第四百六十二話 同型矢倉
部長にも、かな恵にも会うことなく、会場に到着した。
そこには、1週間ぶりに間近で姿を見る男が鎮座している。何気ない盤と椅子が、まるで玉座のような威厳を持つものに変化している。
絶対王者・精密機械・怪物。
最強の男。俺と同い歳の若干17歳にして、すでにアマチュアの段位は六段。事実上の最高位であり、来月のプロ編入試験も合格間違いなしと考えられている逸材。
この盤の前に立ってもなお、迷いはあった。
俺はどちらのスタンスで将棋をすればいいんだ。
勝負にこだわる指しかたか。
いつもの指しかたか。
結論は出ない。かな恵が望んでいる結果を、どうすれば出せるのか、わからない。
それでも、戦わなくてはいけない。
将棋は、そこにあるのだから。
「よろしくお願いします」
俺が先手となった。
角の道を開ける。豊田さんは、飛車先の歩を突いた。
矢倉の打診だ。
天才は、俺のやりたいことを理解して、そこに誘導する。相手の得意戦法を正面から打ち破る。
横綱相撲。
それが絶対王者たる証拠だと言わんばかりに、誘ってやがる。
だが、拒否するわけにはいかない。矢倉以外で、彼に勝つ方法は思いつかなかった。
前回、敗北したが、中盤までは悪くなかった。
ならば、この1週間でさらに精度を上げた先手番米長流急戦矢倉をぶつけるしかない。
その局面まで誘導する。
次の一手で、後手が飛車と銀の間の歩を突けば、米長流急戦矢倉に誘導できる。
だが、豊田さんは、そうはしなかった。
1つズレた場所の歩を前に突き出す。
これは……
急戦拒否の合図。
そして、「同型矢倉」への誘導だった。
※
「へー、豊田。あいつ、結構、佐藤桂太のことを警戒しているんだな」
「そりゃあ、そうでしょう。団体戦の時も、あの変化にはまってくれなかったらやばかったって言ってましたよ、豊田センパイ」
「ずいぶん、ゴキゲン斜めだな、渋宮。嫉妬か?」
「……」
「図星かよ」
「だって、あの豊田センパイが、はじめてですよ。プロやアマタイトルホルダークラス以外に、警戒を見せたの。私にすら、見せてくれないのに」
「ああ」
「そりゃあ、佐藤桂太の将棋は強いです。私だって自分で指したから、よくわかってます。でも、ずるいじゃないですか。あんなに、あんなに、豊田政宗の楽しそうな顔を引き出して。私だって、あそこに座りたかったですよ」
「おまえ、やっと後輩らしい可愛い表情できるようになったな」
「馬鹿にしてるんですか。次に対局したら、おぼえていてくださいね。ぶっ潰しますから」
「お前はそれくらい元気な方がいいよ、この将棋サイコパス」
※
同型矢倉。
何十年も指され続けている将棋の形だが、ある意味ではブラックボックスのようなものだ。
今の局面のように先手と後手の陣形が、全く同じで、米長流急戦矢倉を拒否した場合に突入する変化。
この戦いは、はっきりいえば「難解」。
プロですら悩まされる難解な局面が延々と続く。
どこの歩をどの順番で突くのか?
王様はどこにいるのか?
それによって、ひとつ手順が違うだけで、有利・不利が簡単に入れ替わってしまう。
その難しさによって、定跡化は困難を極め、プロの本を読んでもピンポイントの解説が書かれていることが多く、その全容はかなりの部分が闇に包まれている現代将棋のブラックボックス。
この戦法は、長い歴史があるのにも関わらず、まったくわからないことが多い別次元の戦法。
「佐藤君、今日は、力勝負で行こうよ」
豊田さんは、そう言ってうなづいた。
「後悔、しないでくださいよ」
俺はそう答える。
ついに、将棋が始まった。
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