第四十話 激突、嬉野流
おれは、銀のあらぬ動きに動揺し、手を止めた。確実に誘っている。まだ、ふたつの棋譜しかみていないが、かな恵さんはかなりの攻撃重視のはずだ。にも、かかわらず、おれの攻撃を誘っている。
これは、おれの進行方向に定跡の地雷原があることを明示していた。うっかりミスを誘う甘い誘惑。10手後に、おれが敗勢となる変化。駒得をしたら、実は数手先に大損の罠がしかけられているパターン。少し考えただけでも、いくつも想定できる。彼女の手札のなかには、これ以上の罠があるはずだ。その無数のトラップをすべて、解除して相手の王を捕縛しなくてはいけないのだ。ゾクゾクする高揚感だ。
こういう時が、おれは一番好きだ。将棋に熱中すると、よく脳内が爆発したような感覚になるときがある。難しい詰将棋が解けたとき、息詰まる最終盤、一手即敗北の状態などなど。今回は、そういう将棋になる。
とくに、この感覚はどこかでおぼえがある。トラップ満載の地雷原を進む気持ち。そう、あれは、かな恵さんと会う前の、ネット将棋。<kana kana>さんとの最初の対局だ。あのひととは、妙なライバル関係となり、週に1度は対局する仲となっていた。
あの時も、初手がすごかった。「後手4四歩」だ。
「まるで、パックマンだな」
おれはそうつぶやきながら、あの日の対局を思いだしていた。
あの時も、おれはあのひとの狙いにあえて、正面から勝負を挑んだ。だから、今回も……。
おれは、右銀を前に進める。
棒銀だ。
もっとも、基本的な攻撃であるその戦法は、まるでボクシングの右ストレートのようなものだと思っている。これで突き破れなければ、もうどうしようもない。最もオーソドックスに、相手と戦う。
迷ったときは、とりあえず「棒銀」だ。この戦法は、あいてがどの戦法を選択しても、一定の戦いができる。未知の地雷原を進むときは、基本に忠実になったほうがいい。おれはそう判断して銀を前に進める。源さんとの練習将棋も思いだす。あの時、教えたことをここで活かすのだ。絶対に負けられない。勝つ、勝つ、勝つ。おれの銀は、無我夢中で前進した。
逆に、かな恵さんの左銀は、迎撃に動き出してくる。
おれが銀をまっすぐ直線的に動かすのに対して、それはまるでダンスを踊っているかのようにくるり、くるりと優雅な曲線をえがいた。おれは、その動きが、おれの棒銀の経路を遮断する前に動く。
ついに、両軍の銀が激突した。
おれが攻め続けて、妹が守り続けるそんな将棋のはじまりだった。




