第四百二十七話 切れ味
私は先攻するために、嬉野流の居飛車を使う。たぶん、ここで彼女は飛車を振るはずだ。そうしなければ、一手差が大きく作用してしまうから。
やっぱり、か。
嬉野流向かい飛車。お互いに飛車が向き合う展開になる。
飛車と銀が密集して、敵陣の攻撃に対してカウンターを狙う展開だ。最初に動いた方が負ける。だからこそ、お互いに神経質になって、陣形を強固なものにしていくことになる。
じりじりとした神経戦。このような将棋はたぶん、私たちがはじめて指すもの。人類が今まで踏み入れていない盤面が、将棋においては無数に存在する。いくつもの危険な獣道を避けるために、過去の棋士は定跡を作った。それは、安全に終盤まで私たちを導いてくれるもの。
でも、定跡から外れた獣道は、まだまだ無数にある。そこはすぐに邪悪な獣に襲われる危険な場所。だから、みんな寄り付かない。安全な道を行きたがる。
だけど、このスリルはたまらない。そして、危険な道を行かなければ、手にいれることができないものは確かにある。私がひとりで作ってきた道。その道を進んだからこそ、私は大切なひとたちと出会えた。
大好きな人。決して努力を諦めない先輩。すごい才能をもっているのに気さくに話ができる女の子。そして、恋のライバル。
私がこの道を進まなければ、もしかしたらみんなに出会えなかったのかもしれない。お父さんのことで、この未知にのめり込んだ目的のない迷子が、迷って迷ってたどり着いたこの場所。もしかしたら、幻想かもしれない。他人から見たら、普通のことなのかもしれない。
普通の青春になっただけで、どうしてそんなに喜んでいるの?
そうバカにされたっていい。
そう自惚れたっていいでしょ。いままで、闇の中で必死に抗ってきたんだから。
将棋の楽しさもよくわからずに、呪いのような世界で、やっと見つけた光なんだから。
この光を守るためなら、私は誰にも負けない。将棋の楽しさを教えてくれたみんなのために、今日だけは勝ちたい。気持ちだけでも負けたく、ない。




