香IF⑯
筑波さんは、いつものように無口だった。その無口な様子が独特の近寄りがたいオーラを作り出している。さすがは、アマチュア将棋界の超強豪。戦う前からすでに相手を委縮させる独特のオーラだ。
「「よろしくお願いします」」
私たちは、そこではじめて声を出した。先手の私は四間飛車に振り、後手の筑波さんは居飛車で戦う。筑波さんは、居飛車持久戦に構えている。
あとは左美濃か穴熊かミレニアムかを見極めるだけ。
王が角の頭に乗る形。天守閣美濃!
これが私のシステムの弱点を突く作戦だとわかっているんだろう。さすがだ。2局しかシステムを採用していないのに、もう急所がわかっている。
そう、天守閣美濃には決定的な対抗策がある。それは、▲4一玉型美濃囲い。王様がこの位置にいれば天守閣美濃の弱点を突けるのだ。
でも、私のシステムは美濃囲いをギリギリまで保留する形なので、▲4一玉型美濃囲いを作ることはできない。
対天守閣美濃用の藤井システムが使えないのだ。これが私のシステムで一番の問題点。
天守閣美濃は、その対策がなければ、固くて王様も敵の攻撃から遠い場所にいるかなり優秀な戦法になる。
この問題が桂太くんとわたしをずっと悩ませていた。
でも、見つけたんだ。その対策を……
この対策が筑波さんにどこまで成立するかで私のシステムが成立するかどうかが決定される。
この人が試験紙なんだ。新しい自分が自立していけるかどうかの……私は、王様をいつもとは別の場所に囲う。
これは四間飛車を絶滅寸前にまで追い込んだ仇敵でもある。でも、私はその仇敵の助けも借りて前に進む。
四間飛車ミレニアム囲い。
本来なら居飛車が四間飛車対策で使うはずの囲いを私は四間飛車で使う。
これが私の隠し玉だ。
ー数日前ー
「こんばんは! 香先輩!」
「かな恵ちゃん? どうしたの」
「どうしたのじゃないですよ! うちの兄さんをどれだけ拘束するつもりですか! 両親なんて、『桂太に年上の彼女ができた!』『なんか連泊してる!』って大騒ぎなんですからね!」
「ごめん、でも……」
「わかってます、ふたりのことだから将棋してるんでしょ!」
「うん」
「へたれすぎ」
「……ごめん……」
「センパイ、気持ちはちゃんと伝えないと、伝わりませんよ?」
「うん」
「本当は、ライバルだった人にこんなこと言いたくないんですけど」
「情けないよね」
「本当ですよ。情けないです。こんな人に負けたって思うと自分がもっと情けないです!」
「かな恵ちゃん……」
「私は、ライバルですけど、香先輩のこと、好き、ですからね。だから、頑張ってほしいんです」
「ありがとう」
「負け犬の遠吠えなんで、気にしないでください。それよりも、できる限り兄さん、早く返してくださいね!」
そう言って彼女は電話を切った。




