第九十四話 早石田
今回は、かな恵の先手となった。おれは、彼女の初手を見つめる。いったい、なんの奇襲戦法を使うのか。みんな興味津々だ。
かな恵は、角の斜め横の歩を開いた。これは一番ポピュラーな初手だ。つまり、初手からの奇襲はおこなわないということだ。
古泉さんも、同じように角道を開いた。かな恵が仕掛けるなら、この次だろう。おれは、いつもの傾向からそう確信した。
そして、かな恵は動かした歩をもう一度前に進める。やっぱり、そう来たか。
「早石田」
将棋の奇襲戦法でも、特に歴史が古いものである。受け方をしらなければ、相手の陣地はズタボロになるほど蹂躙される。初心者殺しともいわれる最狂の攻撃だ。
古泉さんもそれにきがついて、陣形を整える手を打つ。
かな恵はそれを確認して、飛車を動かした。ガチガチの早石田の乱戦だ。
次に、かな恵が動かすの駒は決まっている。歩だ。彼女は最初に動かした歩を三度動かした。歩の突き捨て。
まさに、かな恵ともいえるほど潔いその手は、いくつものトラップを内包していた。
そして、古泉さんはうなづき、彼女の手に乗った。突き捨ての歩をそのままとったのだ。つまり、ガチンコ勝負を望んでいるということ……
古泉さんもかなりの自信家だとみた。かな恵はいつものことながら、おそろしいほど詳細に変化を研究しているはずだ。その地雷原を躊躇なく踏み抜いた。
後手は、角を交換させた。これが、早石田定跡。15手未満で殴り合いがはじまるインファイト戦法だ。このままでは中央に角を打たれて、陣営がボロボロにされてしまう。
将来的に角による飛車取りが成立するるので、古泉さんは角を使ってその狙撃を防ごうとする。
しかし、ここまではすべて計算道理の定跡だ。かな恵は躊躇なく、飛車を切って角を手にいれる。これで敵の飛車も死亡が確定した。
こんな罠が至る所にかけられているのだ。早石田のおそろしさ。初心者時代のトラウマが呼び起こされる。
盤面は乱れに乱れた。
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人物紹介
古泉佳奈子……
居飛車党。高校二年生。アマチュア三段。
力戦を好む居飛車党で、奇襲戦法にも詳しい。手厚い将棋を指す。
数年前に、かな恵と因縁がある模様。
用語解説
早石田……
振り飛車の奇襲戦法。3筋の歩を積極につき、角と飛車のコンビネーションで敵陣をズタズタにする。
石田流の一種で、「早」石田のネーミングもその影響。
昭和中期まで、あくまで初心者専用の奇襲と考えられていたが、升田幸三の研究により復活。それ以後、アマチュアで大人気となり、花形戦法となっていった。00年代入って、鈴木流・久保流などの変化も発見されて、いまだに鉱脈が続いている。
石田流……
三間飛車の戦法。江戸時代の盲目の棋士石田検校が開発者だと言われる。
振り飛車の理想形とも言われて、捌きやすさが抜群。
穴熊にも強く、近年の振り飛車党の救世主的な存在だった。




