ふーん、ニン姉ちゃん、なんて呼ばれてるんだ。慕われているんだな)
まだ年端もいかない子供たちが力を合わせて守ろうとする、それも貴族相手に、です。その一事でニンリルがどれほど慕われているかがわかります。
(ていうか……嫌がらせなんてしている貴族がいるのか)
まったくもって呆れる事実です。おそらく、今年の王立アカデミー入学試験で不合格となった有力貴族の誰かでしょう。情けないにもほどがある、というものです。
「僕はそんなことをするほど暇じゃないんだが……」
「嘘をつけ! ニン姉ちゃんのところに行こうとしてたんだろ!」
その通りでございます。もちろん嫌がらせが目的ではありません。「ニンリルがね」「ニンリルってばね」と毎日のようにアウラが話すものですから、どんな子なのか見てみよう、と思って来ただけです。
「いや、僕は、おいしいお惣菜屋があると聞いて、買いに来ただけなんだけど……」
「それ、ニン姉ちゃんの家じゃない!」
あらかじめ用意していた口実を口にしたところ、かえって子供たちの怒りに火を注いでしまいました。
「やっぱりそうなんだ!」
「行かせないからね!」
「とっとと帰れ、でないと痛い目にあわせるぞ!」
物騒なことに、子供たちはそれぞれ手に木の棒やら石やらを持っています。
とはいえ、訓練された兵士相手にだって戦えるノトス様です。子供相手に負ける気はまったくしません。ですが、下手に騒ぎになって子供たちの誰かがケガをしたら、それはそれで問題です。
(バレたら、アウラに怒られるな)
それこそトマトを一個食べるぐらいでは済まないでしょう。
本気で、今夜から別の寝室で寝ると言い出しかねません。寝る前のキスや、アウラ様に抱かれるぬくもりなしで眠らなければならないと思うと、ノトス様にとっては死に直面したと言っていいほどの危機でした。
いやもう、ほんと、どれだけ依存してるんでしょうね、ノトス様。
「いや、ちょっと落ち着こうよ」
「うるさい、いつもいつも、ニン姉ちゃんをいじめやがって!」
「今日という今日は、ゆるさないぞ!」
聞く耳持たない、という子供たちの雰囲気に、どうしたものかとノトス様が困り果てた時。
「こらー! あんたたち、そこで何してるの!」
よく通る、元気な女の子の声が響き渡り。
ノトス様より少し年上の、男の子のような格好をした赤毛の少女が駆けつけて来ました。




