第九十六話 久しぶりのタバコ
「いやあ〜、ありがとうございましたあ〜」
森の中を歩きながら少女は間延びした声で礼を述べた。
オークと謎の爆発の後、俺とラリア、パンジャンドラムは襲われていた少女の後ろをついて、森を歩いていた。
「調査の最中にオークに見つかって、もうお終いかと思っちゃいましたあ〜」
少女は明るいオレンジ色の、フード付きローブを着ていた。
かぶったフードから薄い水色の三つ編みを2つ、前に垂らしている。とても小柄な少女だった。
「危なかったね。オレらが間に合ってよかったよ」
「ほんとです〜。木の陰から急に出てきて、びっくりして叫んだら襲いかかってきて〜」
俺たちはオレンジフードの少女を先頭に、俺と左腕のラリアが少し下がって左、パンジャンドラムがその右を歩いていた。
パンジャンドラムは和やかにコミュニケーションを取っていたが、それは通り一遍の世間話のようで、どこか身の入っていないもののように見えた。
彼はライフルを体の前面に抱きかかえるように持っていた。
普段はスリングベルトで肩にぶら下げているのに、まるでいつでも何かしらの攻撃行動に移れるように。彼の大きな瞳は、オレンジフードの背中に焦点が合っているようだった。
一方少女はと言うと、そんなゴブリンの視線に特に気づいてはいないようだ。
彼女は左手に霧吹きのような道具を持っていた。
陶器だろうか、黒い瓶状の物があって、その上部に、古いタイプの自転車のホーンのような物が取りつけてある。小さなラッパと、そこに風を送り込むゴム製の風船がついているあれだ。
少女の持っている物はゴム風船ではなく、浮き輪やゴムボートの足踏み式空気入れのような、しかし小さな蛇腹のポンプだ。
彼女はそれを、時々思い出したようにピコピコとポンプしながら歩いていた。
ポンプするたびに、ラッパから紫煙がくゆる。
「マスター……あれ、臭いです……」
左腕のラリアが小声で呟いた。
聞こえたのだろう、少女が振り向いた。
「これですかあ〜? ごめんなさい〜、妖精除けの煙草なんですけど〜……」
少女は霧吹き……いや煙吹きを俺たちに持ち上げて見せた。
パンジャンドラムが尋ねた。
「妖精除け?」
「そうです〜。この瓶の中に運撃草という植物を乾燥させたものが入ってて、それを燃やして煙を出してるんです〜。妖精はこの匂いを嫌うから、寄ってこないんですよ〜」
少女がポンプした。
紫煙が漂い、ラリアとパンジャンドラムはあからさまに嫌そうな顔をした。
「これがあれば妖精にイタズラされなくていいんですけど〜……そのかわり、匂いがするから別の脅威に見つかっちゃう時もあるんですよねえ〜……」
歩きつつポンプを眺めて、肩を落とす。
ごく普通のタバコの匂いのように感じられた。
妖精のみならず蛇除けにも効果を発揮しそうに思えた。
だがコアラとゴブリンを見やると、双方ともに苦い顔をしている。お気に召さないらしい。
俺は言った。
「別の脅威……たとえばさっきのオークか?」
「そうです〜。オークもこの運撃草の煙草が嫌いだと聞いたことがあるんですけど、まさかあんなに怒るほど嫌いなんですかね〜?」
「便利そうなのにな」
「森の奥の方へ入る冒険者の方とかは、愛用してる人は多いんですけどね〜。こういうのとか〜」
少女は腰のポーチから何かの平べったいケースを取り出した。
平面の広さは電車の駅で使う定期入れほど。彼女はその蓋を開いて中身を俺に見せた。
数本の紙巻タバコのような物が入っていた。
「私は吸わないんですけど〜、煙吹きが壊れた時のために念のため〜……子供は吸っちゃいけないですし〜」
「1本もらっても?」
「助けてくれたお礼に全部どうぞ〜」
少女はケースごと俺によこした。
1本を取り出し咥える。
「パンジャンドラム、火は持ってないか?」
相変わらず嫌そうな顔をしたまま俺を見るパンジャンドラム。
「……ロス君……喫煙者だったんだ……この21世紀に……ショックだよ……」
「なあ、火を貸してくれよ」
「私のをどうぞ〜」
難色を示すパンジャンドラムのかわりに、少女が煙吹きの噴霧器部分を取り外し、瓶を貸してくれた。
俺は瓶を傾け、中で燃えている草を瓶の口付近に寄せる。その草に口元の葉巻の先を近づけ、息を吸い込んだ。
しばらく吸気を繰り返すと先端に火がついたので、少女に礼を言って瓶を返す。
思いきり吸い込んで、それから吐き出す。
脳細胞が痺れた。手からマイクロウェーブを出すのは散々やってきたが、口から煙を吐くのは久しぶりだった。
「マスター! 臭いです!」
ラリアが左腕から飛び降りて、パンジャンドラムの背中のスライムタンクの上に飛び乗る。
「ロス君、子供の前だよ」
「妖精に騙されるよりマシだろう」
「まあまあ〜。もうすぐベースですし〜」
少女がそう言った。
パンジャンドラムはしばし俺をジト目で睨んでいたが、少女の方を振り返って、
「えーっと……そのベースってところが、開拓村みたいなところだっけ? その……この道で合ってるの?」
「もっちろん〜」
俺たちはオークから助けたお礼に、彼女の先導でベースなる居住地へ連れていってもらう最中だった。
少女は片手の煙吹きを時折ポンプしつつ、森の木々などを見ながら前を歩いていく。
どうやらこの森に慣れているようだった。
そうこうしているうちに、森が途切れた。
崖の上に出たらしい。
「あれがベースですよ〜」
少女は崖の下を指差す。
崖下の森の中、切り拓かれた広い地域に無数のバラックが立ち並んでいて、それが森の地平線に沈む夕日に照らされているのが見えた。
口先から立ち昇る紫煙に揺らぐベースを眺めていると、少女が言った。
「申し遅れました〜。私、冒険者ギルド学術研究調査員、アップル・インティアイスと申します〜。よろしくね〜!」
蛇除けという記述がありますが、たしか効果を発揮するのは煙ではなく葉っぱをただ撒いた場合の話だったはずです。
モノローグでの発言はロスのただの言い訳です。
タバコの吸い殻、特に火のついたものを山に捨てるのはやめましょう。




