第八十八話 キノコ狩り
「…………終わったでござる」
フェリデールの冒険者ギルド。
訪れるのは2度目になるこの場所で、受付にいるキリーが振り返った。
彼女の手には真新しい冒険者カード。俺は尋ねた。
「ランクはどうだった?」
「C、ランク……でござる」
うつむくキリーを尻目に、俺は受付にシャイニングマツタケ採取のクエストを受ける旨を伝え、それからキリーについてくるよう促した。
ギルドを出ると、通りを朝の光が照らしていた。
まだ太陽は東から登ってほどなく、街の建物は長い影を作っている。
異世界においても太陽の昇る方向を東と呼ぶのは奇妙なものだと思った。
だが考えてみれば、惑星が宇宙空間に浮かぶ球である以上、厳密な上下左右に言及するのも無意味なことかも知れない。ただ太陽が顔を出す方向に、名前をつけただけなのだ。
キリーを振り返ると、うつむいたまま俺の後ろをトボトボとついてくる。
俺はラリアを左腕から降ろし、言った。
「行け、ラリア」
「おーっ!」
ラリアはキリーの背後へ素早く回り、うつむく新米冒険者の両脇をくすぐった。
「あ、あはは、何を、あ、やめるでござる! あはは」
「元気出たですか?」
ラリアは手を止めた。
キリーはしばし喘いでいたが、やはりうつむく。
「……拙者は、ロス殿に危害を加えようと……」
「気にしていない」
「で、ですが! 拙者はあのハル・ノートの妻たちのように、ロス殿を無理やり……」
「あれはどうもヌルチートの呪いのようだ。アリスの日記によれば、ヌルチートは人間の感情に影響を与えるらしい。アリスは改善を加えたようだから彼女たちはある程度の自制が効いていたみたいだったが、君に取り憑いた奴はまだ子供だった。不完全なヌルチートのせいで、変な影響が出たんだろう」
キリーは一度、はっとしたように俺を見上げたが、また顔を下に向ける。
「……ですが……拙者があの折り、ロス殿に伝えたことは……」
その後顔を真っ赤にして、モゴモゴと小声で何か言っていた。
それは聞き取れなかったが、
「……拙者はロス殿と一緒にいる資格など……拙者はブアクア刀など突きつけて、ロス殿のことを……」
消え入るような声でそう言った。
俺はラリアと顔を見合わせた。
そして顎でしゃくる。
「おーっ!」
「あはははは! や、やめて! あははははははは!」
ひとしきりくすぐってから手を止めたラリア。
はあはあと息を荒げていたキリー。
俺はそんな彼女の頭を撫でた。
「あ……」
「キリー。言っておくことがある」
「な、何でごさろうか」
「君はCランクの冒険者。俺はSランクの転生者。たかが小刀を突きつけられた程度、それを問題視する俺ではない」
キリーは俺の手を頭に乗せて見上げつつ、首を傾げた。
ラリアも俺の顔をじっと見つめている。
「……どうした」
「マスター、ボクがいなかったら刺されてたです」
「ロス殿、あの時変な声漏れていたような……悲鳴では……?」
俺は2人の顔を見比べ、
「……そんな態度ならおまえたちにシャイニングマツタケは食わせない。俺1人で行く」
「あっマスター待ってです! ごめんなさいです!」
「ご無礼つかまつった! せ、拙者も連れて行ってくだされ!」
叫んだキリー。その顔を、ラリアと2人して眺める。
「あ……」
「元気出たですね」
「そのようだな」
「あう……」
キリーはしばらくモジモジしていた。そして、
「あの……ロス殿。よろしいのでござるか? 拙者と一緒で……」
と上目遣いに見上げてきた。
俺は言った。
「行くぞ、諸君。サッカレーのシャイニングマツタケを独占するのだ」
「承知!」
「おーっ!」
フェリデールから東の山。
そこにシャイニングマツタケの群生地がある。
シャイニングマツタケの採取はDランクのクエスト。
ただ採取するだけならばEランククエストだそうだ。
しかしシャイニングマツタケはたいてい山の奥に生えている。山に深く入りすぎた新米冒険者が、猛獣や魔獣に襲われ、落命するケースがないでもない。
そのため、ただの採取よりもワンランク上に判定されているとのこと。
「それに、シャイニングマツタケはオークの好物でござる。鉢合わせするとEランク冒険者では歯が立たぬでござるからな」
山中の茂みをかき分けつつ、そう語るキリー。
まるでベテラン冒険者のような口ぶりだが、彼女が話しているのは冒険者ギルドで貸し出されている、シャイニングマツタケ採取マニュアルの内容だ。
本来マニュアル書を借りることができるのだが、キリーはざっと目を通しただけで丸暗記してしまった。
幼い頃より諜報部員として叩き上げられた彼女は、そういう訓練を受けたのだという。
文書の類いは持ち歩かない。すべて頭に叩き込む。詰め込み教育の権化のような少女が、鉈で枝をバッサバッサと叩き切りながら進んでいる。
「キリー、俺がやろうか?」
「いえ、やらせてくだされ。これほど騒々しく仕事をするなど、なかなかない機会なもので。楽しいでござる」
鉈を振り回すのが楽しいなどという少女にお目にかかるのは初めてだ。キリーの勢いはとどまることを知らず、小型のブルドーザーめいて道を切り拓いていく。
キリーを先頭に急な傾斜を登っていたが、やがて平地にたどり着いた。
木々は相変わらず鬱蒼と茂り天を覆っていたが、そこかしこから射す木漏れ日は森を穏やかに照らしていた。
「地図によればこの辺りが、シャイニングマツタケの採取ポイントでござるよ」
「キリー……ちょっと休んでいいか」
「ええ……もう疲れたでござるか」
「むしろ君は疲れないのか」
「おねーさん、ボクと探しにいきましょー!」
「いいでござるな! いきましょう!」
左腕にしがみつき楽をしていたラリアは、地に降りてディフォルメを解除した。
俺とキリーはあらかじめ準備してきた籐製の籠を背負っていた。
俺は自分の籠をラリアに渡す。2人は手をつないで、森を走っていった。
俺は倒木に腰掛けた。
青緑。
森はそんな色だった。
不思議な感覚だ。日本にいた頃山に登ったこともあったが、茶色という印象が強かった。
木の幹と、土の色ばかり目に入ったせいだろう。
だがこの森の木々の幹は黒に近い色。
そのため青々と茂る葉の鮮やかさが際立って見えた。
木漏れ日は幾つかの光のカーテンとなって降り注ぎ、その下を子供たちがはしゃぎ回っている。
「ねえ聞いていい? ロス君ってさ、歳はいくつなの?」
背後から声がしたと同時に、何者かが倒木を乗り越え、俺の左側に腰掛けた。
転生ゴブリン、パンジャンドラムだった。
「どうしてそんなことを聞くんだろう?」
「だってさ、平地につくなりいきなり座り込んで、女の子たちのこと目ぇ細めて見守ってるからさ。まるでパパだよ。何でそんな枯れてんの」
「久しぶりだな。今までどうしてた」
「あんたに放置されて、森に隠れてゴブリンズと組体操してたよ。ずいぶん街に閉じこもってたんだね」
「ヌルチートについて調べていた」
俺を振り返ったパンジャンドラムに、これまでの経緯を話した。
ハルとその妻たちの顛末。
アリスの日記。
キリーの豹変については話さなかったが、ヌルチートにはどうやら大なり小なりの、理性を弱める力があるらしいということは話した。
聞き終えたパンジャンドラムはライフルを抱きしめたまま唸っていた。しばらくの間そうしていたが、
「……石板、見せてもらっていい?」
と言うので、ポケットから取り出し手渡す。
「……読めないなあ」
「読み解くための辞典があるようだ。それはアリスが持ち去ったようだが」
「うーん……。ロス君ってさ、タイバーンでもヌルチートに出くわしたんだよね。タイバーンの奴も、この石板を?」
「それはわからない。あの時はとにかく逃げるのに必死だった。造った女を気絶させヌルチートをすべて始末した後、すぐ国を出たんだ。余裕はなかった」
また唸るパンジャンドラム。
「君がヌルチートに襲われたのはどこだろう?」
「ここより西の方」
「と言うと、ガスンバとか言うところか?」
「いや、もっと西。ガスンバは人間が未開拓の地域だから素通りしてここに来たんだ。あそこはちょっとした無法地帯だからね」
ガスンバはハルが山脈を越えて逃げ込もうとした場所だ。
国の名前だと思っていたが、ただの地域名なのだろうか。
それについて尋ねようと思った時。
「あっ。あなたは先日のゴブリン殿!」
「ゴブリンのおにーさんです!」
キリーたちが戻ってきた。
「ヤッホー。元気?」
「あの、先日はまことにかたじけのうござりました。ロス殿はもとより、あなたの助太刀がなければどうなっていたことか……。国王陛下にご報告申し上げた折、ゴブリン殿にもお会いしてお礼をしたいと仰せでござったが……」
「……いやあ、いいよ。人の多いところは苦手なんだ」
顔を背け、手を振りながらそう言ったパンジャンドラム。
愛想がいいようでいて素っ気ないそぶりだったが、キリーはうなずいただけで、それ以上しつこい催促はしなかった。
「ところでみんな何やってんの?」
「マツタケ狩りでござる。ロス殿が連れて来てくれたでござるよ」
「ほぉ……」
目を細め俺を見るパンジャンドラム。
「……デートか。俺、間の悪い時に来ちゃったみたいだねえ」
「な、な、デートなどと、そのような……っ!」
真っ赤になって両手を振ったキリー。
「彼女は働き詰めだったし、俺もたまにはスリルのない冒険をしたくなったから気晴らしに来ただけだ。それにラリアもいるのにデートでもないだろう」
俺がそう言うと、
「……個人的な統計データで言うとねえ。転生者が男女2人きりで行動してるのはレアケースなもんでね」
パンジャンドラムはラリア、キリー、俺の順に顔を眺め回す。
俺は言った。
「では俺の個人的な統計データに照らし合わせると、君もレアケースだ。つまり統計学など恣意的な妄想にすぎない」
「俺は……ほら。孤独を愛するスナイパーだから」
パンジャンドラムは笑って目を逸らした。
それが小粋なジョークだったのか判断するには、俺はこの転生ゴブリンのことを掴みかねていた。
彼は間違いなく、転生者が複数の女性と行動を共にしている意味を知っている男だからでもあり……そもそもこの異世界では、ゴブリンと人間が恋人関係になるケースがあるのかもよくわからない。
そういう意味での自虐の可能性もある。
ひょっとしたらその手の多様化社会が異世界には存在するのかも知れないが、その上で純粋にモテない可能性も……。
「ゴブリン殿は、何用でこちらに?」
「いやあ、ロス君が街から出てきたから話でもしようかなって」
「ではゴブリン殿もマツタケ狩りしませぬか?」
「え、お、俺も?」
目を丸くしたパンジャンドラム。
「あっ、えーと……俺は……」
目を泳がせていた。時おりチラチラとキリーを盗み見たりしている。
もしかして、少女が怖いのだろうか。
その無邪気で天真爛漫、天衣無縫の生き様に、自分が傷つけられるのではないかと。
気持ちはわからないでもない。
「どうしたんだパンジャンドラム」
「いや、あの……何つーか、人と何かするのは久しぶりっつーか……いいの?」
「もちろんでござる! 拙者、たくさんの仲間と共に冒険したいと思って、ロス殿に無理を言ってお頼みしたのでござる。賑やかな方がいいでござるよ!」
「ゴブリンさん、一緒にマツタケ食べるですよ!」
キリーとラリアはパンジャンドラムの手を引いて、倒木から立ち上がらせた。
「……ぃよっし! そういうことなら混ぜてもらおうかな! 俺もキノコ狩りにはうるさいぞ!」
「行くですよー!」
「ほら、ロス殿も!」
はしゃぐ子供たち。そしてパンジャンドラム。
俺は倒木から腰を浮かせて、言った。
「やれやれ」




