ある夜(1/3)
研修合宿一日目、就寝前のくつろぎの時間。
彼女――アウラは、ゆるやかな足取りで夜道を一人歩いていました。
ふんわりとした明るい金髪の、かわいらしくも美しい女性です。年齢は十九歳。もう少し年上に見えるのは、所作が落ち着いているからでしょう。
「明日の朝は、少し冷えるかしら?」
雲一つない美しい星空を見上げながら、アウラはつぶやきました。
それにしても、こんな時間に呼び出しとは。
それも、皆が寝泊まりしている研修棟から少し離れた、別館にです。
呼びに来たのは、まだ名前を覚えていない若い講師。
呼び出した理由は、「新入生同士の親睦会に関する打ち合わせ」について。
講師は、何かに怯えた様子でした。他の学生に知られないようにと、囁くように告げられました。学校行事に関することなのになぜそんな態度なのか――その答えはまもなく判明しました。
「失礼します」
別館の一室、ノックした扉を開くと、そこには先客がありました。
男が四人、女が三人。
身につけているものや尊大そうな態度から、高位貴族の子弟とわかる男たち。
清潔ではあるが質素な身なりをした、いずれも目鼻立ちの整った女性たち。
全員が学生で、教職員らしき人はいません。
そして、四人の男は――いずれも見覚えのある、侯爵家の子です。
アウラは「なるほど」とうなずきました。講師が告げた呼び出し理由は、真っ赤な嘘のようです。
「遅くなり申し訳ございません」
ですが、そんなことはおくびにも出さず、アウラは丁寧に一礼しました。
「やあ。待ってたよ」
四人の男が値踏みするような目でアウラを眺めました。
あまり心地のよいものではないわね、と思いつつ、アウラは勧められたソファーに腰を下ろしました。
「さて、急に呼び出して申し訳ないね」
一番奥の席でふんぞり返っていた男が、柔和な笑みを浮かべて口を開きました。
おかしなセリフです。アウラたちを呼び出したのは教職員のはず。なぜ彼が呼び出したと言うのか。首謀者はこの男なのでしょう。
視界の端では、入口近くにいた男が扉をふさぐ位置へ動いていました。四人の中で一番体が大きく、武術の心得がありそうです。彼を押しのけて外へ出るのは、なかなかに難しいでしょう。
アウラ以外の三人の女性は、そのどちらにも気づいていません。のんきなことです。
「明日の夜、研修合宿の打ち上げと親睦会を兼ねて、パーティーを開催することになっているのは知っているね?」
男の言葉に、女性たちがうなずきます。
今日から二泊三日の予定で行われている、新入生を対象とした大学の研修合宿。その主な目的は、大学生としての自覚を促すとともに、新入生同士の親睦を図ること。ゆえに、パーティーは大切な行事です。
「そのパーティーの進行役に、我々が選ばれた」
「どうして私たちなの?」
「さあ? 大方、入学試験の成績上位者とかじゃないのかな?」
ありえないわね、とアウラは笑いをこらえました。
なにせアウラは補欠合格の身です。成績上位者のはずがありません。
他の三人の女性を横目で見ると、何やら誇らしげな顔をしていました。
あらあらと、アウラはまた笑いをこらえます。
仕方ないことかもしれません。なにせ彼女たちが合格したのは、王国一の難関大学「王立アカデミー」です。さして裕福ではない家に生まれ育った彼女たち、相当な努力を重ねて合格を勝ち取ったはず。成績に自信があるのは当然でしょう。
その自尊心をくすぐり、警戒心を解く。うまい手です。誰かが教えたのか、手慣れているのか。もしかしたらその両方かも知れません。
「懇親会の大まかな次第は、先生方から渡されている。分担を決めて、段取りを確認しよう。まあ、小一時間というところかな」
「少しかかるな。お茶でも入れよう」
黙っていた男の一人が立ち上がり、壁際の机に置かれていたポットとカップへと歩み寄りました。
手際よくお茶を入れ、女性たちの前にカップを並べます。立ち上る香気、よい茶葉のようです。
「ありがとう」
アウラ以外の女性たちがカップを手に取りました。少しひんやりとした夜ですから、温かい飲み物はありがたいもの。一口飲んで、ホッとした表情を浮かべています。
「君は飲まないのか?」
お茶に手を伸ばさないアウラに、男の一人が声をかけました。
「先ほど飲んだばかりでして。お気遣いを無駄にし、申し訳ありません」
「……そうか」
わずかに歪んだ男の口元。思い通りにいかなかった、苛立ちでしょう。しかしそれはすぐに消え、柔和な笑みに戻りました。
「なら、こちらはどうかな」
別の男が、茶器の横に置かれていた箱を差し出しました。
王都でも有名な菓子店の箱。中には看板商品のチョコレート菓子。一般家庭ではおいそれと買えない値段のお菓子です。
「まあ、こんな高級品」
「頂き物だ。家にたくさんあって食べ切れないので、持ってきた」
「こんな高級品が食べ切れないなんて。さすがは侯爵家ですね」
アウラはチョコレート菓子をひとつ、つまみました。
「君たちも」と勧められて、他の女性もチョコレート菓子を手に取ります。
「おいしーい」
チョコレート菓子を口に入れ、感嘆の声を上げる女性たち。そんな女性たちをよそに、アウラはつまんだチョコレート菓子をかざしました。
「美しいですね」
男たちが、息を潜めてアウラを見ています。その視線には気づかないふりをして、アウラはチョコレート菓子を、ためつすがめつ眺めます。
「まるで宝石のよう。食べるのがもったいないです」
「一流パティシエの手によるものだからな。味だけでなく、見た目も楽しめる」
「これひとつが、おいくらなのでしょう……あらいけません、浅ましいことを申しました」
「ふふ、いいさ」
男の顔に、ほんのかすかに嘲るような色。
しかしそれもまたすぐに消え、柔和な笑みの仮面に戻ります。
「さあ、遠慮せず食べてくれ」
「ありがとうございます」
男の勧めに、アウラは天女のような笑みを浮かべ――チョコレート菓子を箱に戻しました。
「ですが、遠慮しておきましょう」
「……なぜだい?」
男の声に、苛立ちの色。お茶に続きお菓子も断られました。計画が狂い、抑えきれなくなったようです。
「なぜと申されましても」
口元に天女の笑みをたたえたまま、アウラの目がすうっと細くなります。
「私、薬物入りのお茶やチョコレートは、好みませんので」