第四百十話 今か未来か
相中飛車は、意外と手詰まりになりやすい。
駒組の飽和とも呼ばれる現象だ。お互いに自分の作戦の理想形を作れた時に発生しやすい現象。これ以上、指した場合は、理想形が崩れてしまう。だからこそ、理想形が崩れないように、差しさわりない手を繰り返すしかない。
行きつく先は、どちらかが理想形を崩して攻めるか、それとも同じ手順を延々と続けるかのどちらか。
どちらにしても、たいていは先手が損をする。
どうして? 将棋は、先手も後手も変わらないでしょ。昔の私ならそう言っていたと思う。
でも今は違う。将棋においては、先手と後手は全然価値が違う。
先手なら、先に攻めることができるし、勝率だって少し高い。強豪たちは、先手と後手の勝率2パーセント差をめぐって、熾烈な駆け引きをする。
つまり、私は誘導されたということ。私が有利な先手を放棄させるために。
これが最強校のスタメンを務める人の執念なんだと思う。
少しでも勝てる可能性を増やすために、考えられた作戦。最初から千日手を狙うなんて、卑怯という人もいるけど、私はそうは思わない。
これも立派な作戦。
豊田さんみたいに、連続王手の千日手を狙いに行くのは、もはや人外の思考としか思えないけど、倉川さんのは人間的な実直な戦い方だ。
私に、選択権は委ねられている。
理想形を捨てて、攻めるか。それとも、今まで使った持ち時間を無駄にして、すべてを白紙に戻すか。
前者を選べば、攻撃の主導権を奪えるが、相手に理想形を許して、将来的には苦しくなる。
後者を選べば、持ち時間を減らされたうえで、倉川さんに条件がいい先手を譲って、最初から。
どちらを取っても、経験値によって、倉川さんは序盤のリードを確保できる。
時間をとるか、それともあるか分からない希望を選ぶか。
難しい選択肢。わかっていることは、どちらを選んでも、私は序盤にリード奪われると言うこと。
後者を選んでも、前者を選ぶほどよりもリードを縮められるかわからない。
もしかしたら、リードをもっと奪われるかもしれない。
なら、攻めるしかない。
私は、あるかどうかも分からない未来よりも、今を一生懸命に生きたい。
私は、理想形を崩した。今を生きるために。




