第四百五十二話 それぞれのかな恵
教育大付属side
「はじまったな」
「ええ、はじまりましたね」
名門教育大付属で唯一トーナメント上で生き残っている豊田は、俺に同意する。
佐藤桂太の妹が、完全に覚醒したのが、よくわかる。さっきから、一手一手の深さが、段違いになっている。これは、もはや今までの彼女ではなくなっている。俺が、昨日負けた対局でもすさまじい執念があったが、これは完全に別物だ。
下手をすれば、今後どうなるかはわからないほどの怪物が、誕生したのかもしれない。
あのチームの中で、佐藤かな恵さんは、一番棋力にムラがあった。調子が良ければ、誰であろうと力戦で踏みつぶす腕力があった。だが、調子が悪ければ、格下にも負けかねない脆さも同居していた。
団体戦の時は、本当に調子が良かったのだと思う。
佐藤桂太くんたちの学校は、ダークホースとして俺たちは注目していた。スタメンの4人は、本当に安定していた。でも、彼女は違った。
メンタル面での弱さがある将棋。才能ある誰かに、基礎を徹底的に仕込まれたうえでの、自由な棋風はとても魅力的だった。その反面、腕力はすでにアマチュアトップレベルの域に達しているのにもかかわらず、有利になった時に自爆してしまうような勝負弱さがあった。
それが、全国大会になって、ドンドン良くなっていった。不安定で難しい局面でも諦めない芯の強さ。それが少しずつ成長し、俺をも飲みこんだ。
それで、終わると思っていたのに……
彼女は、さらに上を行く。
いったい、どこまで伸びるんだ?
豊田がプロになった後、今日の準々決勝のように時代は佐藤桂太か渋宮沙織の覇権争いになる予定だった。
だが、その計画は、すでに崩壊したと言っていいだろう。
「これもすべて、高柳先生の計画通りなのかもしれないな……」
豊田は、そうつぶやいた。
※
高柳side
「覚醒したな、かな恵ちゃん……」
世界には、縁というものがある。
それはすべて偶然の産物。
だけど、あとから振り返れば、その偶然は必然に上書きされる。
彼女の将棋は、間違いなく本物だった。ただ、未完成だっただけで。
彼女が、かな恵ちゃんが、知多家に生まれる。元奨励会員のお父さんに、将棋の基礎を叩きこまれる。お父さんが夭折して、ひとりで自由な将棋の世界を冒険し、その冒険の果てに、佐藤桂太くんの義理の妹になる。そして、彼を好きになり、このタイミングで、本当の意味での覚醒をはたす。
彼女の人生は、ゆっくりと縁を作りだして、奇跡のような巡りあわせで、この場所へと導かれた。その奇跡の中心にいた義理の兄は、自分を見失いながらも、義理の妹に降り立った奇跡を目撃し、目をつぶっている。
彼だって、気がついている。
あとは、認めるだけだ。
これから、はじまる。
新しい彼らの将棋が……
※
王竜side
彼女を最後に見たのは、知多悟さんの葬儀の席だった。
知多悟。
元奨励会三段。新人王戦でプロに混じって、準優勝した逸材。俺にとっては、厳しくも優しい先輩だった。
得意戦法は、王道の矢倉。彼には、何度も教わった。
だけど、プロまであと一歩に迫りながら、ほんの少しの運に見放されて、四段になることはできなかった。
彼の最後の対局で、彼の首を切ったのは、俺。
年齢制限の最後の対局。俺は自分がプロになるために、彼を断頭台に追いこんだ。
彼は、最後に俺に向かって短く言った。
「がんばれよ」と。
娘さんの将棋は、お父さんとは真逆だけど、攻めるのが大好きで、負けそうになってもあきらめない粘り強い将棋。
将棋の棋譜は、時間をも超越する。
棋譜を見れば、俺たちは、歴史が歴史ではなくなる。過去が現在になる。
「どうだ、俺の娘、かわいいだろう?」
先輩の声が聞こえたように聞こえた。
「本当に、先輩に似てますよ」
視線が少しだけぼやける。




