11 天才少女・ニンリル
事件の翌日は大事を取って休んだアウラですが、翌々日には何事もなかったかのように大学へ行きました。
「アウラさん、もう大丈夫なの?」
「ええ、ありがとう」
顔見知りの何名かが声をかけてくれましたが、それ以外は変わったことはありませんでした。
風家も動いたのでしょうが、ブレンダ、それとおそらくグレースの二人が、変な噂にならないよう立ち回ったのでしょう。さすがは風家が、アウラの影武者候補として目をつけていただけはあります。
そう、あそこにいた十人全員が、アウラの影武者候補でした。
それを割り出し、アウラ本人も含めた全員をあの場に集めたオルドイーニは、とても優秀なスパイだったと言えるでしょう。
もっとも、優秀過ぎて、それを逆手に取られてしまった、とも言えるのですが。
「まあ、影武者の話は、これでなくなるでしょうね」
午前中の講義を終えると、アウラは一人、中庭にある食堂へ向かいました。
サンドイッチとコーヒーを買い求め、テラス席の端にあるテーブルに座ります。いつもであれば少し遅れてやってくる子が、今日は姿を見せませんでした。
「ふふ……当然ですね」
寂しくはありますが、仕方のないことでした。
アウラはゆっくりとサンドイッチを食べ終えると、コーヒーを飲みながら教科書を広げました。
教科書、と言っても大学ですから、分厚い専門書です。少しずつ読み進めているのですが、何せ補欠合格の身、学力に不安のあるアウラには難解で、一読して理解できるものではありませんでした。
これをスラスラと読んで一度で理解できるなんて、本当にすごいことです。
「アウラさん」
行ったり来たりを繰り返しながら読み進めていると、遠慮がちに声をかけてくる人がいました。
来るはずのない、少女でした。
「……あら、ニンリル。こんにちは」
アウラがおだやかな口調で答えると、ニンリルは背負っているリュックの肩ひもをぎゅっと握りました。
「あの、今日、午後休講で。そしたらブレンダさんたちが、一緒にお昼食べに行こう、て誘ってくれて」
食堂の入口に、ブレンダ、カミラ、エミリアの三人の姿が見えました。
この大学に通う、平民出身の女性たち。嫉妬の気持ちを整理したのでしょう、ようやくこの天才少女を受けれるつもりになったようです。
「あら、いいわね。行ってらっしゃいな」
「あの、その、それで、よかったらアウラさ……」
「ありがとう。でも私はもう食べましたから。遠慮させていただきます」
ニンリルの誘いを、アウラは食い気味に断りました。
「ごめんなさい、せっかくのお誘いなのに」
「う、ううん、わかった……その、ごめんなさい」
「あら、どうして謝るの?」
ニンリルの頭を撫でようと伸ばしかけた手を、アウラはかろうじて止めました。
「むしろ、あなたはそうすべきなの。
この大学にいる、平民出の先輩方よ。色々とアドバイスをくれるはずよ。あの三人ともっと交流を深めなさい。きっと、あなたが一番しなければならないことよ」
アウラの言葉に、ニンリルはギュッと唇を結びました。
王国が誇る天才少女です、アウラが何を言わんとしているか、きっと理解したことでしょう。
ニンリルは黙って一礼すると、アウラの元から立ち去りました。
「……さて、と」
アウラは再び教科書を開きました。
ですが、どうにも集中できません。
気分を切り替えるためにも、コーヒーのお代わりを頼もうか、そんな風にアウラが考えた時でした。
トタタタッ、と軽やかな足音が駆け寄ってきて、止まりました。
顔を上げると、立ち去ったはずのニンリルが、まっすぐにアウラを見つめていました。
「あら、どうしたの?」
「み、三日ちょうだい!」
「……え?」
「今日と、週末の二日。私、その三日で覚悟決めてくるから!」
早口でまくしたてると、ニンリルは、にいっ、と男の子みたいな笑顔を浮かべました。
「アウラさんと絶交なんてイヤだよ。
花鳥風月、上等! 王国一の天才少女、なめんな、て当主様に言っといて!」
あっけに取られているアウラにそう言い残し、今度こそニンリルは立ち去りました。
「ふ……ふふ、ふふふっ……」
こみ上げてきた笑いが声となりました。アウラはひとしきり笑い、こぼれた涙をぬぐって青空を見上げました。
「さすがは王国一の天才少女。度胸もたいしたものね」
三日で覚悟決めてくる。
そう言い切ったニンリルの笑顔、頼もしいといったらありません。あんな素敵な女の子と絶好なんて、アウラもやっぱり嫌でした。
「では、私も覚悟を決めましょう」
風家当主の婚約者として。
誰に明かすこともできぬ、深淵の底から這い出てきた者として。
あの夏の風のようにさわやかな、光り輝く少女と友誼を深めていく、その覚悟を。
「そうだわ。わが君へのおねだり、これにしましょう」
大学でできたお友達を、家に招いてお茶会をしたい。
この平凡で、でも、風家の者としてはとてもわがままなおねだりを、あの少年はどう叶えてくれるでしょうか。それを思うと、アウラはワクワクしてきました。
「とても楽しみね。さっそく今夜にでも、おねだりしなくちゃ」




