10.強者の代償
「花家と風家の、いわば大人の事情というやつです。お嬢様方はお気になさいませんよう」
してやられたとはどういう意味か。
シルヴィアの問いに、ミズハはそう答え、茶目っ気たっぷりにウィンクをしました。
「……ニンリルは私の大切な友人で、ただの学生です。危ない目にあわせたらただでは済ませません」
「承知いたしました。花家の名にかけて、ニンリル様にはかすり傷ひとつつけさせないと誓いましょう」
王女モードでの申し渡しに、ミズハはうやうやしい一礼で答えました。
不安は拭えませんが、花家の名を出しての誓いです、たとえ侍女の言葉であったとしても何かあれば責任を問うことはできるでしょう。
「ニンリル。何かあったら私に言ってね。王家の権力、フル活用してとっちめてやるから」
「うん、よろしくね」
くすりと笑ってうなずいたニンリルですが、あまり不安そうな顔はしていませんでした。
(ひょっとして、ノトスくんにも何か言われてるのかな?)
考えてみれば。
ニンリルはまだ十五歳ですが、色々と規格外の女の子です。王国一の天才少女と呼ばれ、歴代最年少の王立アカデミー合格者であり、完全記憶能力なんてとんでもない能力を持っている。しかも、王族と四大侯爵家の当主以外は正体を知らない、風家当主と懇意でもあるのです。
(ニンリルも、大人の事情ってやつを知っているのかな?)
それはきっと、シルヴィアに関わる何かでしょう。思えば建国祭の事件以来、シルヴィアを取り巻く何かが動き始めた気がします。それが何なのかは知らされておらず、たぶんこの先も知らされることはないでしょう。
一番の当事者のはずなのに、蚊帳の外に置かれている。
そんな感じがして歯がゆく思います。シルヴィアを守るためなのでしょうが、何ひとつ事情を知らされないまま守られるだけなんて、悔しくてたまりません。
でもそれは、シルヴィアがまだ子供で弱いから。
だったらシルヴィアのやることはひとつだけ。早く大きくなって、もっと強くなることです。そうすれば誰もシルヴィアを蚊帳の外に置いたりはしないはずです。
(そうよ……もっともっと強くならなくちゃ)
がんばらなくていい、王妃にはそう言われました。その言葉にホッとして泣いてしまいました。ですが敵は強大です。のんびりしていたら、母の仇をとることなんてできません。
(みてなさい。すぐに魔術を覚えて強くなってやるんだから)
「ではお嬢様方」
ミズハの明るい声に引き戻されました。
「お食事にいたしましょう。ご当主もジャターユ様も、お二人をお待ちですよ」
少々話し込んでしまいました。花家と鳥家の当主二人を待たせるなんて、王女といえど失礼でしょう。
「そうでした。急ぎましょう」
ミズハの言葉にうなずき、シルヴィアたちは食堂へと歩き出しました。
ですが。
(ひっ!?)
廊下に出たところで、シルヴィアの全身に悪寒が走りました。
(この……感じ……)
全身がこわばり、冷や汗が流れます。この感じ、間違いありません、建国祭のときに感じたアレと同じです。ねっとりとまとわりついてきた、魂の底までを汚すような気持ち悪さを思い出し、シルヴィアは一歩も動けなくなりました。
「殿下?」
急に立ち止まったシルヴィアに、ニンリルが声をかけてきました。シルヴィアは返事をすることもできず、ガクガクと震えて立ちすくむばかりです。
「どうしました? 殿下、大丈夫ですか?」
「ニンリル様」
ミズハも立ち止まりました。不快そうに目を細め、静かで落ち着いた声でニンリルに告げます。
「殿下のお側に。どうやら賊のようです」
「えっ!?」
ニンリルが驚くのと同時に、ミズハがなめらかな動作で右腕を上げました。
パチンッ!
指を鳴らす音が鋭く響きました。パキン、と何かが割れる音がして、シルヴィアにまとわりつこうとしていた「何か」が退けられました。
せり上がってきていた気持ち悪さが消えました。ホッとすると同時にめまいがして、シルヴィアはぐらりと揺れました。
「シルヴィー!」
ニンリルが慌てて抱き止めてくれました。
「大丈夫!?」
「だ、大丈夫、ちょっと気が抜けただけ……」
「お二方、そのまましゃがんでいてください」
再びミズハが指を鳴らすと、窓が締め切られた廊下に風が吹き抜けました。
その風が収まると。
誰もいなかった廊下に、縦に三色、黒、緑、黒と塗り分けられた、見覚えのあるサーコートをまとう男たちがいました。その数、五人。いったいいつどこから入ってきたのでしょうか。
「魔術での目くらまし、私には通用しませんよ」
「ちっ……」
男たちは舌打ちすると、短剣を構えミズハに鋭い視線を向けました。ミズハは肩をすくめ、困ったものですね、と頭を軽く振ります。
「本日は王女殿下と鳥家ご当主をお迎えしているというのに、賊の襲撃とは。花家のメンツに関わる事態です」
「知ったことか。この千載一遇の好機、逃すわけがなかろう」
「勝手な方々ですね。それで御用は?」
「お前に用はない。用があるのは、王女を騙る罪人のみ」
男たちがシルヴィアに殺意のこもった視線を向けました。
「他の二人は見逃してやる。死にたくなければすぐに立ち去れ」
「ククッ」
男の言葉に、ミズハがおかしそうに笑いました。
「見逃してやる、ですか。それはこちらの言葉ですよ」
「なんだと?」
「こそ泥のように侵入しての不意打ちだというのに、悠長に会話して。失礼ながら、皆様ド三流ですね」
「貴様……!」
男たちが気色ばみました。腰を落とし、今にも飛びかかってきそうな体勢になります。ですがミズハは動じる様子もなく、静かに右手を動かします。
パチリと、指を鳴らす音が響きました。
ぶわっ、と空気が動き、突風となって男たちに襲いかかりました。男たちは一瞬で弾き飛ばされ、壁に、床に、天井に、ものすごい勢いで叩きつけられました。
「このように。標的が間合いに入ったのなら、さっさと行動を起こすことです」
爛々と輝く目で見下しながら、冷たく言うミズハ。男たちは這いつくばってうめくばかりで、反論もできません。勝負にすらならない、一方的な戦いでした。
「屋敷に私一人と侮るからこうなるのです。数を頼みの烏合の衆など、私の敵ではありませんよ」
とどめ、とばかりに指を鳴らそうとしたミズハですが――「おっといけない」と思いとどまりました。
「これ以上は、お嬢様方にお見せすべきではありませんね」
軽く肩をすくめ、振り返ったミズハ。不意の襲撃を受けたとは思えない余裕綽々という感じの笑顔を浮かべています。シルヴィアもニンリルも、あまりの強さにぽかんとするしかありません。
これが、魔術師・ミズハ。
裏社会で「魔女」と呼ばれ恐れられていた人。
花家に行きたいというシルヴィアの願いを、王太子のアルフレッドがすんなりとOKしなかったはずです。あのアウラですら、一対一ならミズハに勝てないかもしれません。
(こんな人が側にいるなんて……)
いつかシヴァンシカと対決することになった時、ミズハは最大の障壁として立ちふさがることでしょう。自分の魔力すら制御できない今のシルヴィアが、ミズハとまともに戦えるとは思えません。
「どうしました、殿下」
じっと見つめているシルヴィアに、ミズハが声をかけてきました。
「いえ……すごいな、と思っただけです」
「ありがとうございます。ですが殿下も修練を積めば、私と同じ域に達することができますよ」
「それ、お世辞?」
「いいえ、本当のことでございます」
ミズハはシルヴィアの前にひざまずくと、その手を恭しく取りました。
「殿下の素質は私以上とお見受けいたします。もしも殿下が、大切にしているものすべてを捨てて魔術の修練に励むと覚悟を決めれば、十年で私を追い越すことでしょう」
十年。
シルヴィアが生まれてから今日までの全てと同じ年月です。それは長いのでしょうか、短いのでしょうか。シルヴィアにはよくわかりませんが、母の仇がとれるのなら構わないと思います。
ですが。
「すべてを……捨てなければならないの?」
「さようでございます」
ミズハの赤い瞳が光りました。その光の強さに、シルヴィアは息を呑みます。
「魔術師は、究極の利己主義者。すべてを己のためのみに費やす者。己以外に大切なものがあるかぎり、魔術を極めることなどできない。それが私の考えでございます」




