第五話 命の値段、男の格 ※
「ミスター」という表記が「ミスタ」になっているのは仕様です。
脱字ではありません。
どこまで歩いたのだろうか。
いつしか俺はさびれた場所を歩いていた。
くすんだ、古い建物が密集した地域だ。
道は狭く、狭い路地が入り組んでいる。上を見上げれば、建物が空を細く区切っていた。
返還前の香港を思い出した。思い出したとはいえ、行ったことなどないが。
「もし。お兄さん、もし」
突然、建物の一つの入り口から声がかかった。
そちらを見ると痩せた中年の男が手招きしている。
「奴隷を買いやせんか? お安くしときますよ」
俺は周囲を再び見回した。狭く、薄暗い路地。人通りもない。
俺は言った。
「何を売ってるのか知らないが店を移すんだな。こんな所じゃ客なんて来やしない」
「そんなことはない、お兄さんが来たじゃあないですか。さあ中へどうぞ」
どうしようか迷った。
急いでもっと遠くへ行くか。建物の中で時間を潰すか。
後者を選んだ。
店は薄暗かった。商人とおぼしき男は俺を、店の奥の階段へ誘った。地下へ降りて行く。ドアを開ける。コウモリはいない。地下室へと入った。
「こちらの商品をごらんください」
商人が指さした先には、女の子が倒れていた。
十歳ぐらいだろうか。
やつれていた。瞳はうつろ、弱々しい呼吸の音が、地下室の壁に幽かに反響していた。
不可思議なことに動物のような耳をしていた。灰色の髪の中に、灰色の丸い耳が二つ、飛び出していた。
「ねずみ」
「コアラですよ、お兄さん」
異世界のコアラ少女の首には首輪がはめられてあり、そこから伸びる鎖が壁に固定されていた。
「お兄さん、どうかこの子を買ってやってくださいよ」
「何だと」
「コアラ少女ですよ、コアラ少女。夜のお供におひとつどうですか?」
「どういうことだ?」
「奴隷ですよ。あなたの言うことを何でも聞く、忠実なしもべの少女」
「どういうことだ?」
「え、ええですから、この子を買ってくれませんかと」
俺はコアラを眺めやった。
「かひゅ……かひゅ……」
何とも弱々しい呼吸音だった。
健康状態は思わしくないようだ。劣悪な環境だったのだろう。
さらにあたりを見回した。地下室には、このコアラしかいない。あとは俺と、商人だけ。
「この子だけか?」
「ええまあ……お兄さんには打ち明けちゃいますが、この子だけ売れ残ってしまって……。在庫処分をどうやろうかと思っていたところだったんですよ」
「ずいぶんと体調が悪いようだが」
「病気なわけではありませんがね。ただ元気がないぶん、お安くしときますよ。500ペシニーでどうですか?」
まずペシニーとは何だ。通貨の単位なのか。日本円で言うといくらなのか。そしてその500ペシニーという額は、このコアラの値段として妥当なのか。
何一つわからなかったが、俺は言った。
「悪いな。金はない」
「それでは、470ペシニーで……」
「そういう意味じゃない、1ペシニーもないんだ」
「それでは、490プニーで……」
「1ペシニーもないと言ったろう、何で釣り上ってるんだ」
「500プニーで、1ペシニーです」
「一文無しなんだ」
俺は両手を広げた。ズボンの両側のポケットの中も広げて見せてやった。
「ええいそれでは、無料でさしあげます」
「あんた何言ってるんだ」
「聞いてください、聞くも涙、語るも涙、このコアラ少女は海を隔てた南の大陸で、恐るべき侵略者に村を焼かれ、奴隷としてこのタイバーン王国へ連れてこられたのです。しかしその間に、こうして弱ってしまっているのです。今お兄さんに見捨てられれば、この子はいったいどうなってしまうのか……」
「あんたが養えばいいだろう」
「いやですよコストがかかるじゃないですか」
「俺だっていやだよお金ないんだよ」
「私もありませんよ」
「じゃあ捨ててくればいいだろう」
「何と非人道的なあなたそれでも人間か」
「金のない奴は人間じゃないさ」
俺は商人とコアラに背を向けて地下室を出ようとした。しかし商人に腕を掴まれた。
「お願いしますよそこを何とか、引き取ってやってくださいよ、抱えてるだけで税金かかるんすよ」
「じゃあ俺はなおさらいやだよ」
そこで商人はコアラを指差した。
「ほら見てください、いたいけなケモミミ美少女がこんなに苦しんでいるんですよ! あなたはこれを見て何も思わないんですか!」
「かひゅ……かひゅ……」
「この子を救う力を持っているのはあなただけなんです。彼女を幸せにできるのは、この世にあなたただ一人! よっ、この色男! こんな美少女を好き放題できるなんて羨ましいなー! 羨ましいー!」
「じゃあその役はあんたに譲るよ」
「そんなことできませんよ、処女じゃなきゃ商品価値落ちるじゃないですか、いったいどこのバカが奴隷商人風情の汁まみれになった中古奴隷なんかにお金払うと思ってるんです? だいたい処女じゃなきゃ税金も上がっちゃうんですよ、お願いしますよ」
俺は出口へ向かった。なおも商人は俺の腰にすがりつきぶら下がる。
「ほら、お前からもお願いしろ! もっとアピールしろ! ここが正念場だぞ!」
「かひゅー! かひゅー! 苦しいなー! 苦しいなー! というかおなかへったなー!」
「ほら、息も絶え絶え! ねっ⁉︎ かわいそ! あーかわいそ!」
「うるさいぞ」
「お兄さん! お兄さんにはこの子が必要でしょ⁉︎ きっとそうですよ、必要に決まってる! いつかお兄さんはこの子を必要とする時がきっと来る……私にはわかるっ! お兄さんはこの子と一緒にいなきゃあいけないんです! ね、ですから……」
「離せィ!」
《ザ・マッスルのスキルが発動しました》
力づくで振り払うと商人は一直線に吹っ飛んでいき、壁に頭から激突した。そしてそのままピクリとも動かなくなった。
コアラと目が合った。コアラは倒れた商人と俺とを、交互に見比べていた。
何かが落ちた音が聞こえた。
金属音だった。そちらに目をやると、コアラ少女の首輪から伸びる鎖をつないでいた、壁の金属フックが外れて落ちていた。
商人がぶつかった衝撃と振動で外れたのだろうか。
階段から複数の人々がドヤドヤと降りてくる音が聞こえたのはそれからすぐのことだ。
そちらを見やる。ローブを着た二人の男と、一人の女が降りてきた。その中の女が言った。
「あっロスさん、ここにいたんですね! もー、探しましたよ!」
緑髪の受付嬢だった。
穏便な形で冒険者ギルドに連れ戻された俺は、ギルドの2階、応接間に通された。
クリーム色の壁にはなんだか知らない生き物の頭蓋骨が飾られている。客の応対をする応接間にそんなものを飾ることで、自分たち冒険者がタフな存在だとアピールしたがっているのが見て取れた。
俺は黒い革のソファに座らされた。目の前には四角いテーブルがある。おそらくオーク材だろう。俺から見て右端の辺、そこから30cmほどの表面に、誰かが煙草でも落としたのか、小さな丸い焦げ跡のようなものがある。
テーブルには書類と、冒険者ギルドカードが置かれていた。
テーブルの向かいには二人の男女が並んで座って俺の顔を眺めている。
女は受付嬢だ。
男の方は、引き千切ったノースリーブのシャツからから丸太のような太い腕を突き出した、髭面のタフガイだった。
タフガイは名をパシャールと名乗った。この冒険者ギルドのギルド長だという。
俺は言った。
「俺はひょっとしたら、これからつかぬことを尋ねるかも知れない。あなたはそれに誠実に答えることだってできるし、そうしないことだってできる。それで、ミスタ・パシャール。いったいどうしてあなたは俺をここに呼んだんだろう?」
パシャールはテーブルの上のギルドカードを手に取った。
それはさっき手をかざした、俺のカードだった。
「ロス・アラモスと言ったな」
「少なくとも隣のレディーが言うにはな」
「あんたをここへ通したのは他でもない。この冒険者ランクの件なんだ」
パシャールが何か言っていた。
だがこの時の俺は体にある違和感を覚えていたので、それを極めてシンプルな状態でしか理解できなかった。
要はパシャールは、俺の冒険者ランクが高すぎると言いたいのだ。
通常冒険者ランクなどというものは、測定すればEランクが出るものだそうだ。
しかし俺がそれを行なった時ギルドカードに示されたランクは、SSSSSSSSSSSSSランクだったというわけだ。
パシャールはギルドカードを覆う革のケースを取り去った。そしてそれを俺に向け、表裏と回しながら表面を見せつけた。
「見てくれロス。ランクを刻むスペースが足りなくて裏側までびっしりだ。Sの文字。びっしり、Sだ。名前の欄まで埋め尽くされちまって、あんたの名前がスス・スラススになってる」
「あなたが俺をそう呼びたければ、そうしてくれても構わない。それより俺が気になってるのはこれだ」
俺はパシャールに自分の左腕を見せつけた。
俺の左腕に、商人が俺に押し付けようとしていたコアラ少女がしがみついていた。
「どういうことだろう?」
「スス。あんたの奴隷だろう。奴隷を所有するなんてさすがはスス・スラススだ。オレなんかには真似できねえ」
「購入した覚えはない」
「でもススさ、ロスさん」緑髪が言った。「あなたのSSSSSSSSSSSSSSSSSSSランクのマッスルパワーで奴隷商人は全治2ヶ月の重傷なんですよ。彼が退院するまで、その子の面倒は誰が見るんですか」
「児童相談所という手もある」
「あんなEランク役所が何の役に立つって言うんですかッ!」
受付嬢は両手で顔を覆いうつむいた。
俺は左腕に目をやった。コアラが俺を見上げていた。
「なぜサイズが縮んでるんだろう? 身長が俺の二の腕の骨と同じ長さしかない。さっきはそうじゃなかったはずだ」
それにさっきは人間の少女だったはずが、今ではコアラ度が増していた。
漫画で目にするディフォルメキャラを連想した。
まるで縫いぐるみのオモチャだ。それが俺の左腕に組みついて、重さもほとんどない。
俺の見てくれはあたかも、腕に少女風コアラの縫いぐるみをぶらさげるコーディネートを流行らせようと画策する、ファッション雑誌の傀儡のようだった。
「獣人族特有の魔法による変身さ。都合がいいだろう? 迷子になる心配はないぜ」
「俺は保護者になる気はない」
「なぜだ! 奴隷がいればやりたい放題なんだぞ!」
「誰がこの子の大学の学費を出すって言うんだろう? 俺は無一文なんだ」
俺がそう言うと、パシャールは目頭を押さえた。
「なんて慈悲深い……赤の他人にそこまで考えてやがるだなんて……とてもオレには真似できねえ……!」
「用件はそれだけか? なら俺はこの部屋をおいとまさせてもらう。そしてこの……建物からもな!」
俺は自分のギルドカードを取ると、腕にコアラ少女をぶら下げたまま立ち上がった。
このコアラの去就についてもう論じる気にはなれなかった。
役所という所はそういうものだ。人々は、議論の無力さを学ぶための授業料として、日々税金を払っているのだ。
「待ってくれロス」パシャールが俺を呼び止めた。「あんたを呼んだのは他でもない。あんたの力を借りたいんだ」
俺はすでにテーブルと同じオーク材でできた茶色いドアに目をやっていた。しかし振り返る。パシャールは言った。
「あんたの……SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSランクの力をッ!」
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体、組織とは関係ありません。




