第三十六話 葵
最初に初心者の部の決勝戦がはじまった。源さんは、緊張したおももちで対局席に着く。初心者の部は、持ち時間20分、使い切ったら1手30秒の短期決戦だ。まだ、棒銀と中飛車しか教えていないのにここまで来たのだからたいしたものだ。
おれと部長、先生は3人で客席で応援する。
相手は小学5年生の男の子だ。向こうもやはり緊張している。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
二人の元気な声が、体育館内にこだまする。
ついに決勝戦がはじまる。
源さんは、3手目に飛車を動かした。中飛車を採用するようだ。少しだけ自信に満ちた手を動かす。
相手の彼は、それを見て、負けずに飛車を動かした。王の前に……。
相中飛車。どちらかと言えば珍しい形だ。中盤に手詰まりになりやすく、戦うのが難しい戦法。
プロ間ではあまり指されないが、アマチュアは大好きな形だ。負けん気の強いアマチュア同士の力勝負。そんな戦型となることが多い。
この対策を教えていなかった。はたして、彼女はどこまで対応できるだろうか。おれは、心配になりつつ彼女の様子を確認した。
※
ついにここまで来れたんだ……。
わたしは、そう思って気持ちを落ち着ける。落ち着ければ落ち着けるほど、気持ちの高まりを感じてしまう。
いくら初心者の部だからといって、将棋歴1週間の自分がここにいられるのは奇跡だろう。そして、奇跡を起こしてくれたのは、桂太先輩だ。
彼は、自分の勉強時間も投げうって、私を教えてくれた。大会も近くて、余裕もないのに。
だから、優勝して彼に恩返しをしたいのだ。そして、言いたい。「ありがとうございます」って。
決勝に来て、お互いに中飛車というはじめての展開になった。どう指せばいいのか見当もつかない。でも、自然と自信はわいてきた。なぜなら、彼が、先輩が教えてくれた戦法なのだから……。
相手の男の子は、私の角と自分の角を交換してくる。すべてが、はじめての展開。
まだ、習っていない状況だ。
でも、どこかでみたことがある。桂太先輩や丸内先輩、部長の将棋を応援しながら、のぞきながら、この1週間どこかで……。
わたしは、感覚に従い飛車を再び動かした……。
※
「なっ」
「うそでしょ」
おれと部長は、源さんの次の一手に驚愕の声をあげる。なぜなら、それは……。
悪手でもなく、
初心者らしい一手でもなく、
堂々とした正着の一手だったのだから。それは、まるで王者の手のように堂々としたものであった。
彼女の飛車は、敵の王将をとらえる位置に動いたのだった……。
「向かい飛車」
そう呼ばれる形だった。もちろん、彼女はそんなことを知るよしもない。




