第四話 俺の名は。
受付嬢は緑色の髪の女だった。
髪の色にも色々ある。
高貴な金髪。金髪はたいていにおいて人を美しく魅せるものだ。ただし黄色はダメだ。あの経年劣化した軽自動車みたいな髪色は。軽いプラチナに重い金の影が走るのが理想だ。
ピンク色。時に知性の喪失を感じさせることもあるが、女性特有の柔らかさを表した、中心人物としてのカリスマを備えた色だろう。
青。ピンクとは対照的に知性とクールさを感じさせる。冷たい女と、落ち着いた優しさのどちらかのタイプにわかれるような気がする。
赤。活気のあるボーイッシュな存在のように見えて、案外女性らしいところもある。強引なところが、ある種の母性を連想するのかもしれない。
茶色。リアリティがある。真っ黒に塗ると、意外に「そんな女いねーよ」と思える時があるのだ。
黒。もはや神だ。ブロンドに心を奪われ、いやそれがたとえ赤であろうと、エメラルドグリーンであろうと、同じことだ。黒い髪を見ただけで、自分は今まで悪い夢を見ていただけなのだと教えてくれる、そんな色だ。
どだい緑色の髪というのは印象が薄いものだ。控えめで出しゃばらないのが女の美徳という奴もいるが、何事にも程度というものがある。ただただ目立たず、ともすれば芋くさい。
無聊をかこち手を出した恋愛シミュレーションゲームから受けた俺の印象はそうだ。いきなり緑色の髪などという奇怪な人種に遭遇しようと取り乱す俺ではない。日本人の想像力と経験を持ってすれば、この程度の怪異は想定の範囲内だ。伊達にシミュレーションと呼ばれているわけではない。
緑髪の受付嬢が言った。
「何か御用でしょうか」
何か御用でしょうかときたものだ。緑色のゴブリン髪のくせに今日は随分と威勢がいいじゃないか。
俺は身分証明書を発行してほしい旨を、できるだけ厳かに伝えた。緑髪ごときに舐められてはならない。
「それでは冒険者としての登録を行ないますので、こちらの登録書に手を触れてください」
女がカウンターに黄ばんだ紙を置いた。
登録することと紙切れに手を触れることに何の関連性があるのかわからなかった。
この緑髪は俺のことをハリウッドスターとか、相撲取りか何かと思っていて、俺の手形を記念に欲しがっているのだろうか。初対面の相手にそんな奇行をしかける。可能性はあり得た。何せこいつは緑髪なのだ。
何かおかしいと思いつつも、俺は言われた通りに登録書に手を触れた。
どんなトリックを使ったのかはわからないが、紙は淡い光を放ち、そしてすぐにその光を消した。
「お疲れ様でした。これにて登録は終了です」
「もうですか」
「ええ、もうです。ええと……」受付嬢は登録書に目を落とした。「あなたのお名前は……」
その時再び頭の中に文章が響いた。
『あなたのお名前を決めてね!』
名前を決めるとはどういうことだろうか。
そんなものは親の仕事ではないのだろうか。そもそも今日において親とは何であろうか。教育は学校に丸投げし、育児はベビーシッターに押し付けて、学費は奨学金と称する消費者金融に頼り、いや、養育費ですら元配偶者だとか、政府に頼りきりの奴までいるそうじゃないか。挙げ句の果てには生活していく能力でさえ、生まれついての天賦の才に左右されるべきものであり、両親の影響を論じることは禁忌とされている。
そして今また、ついには名付けすらも放棄したというのか。それが21世紀という時代なのだろうか。
俺たち人類にとって大切なものは手のひらから少しずつこぼれ落ちていき、残っているものは20世紀の負の遺産だけだというのか。
「お名前はロス・アラモスさんとおっしゃるんですね」
受付嬢は俺の名前を読み上げた。
正確には、俺の頭に一瞬だけ浮かんだ雑念をだ。
まだ名乗っていないのに、頭に思い浮かんだことが紙に表れたということだろうか。
どういう原理かは知らないが、尋ねるのはやめにしておいた。
テレビを見ている時にテレビジョンの構造について気にする者があるだろうか?
その登録書にはきっと俺の全てが書かれているのだろう。俺の知らない、何もかもが。
「それではロスさん。これであなたは当冒険者ギルドのメンバーとなりました。メンバーズカードを発行させていただきます。このメンバーズカードがある限り、たとえどの国のどこの町でも自由に出入りできますし、その時検査も検閲も受けることなく、好きな時に入り好きな時に出て行くことができるようになります」
やはりこの女は狂っている。
もしも俺が、犯罪者で、前科があるとか、あるいは指名手配犯、もしくは壁の向こうから忍び込んでくる不法移民の類いだったとしたら、この緑髪はそんな者にホイホイとそんな最強パスポートを与えて、どう責任を取るつもりなのだろうか。そこに思いが至らないからこそお前は緑髪なのだ。負け犬め。
「そうそうそれで」負け犬はまだ何か言っていた。「ギルドメンバーはクエストを受注し、その内容を達成することで報酬を得ることができます。ですが、その冒険者のランクによって受注できる上限が決められてるんです」
「上限」
「そうです。上はSから下はEまでのランクがありまして、たとえば達成難易度EのクエストならEランクの、達成難易度CならCランクの冒険者が受注することができます。ただし、Cランク冒険者がC以下のクエストを受注することはできるんですけど、達成難易度B以上のクエストを受注することはできません」
俺は言った。
「俺にはわかっている。君はもっと何か言いたいことがある。そうだろう?」
「ええ。そのため、現時点でのロスさんの、冒険者ランクを測定する必要があります。このギルドカードに手をかざしてください。あなたのランクが刻み込まれます。おそらく、Eランクだとは思いますよ。たいていみなさんそうですから」
「能書きは結構だ。いくぜ」
受付嬢がカウンターに置いた、鉄板を革で縁取ったスマホぐらいの大きさのギルドカードに、俺は手をかざした。
ちょうど後ろで大声があがった。振り返るとゴンザレスと二人の男がテーブルを囲んでいて、ゴンザレスが喚いていた。
「イカサマだ!」
「何だと人聞きの悪い、実力だろ!」
「チートだ!」
彼らのテーブルには茶色い六角のサイコロのようなものが転がっていて、ゴンザレスたちはその周りにめいめいコインを積み上げていた。
俺はギルドカードに視線を戻した。
手の下には、ギルドカードはなかった。
受付嬢が手に持って、表面を覗き込んでいるのだ。何か驚愕の表情を浮かべて、
「は、はわわ……!」
声のおまけ付きだ。
「レディー、どうしたんだろう?」
「……し、し、しばらくお待ちくださいっ!」
受付嬢は血相を変えて、奥の部屋へと引っ込んでいった。
俺はそれを見届け、すぐさま踵を返し入り口へ向かった。
何かまずいことが発生したらしい。
それが何かはわからない。
わからなくてもいいからこの場を離れるべきだ。
話がうますぎると思っていたのだ。登録にせよランク判定にせよ、手をかざすだけで終了した。
どんな仕組みかはわからないが、今はそこは問題じゃない。
問題は二つだ。
俺の名前は、思考を読まれることで登録書に書き込まれた。俺の内面は全て知られていると看ていい。
二つ目。
その名前は偽名だということだ。
つまり、俺が身元のわからない不法移民であり、身元証明に偽名を用いようとする胡乱な男だということ。
おそらくそれが露見したのだ。
頭の中を読めるのだから、偽名かどうかもわかるかも知れないじゃないか。
緑髪と思って甘く看た。奴はきっと上司に報告し、法執行機関に通報しに行ったのだろう。
そうじゃないかも知れないが、もしそうだったらどうする?
このままでは逮捕拘留ののち強制送還の憂き目に遭う。
だとすればどこへ送還されるのだろうか。
ゴンザレスのそばを足早に通り過ぎた。
ぐずぐずはしていられないが、この段階ではあくまでさりげなくだ。
しかし腕を掴まれた。ゴンザレスだ。
「おい待ちな!」
「……何か?」
「あんたまだ、ギルドカードを受け取っていねえみたいだが」
親切な男だ。そんなことだからイカサマを見落とすのだ。どうせ俺の方ばかり見ていたんだろう。
「いいんだ」
「でもよぉ」
「用事を思い出したんだ。またの機会に……」
「いや、でもすぐに終わるよ。受付嬢ちゃんだって、戻ってきてあんたがいなかったらびっくりすると思うぜ。待ってやんなよ」
「ほっといてくれ」
「いやマジマジ、すぐ出てくるって! な?」
「…………」
「なあ、なあって」
「離せィ!」
《ザ・マッスルのスキルが発動しました》
俺は腕を無理に振り払った。ゴンザレスは右の丸テーブルから左の壁まで一直線に吹っ飛んでいき、木の壁に頭から突き刺さった。奴の足がまるで帽子掛けのように飛び出していた。
まずいことをした。
不法密入国、経歴詐称に、暴行のおまけをつけてしまった。
扉を押し開いて外へ飛び出す。
建物から左へ、早足に進む。
左に何があるのかなんて知らない。
とにかくここから離れなければ。




