09 悪魔の色香
教授の背中を、冷たい汗が流れました。
イカレてやがる。
アウラが我が身を毒草に例えたのは、なんの謙遜でもなく、事実でした。教授はそれを思い知らされた気分です。
「さあ、先生。私をどうなされます?」
気がつけばアウラは教授の膝の上に乗り、しなだれかかるように抱きついていました。なぜそれを許してしまったのか、教授にはわかりませんでした。
「お、降り……ろ……」
「ふふ、この程度でうろたえるなんて……お可愛い方」
アウラが教授の頭を抱きかかえ、その胸に押し当てました。
「色香に惑わされぬよう訓練を受けている。そう豪語されておられたというのに。女に溺れたこともない殿方の、強がりでございましたか?」
アウラの唇が、教授のひたいに押し当てられました。そして、そのまま教授の鼻をなぞり唇へとたどり着くと、教授の口をふさぐようにしっかりと重ね合わされました。
カリッ、というわずかな音に続いて、アウラの舌が教授の口をこじ開け、唾液と一緒に甘い蜜を流し込みました。
「うぐっ!?」
しまった、と教授はアウラの腕を強引にほどき、力任せに突き飛ばしました。
「きゃっ!」
「き、貴様ぁっ!」
「ふふ。巨象も眠らせる強力な睡眠薬です。量を間違えると死にますが……私とのキスの代金としては、お安いでしょう?」
「そ、そんなもの、どこに……」
「私、下着に色々仕込んでいますので」
あの時か、と教授は歯ぎしりしました。
服を脱ぎ、質問をしながらわざと下着を切り刻んだ時、アウラは下着に縫いこんであった薬を取り出したのです。そして、ナイフでわざと指を切り、切った指を舐めるときに口の中へ放り込んだのです。
「女の色香、甘く見たあなたの負けです。服を脱げなんて、言うべきではありませんでしたね」
ぐらり、と教授の視界が揺れました。もはや四肢が動かず、意識が朦朧としています。
「貴様っ!」
教授が倒れたのを見て、助手の男が猛然と飛びかかってきました。
アウラはそれをちらりと見て。
「ニンリル、目と耳を塞ぎなさい」
そばにいたニンリルにそう命じました。
とっさにニンリルが目と耳を塞ぎます。アウラは横目でそれを見ながら、突進してくる男に向き直ると。
ふう、と息を吐き。
突き出された男の手をいなし、その力を利用して、男の巨体を宙に舞わせました。
「がっ!」
どしん、と男の巨体が床に落ちました。すかさずアウラは、つかんだままの男の手を躊躇なくねじ切りました。
ばきり、と骨が折れる鈍い音と男の絶叫が響きました。
女学生たちが青ざめ、引きつった悲鳴をあげました。
アウラは苦痛に呻く男に駆け寄ると、ぺっ、と手に唾液を吐き、それを強引に男の口に押し込みました。
「鎮痛剤代わりです。召し上がれ」
睡眠薬混じりの唾液を飲まされ、助手の男はあっという間に眠りに落ちてしまいました。
「く……そ……」
「あら、まだ起きてらしたの? 大した方ですね」
一方教授は、床に倒れながらも猛烈な眠気に抗っているようでした。ひょっとしたら、薬物に一定の耐性があるのかもしれません。
「では、まだ意識があるうちに、一つだけ補足を」
「な……んだ……」
「風家当主の配偶者が、諜報員としての訓練を受ける必要は、確かにないのですが」
アウラはふわりと笑いました。
その目がとろけているのは、己の幸せを噛み締めているからではなく、自身も睡眠薬を飲んでしまったからです。
「私は一通り受けておりまして。すぐにでも前線に投入したい、と指導教官から大変なお褒めの言葉をいただいたのですよ」
「この……悪魔、め……」
「お褒めの言葉と受け取っておきますわ」
教授は悔しげな顔で呪詛を吐き、がくりと眠りに落ちました。
「なんとか、なり……ましたね」
アウラは振り返り、呆然としている女学生たちに微笑みました。誰もケガをしていないようで、ほっとします。
「さて、ブレンダ様」
「え……あ、はいっ!」
急に呼ばれたブレンダが、我に返って立ち上がりました。
アウラは、その生真面目そうな態度を好ましく思い、ふふ、と笑います。
「最年長ということで……申し訳ありませんが……あとは、よろしくお願いしますね」
そう言い終え、ふわりとあくびをすると。
アウラは、倒れるように眠ってしまいました。




