第九十八話 詰むや詰まざるや
「えっ」
おれたち以外に最初に異変に気がついたのは、奏多さんだった。その小声にみんながビクッとする。
部長はすでに気がついているし、おれも少しだけ遅れて気がついた。かな恵と文人も考えていてあと一歩という顔になっている。向こうの部活で気がついているのは、奏多さんだけだ。そう、気がつくのは異常なのだ。まだ、将棋をはじめて1か月くらいの初心者が……
この手に……
「▲6九玉△7八金▲同玉△8八歩成▲6九玉△7八金打▲5八玉△6八金▲同金△5六香打▲5七角打△同香成▲同玉△5九龍▲6六玉△5六龍▲7五玉△6五龍」
最初の金打を含めて、19手詰。即詰である。
向こうの部活のひとたちは、葵ちゃんを初心者だと思っている。変なバイアスがあるから、これを完璧に読んでいるなんて気がつかないのだ。身近で、彼女の異常性を見ているおれたちにはわかる。彼女は10手未満の短い詰みならば、本当に難解なものを除いて、30秒で解いてしまう。もともと、数学好きで、高校数学程度は習わなくてもわかってしまうらしい。小さいころからパズルや落ちものゲームで遊んでいた経験なのだろうか。彼女の脳内コンピュータは、おそろしいほど正確で高速だ。
彼女の終盤力は、たぶん部内最強だ。部長すら超えてしまう実力をもつ。
彼女は、金打ちをする前に、2分ほど時間を使っていた。この時点で、彼女の勝ちだろう。それほどまで、おれたちは葵ちゃんを信用していた。おれは終局を待った。
※
「負けました」
わたしは、そうつぶやく。
初心者に19手の詰みをくらって敗北。異様な状況だった。そもそも、初心者がそんなに長い手を読むことすら難しいというのに。
「ありがとうございました」
源さんが、安心したような声でそう告げる。
「あ、あの、いつからこの詰みに気がついていたんですか?」
わたしはおそるおそる聞いた。天文学的な偶然があったのかもしれない。むしろ、あってほしい。そんな悲痛な質問だった。
「えっと、金を打った時です」
彼女は、やはり最初から読んでいた。怖い、怖い、、怖い、、怖い、、怖い、、怖い、、怖い。
わたしは恐怖する。
「ちなみに、将棋はいつから……?」
「一か月前くらいです」
「一か月っ……」
一か月で19手詰め? 怪物すぎる。どういうこと。なんていうポテンシャル。
「そ、そうなんだ。ありがとうございました」
わたしはそう言って逃げ出した。
※
「米山さん、とてつもない切り札を隠していたのね」
わたしを慰めながら、奏多先輩は絶句していた。部のみんなもそうだ。あの長手数を一瞬で解いてみせた最強の初心者をみてしまったのだから…… 当たり前と言えば当たり前なんだけど。
「大丈夫よ、日向ちゃん。わたしが仇を討ってきてあげる」
「西内せんぱい……」
わたしは優しい言葉をかけてくれた先輩に抱きつく。
「じゃあ、行ってきます」
最強の敵に立ち向かう西内先輩は、いつもとは違ってとてもかっこよかった。いつもこうならよいのに……




