患者のこない整骨院 3
「そうじゃのう~爺さんが亡くなったのが7年前じゃから、それからずっとじゃな」
「寂しくないんですか」
「もう、慣れたでな…」
普段おしゃべりする相手がいないからか、老婆は娘や嫁や孫のこと、死んだ爺さんとの馴れ初めまで…昔の出来事をペラペラとよくしゃべります。
「それにしても、この歳になると出かけるのがしんどくてなぁ…。
具合の悪いところがあっても、まずは病院に行くのがひと苦労でこまっておるんじゃ!
うちに来て診てくれるお医者さまがおったらええんじゃけど…なぁ、こまった先生」
「小松田です」
と、先生はふたたび念を押して訂正しました。
※※※
「いてっ、いたたた…!先生、そこそこ? きっくぅ~」
さて、午後からの診療で、小松田先生は女性の患者さんを治療していました。
いつも週に一度は通って来てくれる、介護士だという人です。
「相変わらず凝ってますねぇ」
「あははは、そうですか? でも、前よりはずっと楽になったんですけど」
この患者さんは、いつも、ものすごく肩が凝っています。
はじめて彼女がこの医院を訪れたとき、先生はここまで肩の凝っている人を診察したことがありませんでした。
今は毎週来てくれているので多少はマシになってきていますが…。
それでも普通の人と比べると、かなり肩は凝っているほうです。
「でも、今日も首の根っこの筋肉が、カチカチにこわばってますよ。このまま放っておくと、かたまって回らなくなるぐらい」
「あ~あ、最近、休みなしで忙しかったからかなぁ……もう歳かも、なんだか急にお婆ちゃんになっちゃったみたい」
「そんな、福島さんでお婆ちゃんなら、わたしなんて棺おけに足突っこんでゾンビになってます」
あまり女性の歳を詮索するのは失礼にあたりますが、病院では健康保険証を取り扱うので、介護士の福島和美さんが35歳で独身だということは嫌でも分かってしまうのです。
「ゾンビセンセイにあたしの肩揉んでもらったら、センセイの指がバキバキ折れそうねぇ!」
「あははは……」
「あ~スッキリした! じゃあね、センセイ、肩が痛くなって困ったらまた来るね」といって、福島さんは会計で千円札を払いました。
「はい、530円なのでおつりは470万円…!」
「きゃははは…肩は軽く、お財布は重くなっちゃったぁ!」
明るくてチャーミングな彼女と冗談を言いあっていると、こちらまで元気をもらいます。
う~ん、と大きな伸びをして、来たときのやつれた様相とはうらはらに、軽やかな足どりで帰っていく福島さんを先生は手を降って見送りました。
ーー何やら介護の仕事って大変そうだなーー
と、いう印象を、漠然として受けながら。
短い秋の日が暮れてゆきました。午後の六時をすぎ七時をすぎ…八時になるまで先生は医院を閉めてお家には帰れません。
なぜならお勤めをしているひとが会社の帰りにでも寄れるようにと、午後の八時まで診療するとチラシや看板に印刷してしまっているからです。
ですが夜の六時を過ぎて患者さんの来ることは滅多にありません。
だけど宣伝している以上、ひとりでも患者さんが来たらと思うと、先生は忠実に毎夜、医院の明かりを灯しておくほかはないのでした。
今日もいつもの通り、福島さんと数人の患者さんを診察して終わろうとしています。
昼間、患者さんたちが少しでも訪れてくれて、肩や腰をもみながら話したり冗談をいっているうちはいいのですが……
窓の外が暗くなり、ひとり静かな病院に取り残されたような気になってくると、だんだんと心細くなります。
そのうちお腹もすいてきました。
電気マッサージの機械のホースが、天井から不気味に垂れさがっています。
先生が今日はもうこれぐらいで医院を閉めて帰ろうかと思ったその時にーー
チリン、チリン…。
玄関ドアにぶら下げたベルが鳴って、ひとりの患者さんがそうっと、静かに入ってきました。