②
―翌日の放課後―
「あっ、先輩!! 今日はもう終わりですか?」
誰もが振りむくようなはかなげな可愛らしさと美しい黒髪。やや、小柄な体だが、スラリとしていて、まさに学園のアイドルである彼女は、偶然出会ったかのように意中の男に話しかける。
が……
それはすべて嘘である!! この女、30分も前からここに待機していた。完全な確信犯である。
「おう、藤本か。今日は部活に来なかったな。なにかあったのか?」
「学校新聞の取材を受けてて……」
「プロはやっぱり大変だな、次のタイトル戦もがんばれよ」
よし、一緒に帰る流れができた。天才的な頭脳を持ちながら、やることは結構地味というツッコミはおいておこう。
たいていのことは、地味な方がうまくいくのだから仕方がない。
将棋の格言にもある。終盤の王様を追い詰めるには、俗手と呼ばれるつまらない手の方がいいと。
大事なことは、全部将棋が教えてくれた!
彼女は、将棋の天才。つまり、すべての尺度が将棋で図られる。
史上最高の終盤力とよばれる彼女の手は、着実に彼を追い込んでいた。
だが、これは現実だった!!
「じゃあな~俺、ハンバーガー食べていくから」
「(えーーー、一緒に帰る流れじゃないの!! 誘ってよ、お願いだから、そこは誘ってくださいよ、先輩! 将来の名人とも言われる私が、12月の寒い中、30分もここで待ったんですよ! プロ棋士の先輩たちは、私とどうにか練習対局をしたいって、お誘いのメールがあふれているんですから……私がこんな仕打ち受けたなんて聞いたら、来月号の将棋ワールドで、先輩の顔写真が巻頭カラーで指名手配されちゃいますよ!)
この先輩は、史上最強の天才を上回るフラグブレイカーなのだ。下手なラノベ主人公も真っ青になるほど、鈍感で、これまでも彼女の用意周到な罠をことごとく潰している。
「待ってください、先輩! 私もお腹空いたんで、一緒に行ってもいいですか?」
彼女は、先輩の手を取って引き留めた。
「お、おう。いいけど、お前の手、ずいぶんと冷たいな。もしかして、俺と一緒に帰りたくて、ずっと待ってた?」
「(はうあうああぁぁぁあああ!! ドジッちゃったあああぁぁぁあああ!」
そう、彼女は天才。しかし、大事なところはどこか抜けている。天才とは、つまり、そう言うものなのである。
「まったく、健気な後輩だな。いいぞ! 今日はクーポンあるから、フライドポテトLサイズ注文しようぜ!」
「(恥ずかしくて、死にそう……)」
彼女は、なんとか当初の目的を達成した。
「(でも、うまくいった。どんなに恥ずかしくてもいい。だって、カッコ悪くても、この放課後の時間は、私のかけがえのない大切な宝物だから……)」
彼女は、将棋の対局で勝ったかのような、高揚感に包まれた。
ハンバーガーショップ! それは欲望渦巻く食欲の要塞。
男はフライドポテトとハンバーガーを、女はシェイクを頼む。
しかし、すでにここから女の計画ははじまっているのだ!!
「(フライドポテトのシェア。それは、恋愛フラグ建設のチャンス!!)」
天才の頭脳はフル回転で回りだした。疲れた頭に効くバニラシェイクも用意してあるし、まさに準備は万全!!
将棋でも一本の直線的な思考ではなく、枝分かれした論理をまとめる力が必要になる。
ここで、相手がこうしたらこう。ああしたらそう。こんな感じで、無数の選択肢の中でどうやっても、先輩をドキドキさせるための変化を用意しているのだ。
彼女の本命は、不意に手が当たってドキドキ作戦。これは、自ら仕掛けに行く激しい変化。自分も恥ずかしいが、相手も恥ずかしい。まさに、相横歩取りのような激しいバトルだ。
しかし、フラグブレイカーは、そんなことをものともしなかった!!
「よし、じゃあ、めんどくさいから、藤本、先にポテト食べていいよ! 俺はハンバーガー食べたらもらうからさ」
ふたり時間差!!
天才の想定を上回る高等技術!
これでは、どうやっても手がぶつからない。天才の思考にノイズが混じる。
あえて、ぶつかりにいく?
ダメよ、そんなことをすれば先輩のターンなのに、食い意地が張ってるように見えてしまう。恋愛対象じゃなくて、食いしん坊万歳になってしまう。
うな重何個分で価値を決めるようなキャラに、恋愛のターンは回ってこない……
ならば次善策。
フライドポテトののどに詰まりやすさを活かす! センパイはコーラを注文しなかった。しかし、パンとポテトはのどに詰まりやすい。
絶対に苦しくなるだろう。
そんな時に、私のシェイクを分けてあげる。間接キスを気にして、恥じらえば、好感度爆上げ間違いなし。
攻めがだめなら、カウンターだ。私は居飛車党だけど、見せてあげるわ。史上最年少プロの駒さばきを……
「あっ、そうだ。お冷もらってこないと」
「(うひょー)」
お冷!!!
それはすべての計画をとん挫させる神の一手。
まさに、鬼手である。
先輩は間違いなく、なにもしなければ次の一手で詰みの状態、いわゆる必至だった。
しかし、将棋界最強の天才の包囲網を、彼はたったの一手で崩壊させた。
神武以来の怪物は恐怖する。
結局、彼女の計画は崩壊した。
※
「ああ、美味しかったな」
「はい」
満足気な男と、灰のように真っ白になった女。
すでに、検討は打ち切られている。
藤本七段は「もうすぐ終わりですね」と話した。
そんなわけもわからないローカル将棋ネタが頭をグルグルとしていた。
「じゃあ、俺、ごみ捨ててくるわ」
そう言って、先輩は私のシェイクの容器も持っていってくれた。そういう、さりげない優しさに少しだけドキリとする。
「あれ、シェイク少し残っているな。飲んじゃお」
「えっ!?」
女は突然、襲い掛かったチャンスにフリーズする。
「あっ、間接キスしちゃったな。まっ、いいか!」
※
そして、二人は駅まで一緒に帰る。女はぐったりしていた。
「どうして、先輩は、私を特別扱いしないんですか?」
疲れているか変なことを聞いてしまう女。
「特別扱いしてほしいのか?」
「そうじゃないです。でも、私は一応プロ棋士で、年収だって平均的なサラリーマンの2倍近くは稼いでいますよ。それは知ってますよね」
「ああ、将棋ワールドで読んだからな。そう考えると、お前って本当にすごいよな」
「普通の友達は、私に何か奢ってとか冗談で言ってくるんです。でも、先輩は、絶対にそんなこと言わない。むしろ、ポテト代を払ってくれました」
「さすがに、部活の後輩に、ご飯奢ってもらうとか、恥ずかしすぎるだろう?」
「でも、そういうところ本当にすごいなって思うんですよ、私?」
そう言って、私たちは笑い出した。
「次の対局頑張れよ。ネット中継で応援している」
「ありがとうございます」
女は少しだけ不安な顔をしていたのだろう。夕焼けが彼女を悲しく指せたのかもしれない。
「大丈夫だ、お前は俺の自慢の後輩だからな。自信もって楽しんで来い」
「(そういう、ところですよ?)」
ふたりは笑って別れた。
※
「好きな女の子の前くらいかっこつけるに、決まってるだろ、ばーか」




