末文 あなたへ
愛の対義語。
改めて問われると難しいものですね。
相手のことを大切に思う、それが愛というのであれば。
相手を傷つけたいと思う憎しみが対義語になります。
相手のことを思い続ける、それが愛というのであれば。
相手への興味をなくした無関心が対義語になります。
ただ私は思います。
憎しみであれ、無関心であれ、相手のことを「覚えている」という点では同じだと。
ならば、相手のことを忘れてしまった、それもまた愛とは正反対の状態ではないでしょうか。
私は忘れてしまいました。
十三歳のとき、私はある男の子の憎しみを一身に受けました。あまりに強烈な憎しみを受け止めきれず、あがきもがいた末に意識を失いました。意識を取り戻すと長い年月が過ぎていて、私は二十一歳となっていました。
いきなり大人になった自分にずいぶんと戸惑いましたが、人里離れた地で祈りの日々を過ごし、どうにか心の平穏を取り戻しました。意識を失っていた八年間のことは何ひとつ覚えておりませんが、体は健やかに成長していました。きっと何らかの方法で、私は普通に暮らしていたのでしょう。
その八年の間に、私は誰かを愛したのでしょうか。あるいは誰かを憎んだのでしょうか。
同じ時を過ごした誰かに興味を持ち、時の積み重ねの中で想いを膨らませたりしたのでしょうか。
それを思い出そうとすると、ようやく取り戻した心の平穏を失ってしまいそうです。心が千々に乱れ、自分自身を引きちぎりバラバラにしてしまいたい、そんな衝動に駆られてしまいます。何年もそれに苦しみ、ようやく心の平穏を得た今、忘れてしまったことを思い悩み苦しむことは、もうしたくありません。
愛も憎しみも、私は忘れてしまった。
関心も無関心もありません。忘れてしまったとは、なかったことと同じだから。
そう、何もなかった――愛すらも。
だから私は平穏でいられるのでしょう。
それを思うと――愛の対義語とは忘却であり、それゆえの平穏であると、私はそう考えます。
※ ※ ※
「……ふう」
私はペンを止め、一息つきました。
冷めたお茶を口に含み、書き終えたばかりの手紙に目を通します。
愛の対義語は、憎しみでしょうか、無関心でしょうか。
差出人の名が塗りつぶされた古い手紙。文箱の底に埋もれていたその手紙を読んで、私は返事を書かねばという思いに駆られました。
なぜなのかはわかりません。
ただ、書かねばならないと思ったのです。
ですがこれがなかなかの難事でした。書いては破り捨て、を繰り返し、結局今の心境を書くことしかできませんでした。これが返事になっているかどうかはわかりません。だからなに、と問い返されるかもしれません。
でも。
「うん、いいでしょう」
目を通し終えて、私は満足しました。差出人が望んでいる返事を書けたのではないかという、奇妙な確信を覚えました。
手紙を封筒に入れ、蝋を溶かし封をします。宛先は王都としておきましょう。差出人の名はわかりませんから、宛名は「あなたへ」とだけ書きました。封筒の裏には自筆で署名。封蝋とこの署名があれば、粗末には扱われないでしょう。
「さて、と」
両手を伸ばして背伸びをし、私は席を立ちました。よい天気です、気分転換がてら手紙を出しに行くとしましょう。
「巫女様、お出かけですか」
側仕えの女官が声をかけてきました。男性用の神官服を身にまとい、クールで優雅な、相変わらずのイケメン・レディっぷり。私がうなずくと「ではお供いたします」とついてきました。
「よい天気ですね」
神殿を出て、空の青さに目を細めます。この青空のように澄み渡った私の心。この平穏を保てるのであれば――八年分の記憶など、なくてもよいと心から思います。
そういえば。
記憶を失う直前、十三歳の私にありったけの憎しみをぶつけてきたあの男の子は、どこでどうしているのでしょうか。
生きていれば、大人の一歩手前、というところでしょうか。今も誰かを憎んでいるのでしょうか。それともその憎しみはすでに晴らされ、逆に誰かを愛しているのでしょうか。
何もかもを焼き尽くすような、あの憎しみを晴らすのは並大抵のことではできそうにありませんが。
もしもあのとき、抱えていた憎しみすべてを私にぶつけたのなら。
その代わりとなるもの――「愛」を誰かが彼に教え、健やかに成長していることを祈りたいと思います。




