香IF②
結局、彼は誰とも付き合わなかった。
かな恵ちゃんとは、本当の意味での兄妹となって、家族になってしまった。私は勇気が出せずに一歩も踏み出せなかった。今は、ただの先輩と後輩の間柄になっている。
臆病な私は、ただ彼に片思いを続けているだけ。
家に帰って、将棋倶楽部48にログインする。大学進学を期に私はひとり暮らしをはじめた。
誰もいないその部屋は、将棋盤と駒、そして棋書だけがある。あとは、最小限のものしか持ってきていない。なにもかも将棋に集中するため……
「いた」
私は後輩のアカウントを見つける。やっぱり、ここにいた。ここにいれば、私は彼と会える。それだけが、今の私の救いだ。
早速、対局を申し込む。彼はすぐに受理してくれた。
対局前に少しだけチャットする。
「久しぶりですね、部長!」
「もう、みんなの部長じゃないのよ?」
「すいません、癖で…… 大学は慣れましたか?」
「ボチボチってところかな。桂太くんは、順調? まぁ、愚問か! 今を時めく、高校将棋界の大スターさんだもんね!」
「持ち上げすぎですよ。今年は新入生もたくさん入ってくれたので、また、全国大会に行けるようにがんばります!」
桂太くんは、とても輝いているように見えた。今の私とはまるで逆。
彼は、全国大会の個人戦で豊田政宗を打ち破る快挙を成し遂げて、全国制覇。いまや、高校将棋界を飛び越えて、全国的な注目の的になっている。
最大のライバルである豊田政宗は、プロ編入試験を3勝2敗で突破し、今や豊田政宗四段。プロ入り後も順調に勝ち進んで、期待のルーキーと呼ばれる新進気鋭のプロ棋士だ。
高柳先生も現役復帰して、桂太くんのアマ名人を阻止してやるとか言ってたな。卒業式の日に……
懐かしくて涙がにじむ。
対局が始まった。
私が後手でいつものようにノーマル四間飛車。
桂太くんは、端歩突き穴熊を採用した。
1年前なら私が圧勝していたはず。集中して指せば少しは戦える。そう思っていたはずなのに……
結果は、完敗だった。
私の猛攻も、桂太くんの完璧な受け将棋に翻弄されて、カウンターを喰らい、私の美濃囲いは簡単に崩壊した。
私の王は上に逃げたが、端歩突き穴熊の特徴である端歩を有効活用されて、すぐに捕まり、成す術もなく、投了に追い込まれた。まさに、惨敗だった。
感想戦のチャットも上の空のまま進められる。惨敗のショックで、彼に時間を取ってもらうのに罪悪感を感じしてしまう。
「じゃあ、これくらいで!」
私は空元気で、チャットを終えるためにそう書きこんだ。逃げたのだ。彼の途方もない才能から、私は逃げ出したかった。
「あっ、ちょっと待ってください、先輩!」
彼は、慌てて私を呼び止めた。
「どうしたの?」
私はそう書きこむ。
「今週末、会えませんか?」




