第九十六話 ゴキゲン中飛車
「じゃあ、行ってきます」
葵ちゃんは緊張でガチガチになって盤に向かった。当たり前だ。前回の初心者大会で優勝したとはいえ、次の相手はいきなり全国クラスの怪物たちだ。緊張しないわけがない。それにここで負けてしまえば、総合成績で3連敗となるので敗北が確定する。
「部長、どうみますか?」
おれは心配になって部長に聞いた。
「葵ちゃんなら大丈夫よ」
部長は断言する。力強い断言だった。おれも少しは安心する……
「きゃああー」
葵ちゃんは緊張して、駒を床にぶちまけていた。
「部長……」
「たぶん、大丈夫よ」
※
「日向、同じ一年生だから全力で勝ってきなさい」
「はい、部長。勝って終わらせてきます」
奏多先輩に応援されて、わたしは俄然やる気がでる。ここで勝って団体戦の勝利を確実にしたい。だって、後ろには米山香がいる。奏多先輩すら倒してしまう全国クラスの強豪だ。できたら、午後の練習試合で戦いたい。そのために弾みをつけたいんだ、わたしは。
特に、今回の対戦相手の源葵さんは、駒を持つ手がぎこちなかった。たぶん、将棋をはじめてまだ間もない初心者の方だろう。
ここは絶対に勝たなくちゃいけない。わたしのプライドをかけて……
「おねがいします」
わたしはいつものように元気よく挨拶をする。
※
源さんとの将棋は、わたしが居飛車で、彼女が中飛車を選択した。後手の角道を開けた中飛車、いわゆる「ゴキゲン中飛車」というやつだ。
これは、20年以上前に登場した革新的な戦法だった。振り飛車の最大の弱点、居飛車穴熊を封じ込めて、主導権までもっていってしまう。本当に優秀な戦法だ。
しかし、登場から20年以上経過しているため、いくつもの対策が講じられていた。
超急戦・丸山ワクチン・一直線穴熊・相振り飛車……
そして、わたしが採用した「超速」。
はたして、初心者さんにこの20年の歴史の重みがわかるかな。わたしは銀を動かした。
人物紹介
日向つぐみ……
高校1年生。アマチュア2段。居飛車vs振り飛車の戦いを好む。一年生からレギュラーを獲得した有望角で、守りを固める将棋を得意とする。
用語解説
ゴキゲン中飛車……
後手で角道を開いた中飛車。
考案者がいつもにこにこしていたから、こんな名前がついた。
穴熊を封じ込めて、主導権が握れるため振り飛車の救世主として、20年間以上振り飛車戦法の中心に君臨した。
超急戦……
ゴキゲン中飛車の対策1
お互いにノーガードで撃ちあう戦い方。大乱戦になる。
丸山ワクチン……
ゴキゲン中飛車の対策2
居飛車側から角を交換する対策。穴熊には組めないが、別の堅い囲いを採用できる。
一直線穴熊……
ゴキゲン中飛車の対策3
穴熊を封じられた居飛車側が無理やり穴熊にするために、考え出された戦法。居飛車穴熊を採用できることが魅力。
超速……
ゴキゲン中飛車の対策4
詳細は次話。




