第三百九十話 相田美月
俺は、無言で会場に向かう。
この準決勝からは、養育テレビの中継も入るので、緊張感は最高潮だ。おれの将棋がテレビで映し出されるなんて、思いもしなかった。それも相手は、教育大付属の相田美月だ。
相田美月。別名、角換わりの解析者。
俺のような角換わり党には、伝説の名前だ。同じ二年生ながら、彼女の角換わり研究はすさまじいものがある。彼女の将棋の研究ブログはプロですら見にくるとも言われている。俺ももちろん、毎回楽しみにしている。電子書籍で出版した「角換わり▲4八金2九飛型の考察」や「角換わり相早繰り銀の未来」は、将棋界に激震を走らせた。
大手の電子書籍マーケットでは、将棋ジャンルで堂々の売り上げ1位を達成。
プロのタイトル戦でも言及されるほどの、重大な革命を引き起こした。
現在は、彼女のようなアマチュア将棋研究家もオンライン世界で大活躍している。
たとえば、三間飛車のトマホーク戦法は、アマチュアの専門家たちによって体系化されて、閉塞感があった三間飛車に光明を照らした。在野の革命家たちは、現在広大な将棋の定跡で日々、格闘しているのだ。
そんなアマチュアによる序盤革命の先駆者的な存在が、相田美月という女性だ。
その伝説が、ついに俺の目の前に現れた。
「丸内文人さんですね」
彼女は、丁寧に頭を下げた。
長くストレートな髪。中肉中背で、気品あるたたずまいで俺を出迎えてくれた。
「はい」
「あなたの将棋は、集められるだけ、並べました。特に、一手損角換わりの大局観は素晴らしいものがあると思います。偉そうにごめんなさい。でも、感動したんです。粘り強く最後まで勝ちを諦めないあなたの強い気持ちに」
「ありがとうございます」
心が跳ね上がるように、嬉しかった。憧れの存在が、俺を認めてくれた。
それだけで、満足してしまう。
「だからこそ、今日は全力でいかせていただきます。お互いに頑張りましょう」
「はい!」
俺は今日のことを忘れることはできないだろう。たぶん、一生。
俺が努力の末にたどりついた場所で、憧れの存在が待っていてくれた。
それだけで、すべてが報われた気持ちになる。
緊張はどこかに行ってしまい、ここが楽園のように思えた。
対局が始まる。




