第四百三十七話 涙
部活の練習が終わったら、すぐに将棋道場へと向かい将棋を指す。移動中は、ほとんど詰将棋とスマホに入れておいた定跡の確認に費やした。甘さがあってはいけない。甘さを見せれば、コンピュータのような正確な手で一撃で持っていかれる。
俺は矢倉定跡をさらに磨きかけるように、実戦に打ちこんだ。
「兄ちゃん、強いね? 奨励会員か何かかい?」
「いえ、単なる高校生です」
「じゃあ、すごいやる気なんだね」
「はい、次の大会で負けたくない相手がいるんです」
俺は、座主さんとの雑談を適当に切り抜けた。次の相手が待つ席に向かった。
「やっぱり、ここにいたんですね、桂太先輩?」
「葵ちゃん……」
「かな恵ちゃんから、相談されたんです。この数日間、桂太先輩が全然帰ってこないって」
「そっか」
「そっかじゃないですよ。無理しすぎです。大会前に、倒れたらどうするんですか?」
「でも、それくらいしなきゃ、豊田政宗には勝てない」
「……」
俺は、駒を並べる。葵ちゃんも、同じように駒を並べた。
あとは、盤上で話す。そういうことだろう。
※
俺は、葵ちゃんを中盤で圧殺した。中飛車の攻撃を完全に受け止めて、その後は攻めを許さない激辛な将棋で快勝。
「負け、ました」
「ありがとうございました」
「どうして、変わっちゃったんですか?」
「こうしないと勝てないから」
「でも、対局中、ずっと苦い顔していましたよね?」
「……」
「終わった後も、ずっとそんな顔だし」
「……」
「楽しいんですか?」
「楽しい必要はないんだよ。ただ、勝てればいい」
「……」
俺の言葉を聞いた瞬間、葵ちゃんの顔が絶望の色に染まった。
「そんなの……」
「……」
「私の大好きな、桂太先輩じゃ、ないですよ」
葵ちゃんは、泣きそうな顔なのに、とても優しい声だった。
「ごめん」
「私こそ、ごめんなさい。大事な時に…… 桂太先輩が大変な時に、ワガママ言っちゃいました……」
葵ちゃんの目の下には、大きな粒ができていた。それが少しずつ、流れていく。
「あんまり、根を詰めすぎないでくださいね。みんな心配してますから」
「うん」
葵ちゃんは静かに道場から出ていった。
俺は将棋を続ける。




