第九話 エンシェントドラゴン ※
武具屋を出てギルドへと、俺は向かっていた。
新調した黒のロングコートをはためかせ歩く。
トレンチコート風の上着だった。
ズボンのベルトも二本買った。それをドワーフにつなげてもらい、腰に二重に巻いている。二周目のところへ村正を突っ込んでいる。なかなか座りがいい。
新たにブーツも手に入れたが、それは俺のスニーカーと交換でいいと言われた。
穴が空いているのにそんな物を欲しがるのは不思議だったが、他人の趣味にケチをつけるつもりはない。武具屋の店主は珍しいからとか何とか言っていたが……。
ついでに買った、黒いつば広の三角帽子。気分は刀を差した魔法使いだった。
「ねえ。君、名前なんての?」
俺の右隣を赤髪の少女が歩いていた。
彼女は冒険者としてクエストを遂行中、自分の剣を折ってしまったらしい。そこで新たな出費に頭を痛めつつ武具屋へ行く途上、俺に出会ったというようなことを語った。
彼女の腰には樽から選んだ剣が吊るされていた。右腰にあるところを見ると左利きらしい。
「あたしはレイニー。生まれる時ちょうど雨が降ってたんだって」
「俺はアラモス……ロス・アラモスだ」
「ふーん。生まれた時に何かを失ったの?」
「ああ」
「何を?」
「年金さ」
レイニーは首をかしげたが、再び尋ねた。
「そっちの子は?」
「えと……ラ、ラリアです」
「獣人、なんだあ……」
レイニーは少し目を細めて、ラリアを眺めていた。ラリアは俺の左腕で、首をすくめる。
「あの、さぁ……二人の関係って……ほら、獣人ってさ、特に女の子はタイバーンだとさぁ……。男の人って、そういうの、ほら」
何か言いにくいことを言うかのように、レイニーが曖昧に尋ねた。
俺とラリアは同時に答えた。
「ど、奴隷です!」
「知らない子だ」
ラリアは、むぅと唸った。
「知らない子を連れ歩いてるの⁉︎ 逆にヤバくない⁉︎」
俺はレイニーにすぐさま振り返り、
「いいかレディー、そんなことは俺だってわかってるし、何もユーカリの木の気持ちを知りたくてこんなことしてるわけでもない。ビジネスに失敗した奴隷商人に押し付けられただけだ。身寄りのない子供だから教会へ預けようと思ってたら、どういうわけか教会が消滅した。他にいいアイディアがあるなら教えてほしいもんだ」
早口で言った。
左腕の拘束が力なく緩んだような気がする。だが落っこちそうになったのか、再びラリアは強くしがみついてきた。
しばらく俺たちは無言で歩いた。
レイニーは腕を組んで何かを考えるような仕草をしていたが、やがてこちらを向いた。
「その子、どこの出身なの?」
「ラリア、訊かれてるぞ」
「……南」
「ゴースラント大陸? よくそこから奴隷が連れてこられるっては聞いてるけど……」
道の遠くに陽炎が揺れていた。ギルドの建物が近づいてくる。人影はまばらで、無性に保安官と無法者、それから決闘という言葉が頭の中を飛び回る。
「だったら港に行ってみたら? 確か、契約が切れたり、ひどい扱いするマスターから助けられた解放奴隷をゴースラントに帰す運動してる団体があったよ」
「決まりだな」
俺はギルドの扉に左手をかけた。
必然的に視界に入った左腕のラリアは、俺を見上げていた。目が合ったので立ち止まる。
「何だ?」
「あの……マスターは……ボクと契約しないんですか?」
「してどうする? 俺は綿花畑も、掃除してほしい豪邸も持ってない」
ラリアは目を伏せ黙ったので、俺は扉を押し開いた。
その後俺はパシャールのギルド長室へ入り、そして出た。
パシャールから依頼の話を聞いたあと、今は一階の酒場、壁の掲示板を眺めている。
パシャールの依頼は極めてシンプルだった。
『アポカリプス級魔獣、エンシェントドラゴンを討伐してほしい』
奴はそう言った。そういう依頼だった。
今俺の目の前にある掲示板には、様々なクエストの張り紙があった。
ゴブリン討伐。ユニコーンの角の採取。グリフォンの巣の捜索。シャイニング・マツタケの収集。
どこにもエンシェントドラゴンの名はなかった。
俺は隣で掲示板を睨んで唸っているレイニー(彼女は掲示板に用があった)に尋ねた。
「エンシェントドラゴンというのは何だろう?」
彼女は掲示板を睨みつけたまま顔だけゆっくりとこちらを向き、それから目線を俺の瞳に据えた。
掲示板を見ている時はまじめくさった顔をしていたが、今はぽかんとこちらを見ている。ファミレスのドリンクバーで氷をいれないままオレンジジュースを注いでいった客を目撃した時の俺と、同じ目つきでだ。
「知らないの?」
「ああ。何だろう?」
「君……ひょっとして新米冒険者?」
俺が「そうだ」と答えると、レイニーはこほんと咳払いして、何か得意そうに「それでは教えてあげちゃおう」と話し始めた。
「いい? この世界には様々な魔物が住んでるの。魔物たちは人を襲ったり、畑を荒らしたり、人間にたくさん迷惑をかける。それを討伐するのが、あたしたち冒険者ってわけ」
「ロマンチックな内容だ。続けて」
「冒険者がクエストをこなすのを助けるために、この冒険者ギルドがあるわけね。魔物の情報提供とか、採取した物品の換金手続き。国境や、貴族の領地の境を越えて逃げた魔物を追う時とか、越境のための便宜を図るために交渉とかもしてくれる。ギルドカード持ってるよね? それがあたしたちの身元証明書になってるから、揉めることは滅多にないけど」
俺は胸元に手をやった。
服の下には革紐で吊るしたギルドカードがある。これがあればどこへでも行けると受付嬢が言ったのはそれが理由か。
迷惑な誰かが国境を越えて、別の誰かに迷惑をかける。ここもグローバリズムの波の真っ只中らしい。
「ケダモノは何のために国境が発明されたか理解できないからな」
「そ。でね、魔物にも色々あるんだけど、ギルドでは独自に討伐目標をランク分けしてるの」
ラリアが左腕から降りた。ゴワゴワと巨大化していく。10歳児ぐらいの少女、つまりディフォルメ状態から本来の姿になると、酒場のカウンターへ歩いて行った。
レイニーに視線を戻す。
だがレイニーはラリアの姿を目で追っていた。つられて俺もカウンターへ目を向けると、ラリアは木のジョッキを2つ持って戻ってくる。
「どーぞ!」
「あら、お水? ありがとう。喋ってると喉渇くもんね」
レイニーはジョッキを受け取った。俺はラリアを見下ろし、
「自分の分はどうした?」
「……お水、タダじゃないです」
「金はどうした?」
「商人さんにもらったお小遣いから……」
ラリアは俺から視線を逸らしながらそう言った。俺はジョッキを受け取り一口飲むと、またラリアに手渡す。
「おまえの分だ」
そしてパシャールに貰った財布からコインを一枚取り出すと、ラリアの手に握らせた。ラリアは手のひらのコインを睨みつけていた。
「続けてくれ」
「えっ? うん。何だっけ、そう、魔物ランク。下から上げていくけど、
人畜無害級。
小動物級。
大型動物級。
平均的魔物級。
大型新人級。
新世代の怪物級。
ライトヘビー級。
大量破壊兵器級。
災害級。
大災害級。
そして……」
レイニーは言った。
「アポカリプス級。エンシェントドラゴンはその、アポカリプス級の魔物だよ!」
そして彼女は、両手を腰に当ててふんぞり返った。ドヤァ。まるで我がことのように、ドヤァ。
「それで? そのエンシェントドラゴンがどうしたの?」
「殺せと言われた」
レイニーは口をあんぐり開けた。
完璧な歯並びだった。
そう言えば腹が減った。何も食べていないのを思い出した。この世界の食べ物は固いのだろうか。レイニーの悲の打ちどころのない歯列を見ているとそうとしか思えない。
「え、え、何で」
「歯並びが悪いのは顎が発達してないからだ。一列に並ぶスペースが確保できない」
「えっあたし歯並び悪い?」
「いや」
「あ、そう。いやそうじゃなくて! 何で君が、エンシェントドラゴンを殺す……誰に言われたの⁉︎」
「パシャールだ」
俺はそう言って掲示板に目をやった。掲示板のどこにも、エンシェントドラゴン討伐のクエストは貼られていない。
特別な依頼。
ギルド長室でパシャールはそう言っていた。
「ちょ……君、駆け出し冒険者なんでしょ? 何でエンシェントドラゴンなんか……。知ってるの? エンシェントドラゴンはただのドラゴンじゃない、特殊な防御魔法を使う、凄く強力な魔物なんだよ⁉︎ 国中のどんな凄腕冒険者だって討伐できない、アポカリプス級の……」
レイニーがそこまで言った時だった。
ぐう、と音が鳴った。音の方を見やると、ラリアが顔を赤らめていた。
俺はレイニーを向き直り言った。
「すぐにというわけじゃない。まずは腹ごしらえだ。君も聞いただろう? 俺の腹の虫の……呼び声が!」




