第四百三十話 奇跡の存在証明
渋宮さんの攻撃はとどまることなく、私の陣形に攻撃を叩きこむ。
守備力は、美濃囲いを作っている彼女の方が有利。ならば、私が主導権を握って攻めなくてはいけないんだけど、渋宮さんは無理攻め気味に駒を前に進めてくる。
ただ、彼女の攻撃を短い時間で丁寧に受けきれるか。
そんな自信は、はっきり言ってなかった。
なら、どうするか?
結論はひとつ。
私も負けずに攻め合う。これしかない。
彼女相手に弱気になったら負ける。だからこそ、前に、前に進む。
もう後ろに引き返すつもりは、ない。
「へー、私相手に攻め合うんだ~すっごーい、自信だね。kana kanaちゃん? でも、私にとっては、とても、とても屈辱、かな? いいよ、やってあげる」
私の攻め合いの選択をどうやら挑発だと思いこんだみたい。
将棋は熱くなった方が負けとはよく言われる。なら、少しは有利になったかな?
実力差が、あるのだから、これくらいのハンデをもらわなくちゃ勝てるわけがない。それに、私は挑発したわけじゃない。
※
桂太side
「部長、どっちが有利だと思いますか?」
「わからない。混沌すぎて、どちらももちたくない」
女子部員ふたりと、俺も同意見だ。
かな恵と渋宮さんの対局は、すさまじい乱打戦となり、一手ミスをするか、さきに終盤の決め手を見つけた方が勝ち。お互いに時間が少なくなってきたこともあって、かな恵の顔には焦りの色が強くなっていた。
俺は夢中になって、自分の手を握りしめていた。
「桂太……」
心配して、文人が話しかけてくる。
「大丈夫だよ、文人。今はかな恵を信じるしかないんだからさ」
「ああ、そうだな」
何もできない自分が、どうしようもなく辛かった。
※
この盤上には、無数の手順が存在する。そのどれを選択するか。それによって、将棋の勝敗は決定される。そして、定跡を外れた場所から、盤を挟むふたりには運命を分ける選択の連続。
それは、人と人との運命のようなものだと思う。
この選択肢を選ばなければ、また別の選択をした道を進む。
お母さんが、再婚を選ばなかったら……
私が将棋を続けることがなかったら……
私が、別の高校に入学していたら……
私が、将棋の大会に出なかったら……
私たちが地方大会で負けてしまっていたら……
私は、この場に立っていないのだから。
少しボタンを掛け違えていたら、私は、大好きな人を見つけることができなかったのかもしれない。
お父さんとの大事な思い出を、呪いだと勘違いし続けていたのかもしれない。
だから、目の前にいる渋宮さんは、私と同じ可能性を持った存在。もしかしたら、選択が少しでも違えば、私は彼女のような存在になっていたんだと思う。
だからこそ、ここにいることが私が、私たちが起こした奇跡の存在証明。
何気ない生活の中にも、奇跡なんて転がっている。人が人のために発する奇跡という温もりを、私は信じたい。
そして、盤上でも奇跡は紡がれる。
私は、いくつもの選択肢を経て、真理にたどり着く。
▲6三銀。
「……」
その手を見て、銀翼さんの手に余裕がなくなる。
渋宮さんがどうすることもできない一手。たぶん、思考の空白になっていた場所に、出現した私の銀は相手陣を崩壊させる序曲となる。
「まだよ、まだチャンスはある」
受けきるのは難しいと思ったのだろう。彼女の代名詞でもある角と銀を使った波状王手。
私が読み切れていない変化だった。もしかしたら、この先に私が敗北する可能性は存在する。
でも、そうじゃない選択肢だって、存在しているはず。
あとは、流れにすべてを任せる。
目をつぶって、私は深呼吸する。
(見ていて欲しいんだ、俺の将棋を…… 今日は、お前のために、かな恵のために勝つって決めているんだ)
思いだすのは、地区大会の個人戦で大好きな人に言われたセリフ。
だから、私も彼に返事をする。
(見ていて欲しいの、私の将棋を…… 今日は、あなたのために、桂太さんのために勝つってきめているんだよ)
そう言って、私は覚悟を固めた。
(ガンバレ、かな恵)
彼の言葉が聞こえた気がする。
「いってきます。決勝、いきましょうね」
そして、奇跡の瞬間は、訪れる。




