第四百五十九話 トリガー
本日、プロ棋士の藤井聡太先生が、史上最年少でタイトル挑戦を掴みました。
凄い将棋でした。タイトル戦も楽しみです。
米山side
かな恵ちゃんは、嬉野流を採用した。
勝負に徹するなら、前の時みたいに筋違い角をしてくると思っていた。
私の気持ちにこたえてくれたんだね。
ありがとう、かな恵ちゃん。
もうこれで、悔いは残らない。
私は、最後になるかもしれない将棋で、いつものように飛車を振った。
四間飛車。ずっとずっと、私を支えてくれた相棒。
その相棒を使って、私はここまで来た。これを使わないわけがない。
さあ、どうするの? かな恵ちゃん?
私に桂太くんをくれるなんて、性格じゃないでしょ。将棋をする人は、決まって負けず嫌い。
それも有段者になるくらいのひとなら、勝ち負けには執念を持っているはず。
これを最後にしたくない。彼とまた光り輝く舞台で、出会えるなら、私は悪魔にだって魂を売る。私は、かな恵ちゃんの次の一手を凝視する。
それは、予想外の手だった。
いや、でも、最も彼女らしい一手だったとも思う。
嬉野流相振り飛車。
かな恵ちゃんが、何度か使っているところを見たことはあるけど、実際に指すのは初めての形。
それは、本当の意味での力将棋。
彼女は私にこう宣言したのだ。
「単純な読みと読みのぶつかり合いで、あなたに勝って見せます」と。
将棋指しとして、こう言われてしまったら、後には引けない。私は自分が信じてきた道で、彼女を倒す。
※
私は、最初に四間飛車を指した日を忘れない。だって、それは、私が将棋を始めた日だから。
子ども将棋教室で、先生にはじめて教えてもらったのが、四間飛車。
珍しくもないことだ。初心者が最初に覚えるのは、棒銀か四間飛車、中飛車。この3つが多いから。
私が、この戦法をおぼえた時、その形が綺麗だと思った。
金と銀がジグザグに連結して、王様を守る美濃囲い。華麗に動いて、駒がさばけていく快感。
負けそうになっても、粘りに粘れる面白さ。
あの感動を、私はきっと忘れないだろう。
思いださせてくれたのは、桂太くんだ。
私の心が折れそうだった時、彼はそれを支えてくれた。
だからこそ、わたしは彼を諦めたくない。
例え勝てない勝負だったとしても、自分が勝ちを諦めてはいけない。だって、それをしてしまえば、桂太くんに……
ううん、私たちが積み上げたものに嘘をつくことになる。だから、最後まで、私は運命に抗う。
※
私は四間飛車を活用する攻めの形を作る。それに対して、かな恵ちゃんは、狙ったように陣形を構築した。
「右矢倉」
桂太くんの将棋の中心でもある矢倉。それを左に作らずに、右に作る。
四間飛車を除く他の振り飛車と、相振り飛車で戦う時によく出る形。
でも、四間飛車相手には、あまり使わない。なぜならば、四間飛車は、右矢倉に強いから。
それをわかっていて、あえてこの陣形を組んだと言うのは、かな恵ちゃんの盤外戦術でもある。
(そこまでして、あなたは、あの桂太くんを、取り戻したいのね)
私は今の桂太くんも大好きだけど……ね。
ここで、桂太くんの得意戦法の矢倉で、私の四間飛車を倒す。
これほどまで、メッセージ性が強い将棋はない。
彼女は、私すらも自分の計画のトリガーに使うつもりみたいね。
やってくれるじゃない。
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用語解説
右矢倉……
お互いに飛車を振る相振り飛車の時に出てくる囲い。
図のように王様を守り、上からの攻撃にめっぽう強いが、四間飛車には急所に攻撃の焦点が集まってしまうため、損だと言われている。




