第三十八話 「先手6八銀」
「先手6八銀」
おれのいままでの将棋の価値観を破壊する一手だ。いったいどうすればいいのか。かな恵さんの顔を見つめる。少し顔が赤いが、涼しい顔をしている。いつもの家にいるときのような表情豊かなかな恵さんのイメージとは違う、クールビューティーな表情を見ると、なんだかドキッとしてしまう。いつものかな恵さんじゃない表情がなんだか新鮮……。
ダメだ、集中しなくてはいけない。
おれは、見とれていた自分を否定して、対局に集中する。
どう攻めたらいいのか。敵の狙いはなにか。どんなに脳内の知識を検索しても、解決策はみつけられなかった。引き角にして、銀を斜めに動かす対振り飛車の奇襲戦法「鳥刺し」に似ているけれど、おれは居飛車の専門家だ。だから、「鳥刺し」は怖くない。
ならば、オーソドックスにいく。そして、持久戦模様にもっていく。これが、奇襲戦法への対策の基本だ。奇襲戦法は、意表をつくために、自分の陣形を崩すので、短期決戦ではなく、持久戦でじっくりポイントを稼ぐように指す。大事な試合では、おれはそう指すように決めていた。
おれは、飛車先の歩をつく。
銀が移動して、手薄になった角の頭を狙いに行く。そこに駒を集中させて、敵陣を食い破るつもりだ。
そして、かな恵さんの次の手は、角を引いた手だった。やっぱりか。基本的な考えは「鳥刺し」と同じだと考えていいのだろう。ねらいは、おそらく左銀による斜め棒銀。火力抜群だ。部長と研究した四間飛車の定跡が、ここで活かせるとは……。ならば、ここは攻撃よりも先に防御陣地の構築を優先させるほうがいい。
おれは、左側の陣地の整備し、敵の来襲に備える。
※
「なるほど、嬉野流か」
高柳先生がそうつぶやいた。
「嬉野流ですか……」
部長も、嫌そうにそう言った。
「うれしのりゅう?」
わたしは聞いたことがない名前の戦法を聞き返した。
「基本は棒銀と同じだよ。ただ、右の銀を使う棒銀とは違って、左の銀を使う斜め棒銀を使う戦法だけどね」
「斜め棒銀?」
「そう、この角度で、左銀が敵陣に突撃するんだ。攻撃方法は棒銀の応用だね。ただ、角が引いているので、その分推進力が高い」
「なるほど」
桂太先輩に棒銀を教えてもらったので、結構理解できる。やっぱり棒銀はすべての戦法の基礎になるんだな~と感心する。
「これは、攻守がはっきりしそうだね」
「どっちが攻めなんですか?」
私は先生に聞く。
「桂太くんが守りだよ」
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人物紹介
佐藤(知多)かな恵……
段位なし(申請していない&道場等に参加していないため)
ネット将棋で強くなった。攻め将棋で、奇襲や珍しい戦法を好む。
中学時代は、助っ人で参加した将棋大会で優勝。その実績で、市内大会の第二シードとなった。
用語解説
嬉野流……
アマチュア強豪が発案し、元奨励会員が発展させた戦法。
アマチュアとネット将棋の世界で発展している戦法で、火力抜群。
居飛車でも、振り飛車でも使える柔軟性を持ち、主導権を握りやすい。
鳥刺し……
対振り飛車で使う奇襲戦法。
奇襲戦法といっても、江戸時代からあった定跡で、火力抜群。左銀を斜めに動かして攻撃に参加させていく。嬉野流と重なる定跡。




