第九十一話 横歩取り
「おねがいします」
ついに文人と北さんの対局がはじまった。
今回は、持ち時間10分、秒読み30秒の短期決戦だ。同時に対局はおこなわずに、みんながひとつの対局をみつめる。
北さんは高校2年生。
眼鏡をかけたショートカットの女性で、真面目そうな印象をうけるひとだ。なんとなくんだけど、すごく強そうなオーラが漂っている。特に、名門校のスタメンで先鋒を任されるようなひとなのだからかなりの実力者なんだろう。
先手が北さん、後手が文人となった。
北さんは3手目で飛車先の
この場合、有力な戦法は一手損角換わり。文人の得意戦法だ。
「さあ、くるぞ」
おれは、文人の指に注目する。
しかし、文人は角を交換しなかった…… 彼の指がつかんだ駒は、角ではなく、歩だった。
「横歩取り」
部長がぽつりと言った。そう、横歩取りの流れだ。
「横歩取り」とは、名前の通り先手が飛車先の歩を伸ばして、歩を交換し、さらに横の歩まで獲得する欲張りな戦法である。先手は、歩を1枚多く利用できるので、一見有利に見えるが、飛車の場所が悪くなるデメリットがある。
それに対して、後手は、歩を損する代わりに有利な陣形と主導権を獲得できる。
激しい変化が多く、ミスしたら即終了という将棋だ。あまりの激しさから「空中戦」とも言われる。
文人は、北さんの横歩取りに対して、3三角型戦法を採用した。激しい将棋がはじまる。
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人物紹介
北 めぐみ……
沢藤女子高2年生。同校将棋部の先鋒。アマチュア三段。
横歩取りや相がかりなど激しい空中戦を得意とする居飛車党。感覚よりもデータを重視するタイプで、序盤逃げ切りの将棋を得意とする。一方で序盤で不利になっても、必死に粘る姿は、見た目にそぐわない泥臭さを併せ持つ。
用語解説
横歩取り……
居飛車戦法の一種。
先手が飛車先の歩を伸ばして、歩を交換した後に、横の歩まで取ることからこう呼ばれる。当初は悪形になるために、「横歩取り3年の患い」とまでいわれて避けるべき形と言われていたが、昭和期に見直されて、現在では居飛車の主流戦法の地位を築く。激しい戦いと研究将棋になりやすく、アマチュアよりもプロが好む戦法。
横歩取り後手3三角型……
横歩を取られた後手が、飛車の前に角を動かして牽制する戦法。最もポピュラーな横歩取り戦法。バランスがとりやすく、大駒の交換会が頻繁におこなわれるため、別名「空中戦」。羽生善治や丸山忠久、佐藤天彦など歴代の名人が愛用している。




