第八十話 残業
フェリデールの白い宮殿。
俺はその中庭にあるテーブルにラリアと座り、茶を飲んでいた。
中庭は薔薇の咲いた生垣に囲われ、周囲からは隔絶された空間だった。
晴れ渡った空の下、午前中から為すこともなく茶をすする。まるで有閑貴族のようだ。
足音が聞こえたのでそちらを振り向くと、俺たちのテーブルへと続く石畳の通路を歩いてくる人物たちが目に入った。
サッカリー王子。ドリアス団長。そしてキリーだった。
彼らがテーブルまでやってきて立ち止まった時、俺は先手を取って言った。
「床に伏せるのはやめてくれ。礼を言うなら立ったままか、もしくはあなたたちも席についてからだ」
すでに中腰の体勢に入っていた王子は、少し考えるような素振りを見せた後、「それではお言葉に甘えまして」と言いテーブルについた。ドリアス団長とキリーは座ることはせず、王子の背後に立つ。
「まずはこたびの、王位奪還への御尽力、サッカレー国王として厚く御礼申し上げたい」
そう言って王子……いや、王はこうべを垂れた。
鉄道での大立ち回りの後。俺とラリア、パンジャンドラム、そしてキリーは、ハル・ノートとブリジットを連れフェリデールへと戻った。
それはやや面倒な旅だった。
俺たちはまず山賊砦へと戻り王子たちと合流し、それからまたフェリデールへ。
ブアクアの手錠で拘束したハルを引っさげ王宮へ乗り込み、俺が改革派の大臣の中で主だった者たちの顔をひっぱたき、そしてサッカリー王子は即位の儀を経て、正式に王となった。
それが一昨日のこと。
昨日は即位式やら何やらのイベントで、王は忙しくしていた。
その間俺とラリアは宮殿にとどまり、セレブごっこを楽しんでいたというわけだった。
「申し訳ありません。本来であれば真っ先に礼をすべきではあったのですが、新王の戴冠ともなれば各方面に触れを出したり、顔を見せねばならない相手も多々あるもので……」
恐縮する王に偽セレブロス・アラモスは言う。
「気にする必要はない」
「そう言っていただけると気が休まりますが……しかしロス殿。私としては、ロス殿にも戴冠式に出ていただきたかった。民衆の前で、この国を正しい形へと導いてくださった英雄はこのお方だと知らしめ、ロス殿の功績を讃えたかったのですが。祝賀会にもお出になってくださらぬと聞きました」
偽セレブアラモスは言った。
「式典は好きじゃない。俺について騒がれることもだ。パーティーはもっと苦手だ」
そうしてティーカップの茶を飲む。
「キリーの報告によれば、言葉を話すゴブリンのお仲間がいらっしゃるそうですが……どちらへ?」
「彼は自然を愛する男だ。こういった都会は遠慮したいとのことだ」
フェリデールへ入る前、パンジャンドラムは自分の姿では人々に変に思われるだろうと言って、どこかへ姿を隠してしまった。フェリデール入り口の門を双眼鏡で見張っているから、俺が出てきた時に声をかけると言い残して。容姿を気にして人前に出るのが億劫になる気持ちは俺にも理解できた。俺も前世はそうだった。
「ロス殿」王が言った。「あなたはこのサッカレーをハル・ノートの手より取り戻してくださいました。お約束の通り、あなたの望むものをご用意させていただきたいが……」
「ゴースラントへの旅費が欲しい」
俺はラリアの顔を見ながら言った。
「……それだけでよろしいのですか? もっと何か……たとえば貴族階級とか、領地とか……」
「必要ない」
「大金はいかがですか?」
「俺はこれからゴースラントへ行くんだ。持ち歩けない量やサイズの金はいらない」
王は口を引き結び、背後の家臣たちを振り返って顔を見合わせた。
そして王は俺に向き直った。
彼は居住まいを正し、先ほどより少し歯切れの悪い声で、こう切り出した。
「……大変申し上げにくいことなのですが……」
俺が無言で見返していると、王はひとつ咳払い。
「いえ、謝礼金はお支払いいたします。と言うより……上乗せさせていただけないかと……」
なぜかそんなことを気まずそうに言う王。
はじめに俺が、たくさんはいらないと言ったことが原因だろうか? だが安く上がるのであればそれに越したことはないだろうし、だいたい何も恐る恐る切り出す必要もなさそうだが。
俺がそう考えて黙っていると、
「ロス殿。ロス殿は賞金稼ぎでありましたな」
「……そんな肩書きもあったな」
「あなたにはこれまでいくら礼を申しても足りぬ活躍をしていただきました。しかしながら……もうひと肌、このサッカレー王国のために脱いではいただけませんか」
昼頃。俺は馬車に乗せてもらいフェリデールを出た。
向かった先は、荒野の刑務所。
刑務所は塔だった。
塔には地面を深く掘って造った地下牢、つまりダンジョンがあり、そこには様々な罪人が獄に繋がれていると、付き添ってくれたキリーから説明があった。
ダンジョンに投獄される罪人は、たいてい重犯罪者だ。
連続殺人。内乱の煽動者。未成年に対する性犯罪。
そして高レベルのスキルを持つ冒険者の罪人。
これらの人々を地下深く押し込め、刑期が終わるまで、あるいは二度と地上へ上がれないようにするため、ダンジョンはあると言う(ちなみにハルが王になってからは、重犯罪の項目には店舗に対する過度なクレーム行為も加わっていたらしい)。
走る馬車からも、もうすでに塔は見え始めていた。
荒野の真ん中にぽつねんと立つ塔。
それほど高い塔でもない。山賊砦と同じような高さ、大きさの塔だった。しかしその地下にあるダンジョンの広さは、山賊砦の地下牢の比ではないという。
ハルは王位簒奪の罪に問われ、あの塔のダンジョンへと収監されていた。
刑はまだ確定していない。
王府へと戻った王はハルの裁判より戴冠式を優先させた。一刻も早く国がサッカレー王家の元へ戻ったのだということを、国民に知らしめたかったという。
したがってハルがあそこに閉じ込められているのは仮の拘束だ。強力なスキル持ちを拘束し得る塔を、留置場がわりに使っているというわけだ。
サッカレーの国民にはまだハルが王位簒奪の罪で拘束されたことすら知らされていなかった。
裁判もまだ。ただ王が変わったとだけ。
国民からすれば奇妙な交代劇だが、王府の人々からすればそうせざるを得ない理由があるのだという。
まだ取り調べの段階で……すぐさま処刑に踏み切れない理由が。
馬車の窓から外を見やると、塔から左手、少し離れた丘の上に、大きな屋敷が見えた。
「あそこにブリジット嬢がいらっしゃるでござるよ」
「ダンジョンじゃなくてか」
「貴族用の牢獄でござる。ブリジット嬢は貴族でござるから、一般の牢へは投獄できぬ決まりでござる」
軟禁、ということだろう。
どこの世界でも上級国民は特別な部屋と扱いを用意してもらえるものらしい。
走る馬車から、青空の下佇む屋敷を眺めやる。
「……なにゆえ逃げなかったのでござろうな」
キリーの声が、馬車の車輪の大地を踏みしめる音にまぎれた。
鉄道での一件の後、アリス、チュンヤン、ディアナは姿を消した。
しかしブリジットだけは、ハルとともにフェリデールへ戻ると言い張ったことを思い出す。
「彼女の言葉がすべてだろう。自分は貴族であり、ハル・ノートの第一夫人、王妃だ、だから責任を果たす。そう言っていた」
「……しかしあのお方、あの時泣いており申した」
キリーが言っているのは、終着駅を離れたあとのことだろう。
フェリデールへと戻る道すがら。ブリジットは時折、涙をぬぐうような仕草をしていたのだ。
「……悔しい、と申されておりました。こんなに愛したのに、身も心も捧げたのに……その愛した男が、こんなつまらない男だったなんて、と」
ヌルチートをすべて葬り去った後、機関車を追走した際に垣間見たブリジットの形相を思い出す。
怒りと憎しみに満ちた、彼女の顔。
ハルがラリアとキリーをレイプしてやるというようなことを言ったあたりから、彼女はかなりショックを受けていたようだったが……。
プライドの高そうな女だとは思っていた。
ハルは線路の上では卑劣な振る舞いにおよび、大渓谷を渡ってからは、見苦しいまでに命乞いをしていた。
それは塔地下のダンジョンに連行されていく間もそうだったと、俺はキリーたちに聞かされていた。
「……ハル・ノートが王になって以来付き従っていた大臣によれば、彼が行なった失策を尻拭いし続けたのはブリジット嬢だということだそうでござる。王子殿下、いや国王陛下がご不在のおりにサッカレーが崩壊しなかったのも、ブリジット嬢の働きによるものだとか」
「彼女はどうなるんだろう?」
屋敷を眺めながら尋ねた。
馬車から見えるあの、丘の上の寂しい屋敷にいるブリジットの姿を思い浮かべようとした。
くだらん男にその身を捧げ、人生を棒に振った働き者の少女。
「どうでごさろうな。王位簒奪の計画を練ったのはブリジット嬢である以上、本来は死刑でござろう。ただ……」
「何だろう?」
「先王陛下がまさか生きていらっしゃったとは、誰も思わなかったもので……」
キリーはそう言った。
結局のところ、ブリジットがあの屋敷に放り込まれているのもそれが理由だった。
ハルが王となった後処刑されたと考えられていた先王、実は彼は生きていた。
ブリジットが尋問官に話したところによると、ハルが自分に逆らう王を処刑すると言い張った際、ブリジットは先王を処刑したことにして、こっそりどこかへ隠したのだそうだ。
どこにいるのかはわからない。
彼女は頑としてそれを話さない。
だから王府は手がかりである彼女とハルを処刑できないでいる。
「我ら諜報部をはじめ、サッカレー国軍をあげて捜索しておるのですが……」
見つからない、というわけだ。
キング・サッカリーが俺に頼みたいもう1つのこととは、それだった。
失踪した先王の捜索。賞金稼ぎとして、先王の行方を暴き出して欲しいと。
なぜ俺なのかと言えば、ハルを打ち倒した俺が尋問すれば、ブリジットも観念して口を割るのではないか、とのことだった。
正直そう上手くいくのかどうかは知らない。ただのダメ元、というやつだ。
「ロス殿。何とかお頼み申す。何とか先王陛下を見つけてくだされ」
馬車の席で俺を見つめるキリー。俺は屋敷を眺めて言った。
「カスパールの次はパパ・カスパールか」
とかくサッカレーの人々は、少し目を離すとすぐに姿が消える人ばかりのようだ。
馬車は丘を登り始めた。




